第1Q 原石の誕生


 残り4秒。

 

 あの日見た、放物線を俺はまだ追っている。

 

 

 ――――――


 

 6月の中旬。

 

 出もしない白い息を、フゥとわざとらしく吐く。梅雨の時期ということもあり、少しじめっとした空気が顔に張り付くように感じた。試合会場である体育館の駐輪場に自転車を置く。


「おはー、たっちゃん」

「おはよう、なつめ」


 ガコン、と学校指定であるママチャリのストッパーを下ろしながら挨拶をしてくる。何度も聞いたことのある女子の声。運動部特有の短めの髪が俺の視界に入る。髪を耳をかけながら挨拶をしてくる彼女は、立花なつめ。同じ小学校から中学校、お互いバスケ部でポジションまで一緒というなんとも不思議な繋がりを持つ俺こと夜野達也やのたつやの腐れ縁な友人である。


「毎度の事ながら、試合会場までチャリって気分的に下がるわ」

「仕方ないだろ、チャリで行ける距離に体育館があるんだから」

「そりゃそっかー、まあちょっとしたアップみたいな感じだと思えばね」

「まあでも、結局アップやるしな」

「それはそうなんだけどねー」


 毎度ながら彼女特有のゆったりとした口調は思わず釣られそうになる。


「中学最後さいごの大会だし、楽しまなきゃ損だべー」

「まあ……そうだな」

「そう固くなるの、たっちゃんの悪い癖だぞ?」


 楽しんでこーぜ、という言葉と共に背中を強めに叩かれる。彼女なりの励まし方なのは、長年の付き合いで夜野自身分かっていた。中学3年である俺たちは大きい壁を乗り越えなくてはいけないことはよく分かっているし、だからこそ今日の試合が最後だということも理解していた。


 ――昨日の試合で、負けたからだ。

 

 市内大会で上位2チームに入らなければ地区予選に行くことが叶わず、その後に待っているのは引退だ。この市内大会は8校の内で行われるトーナメントで、初戦負ければ下位リーグ行き確定という険しい道を歩むことになる。そして近年、勢力図の変わることなく常に同じ2校が地区大会へ駒を進めており、市内強豪である2チームの壁は大きい。昨日の試合相手である強豪の片割れに勝つことができず、その壁を乗り越えられなかった時点で。

 

「――終わってたんだなぁ」

「何が?」

「いや、何でも」

「それより声出し。顧問のスズ先に叱られっぞ」

「……おう」


 朝のあの会話を思い出してしまう。

 会場の雰囲気も独特だ。下位リーグに落ちたチーム同士。つまり俺たちも相手も午後の、この試合が中学最後なんだと改めて夜野は理解した。


「山田、石橋、夜野。準備しろ」

「「「はい!」」」


 第4クォーター、残り1分。点差は18点。

 

 まあ余程のことがない限り、勝てるものでは無いが自分が出来ることをするだけだ。ジャージを脱いだ瞬間、少し肌寒い。だが試合会場には熱が籠っていて、そこに足を踏み入れると思うと無意識に口元が笑みを浮かべていた。何だかんだ俺もバスケが好きなんだなと思わされる。それは俺以外の2人も同じようだ。


 ボールがコート外に出た後。ピッ、とレフリーの笛が鳴る。自分たちのチームは膝を抑えて肩で息をしているのに対して、相手は息が荒いものの立っている。まあだろうなと思った。何しろ相手は新人戦4位だったチーム。完成度は市内でも上位。しかもこちらは試合のメンバーを1度も交代しなかったので余計だろう。


「中学最後の試合だ、悔いのないようにしようぜ」

「「当たり前だ」」

「いっっった」

 

 石橋が自身の付けているスポーツグラスを片手で直す。その後ニヤリとこちらを見ながら言ったのと同時に、坊主頭が特徴の山田と俺は石橋の背中を力任せに叩いた。石橋のちょっとだがデカい声がコートに響き、両校のベンチから選手だけでなく顧問の先生からも変な目で見られている気がするが気にしない。

 

 ビィー!

 

 けたたましくブザーがなった。

 審判が笛の音と同時に腕をクロスさせ、交代のジェスチャーをする。相手もどうやら選手交代するようでベンチから、ふぁい!と言いながら着ていたジャージを他選手にぶん投げてコートに入ってくる。その選手は歩きながら口に咥えていたゴムで、少し長めの黒髪をひょいひょいっと縛る。ニコニコと、表情はまるで試合をするとは思えないほど陽気なものだ。


「おい、あんな選手いたか?」

「いや知らん。昨日も出てなかった気がする。お前知ってる?」


 コートからベンチへ戻っていく後輩達にディフェンスのマークを聞いていた俺は山田と石橋の会話を後ろで聞いていたが、かく言う俺自身も聞いたことがなかったのでそっと首を横に振っておいた。


「ったく、先生大丈夫だって言ったのに結局今まで出してくれないんだから困ったものだな。まあ僕は最終兵器、そうだろ。うん!」


 1人でなんかブツブツ言ってたのに、突然納得していて怖い。この変人こいつのマークつかないといけないのかよ。なんて俺は呑気に思ってた。


 試合が始まる。すぐに相手のセンターにボールが渡りシュートが決まる。

 

 こちらの攻撃だ。同級生のポイントガードがこちらに視線を渡す。ディフェンスが少し離れていたのもあり、何となく来そうだなという実感はあった。


「いっけー! 夜野!」


 ベンチからの声に応えるべく。キュッ、とスキール音。ダンダン!と上下に揺さぶり、相手を背中に巻き込むようにロールターンで一気に抜く。1人抜けた。

 思ったよりいい感じだ。今日こそは行ける気がする。


「ふっ!」


 さっきのスピードも落ちてないレイアップ。大丈夫、ちゃんと決まる。


 だが視線の先には、手。

 

 ボールは、上のゴールにではなく横に飛んでいった。

 

 バシン!という音が聞こえてきそうな勢いで打ったボールが大きく弾かれた。くそ、まただとギリッと奥歯を噛み締める。また俺はこんなとこで――。


「戻れ戻れ!」

 

 そのベンチの声が聞こえ、ハッと意識を試合へ戻す。俺は最後までこれなのか。


「あらら、決められなかったのね」

「なんだよ」

「いや別に。――君、なんでバスケしてるの」

「……は?」

「バスケはさ、点を取らなきゃ意味無いでしょ」

「何が言いたい」


 ダムダム、とゆっくりハーフコートまでボールを運ばれ、マークマンであるあいつがボールをコントロールしている中。目の前にいるあいつが話しかけてきた。一定のリズムでドリブルをつく音だけが聞こえる。

 

 一瞬の静寂。それは突然だった。


 スペースが生まれ、ドライブを右から仕掛けられる。

 

「――ッシ!」


 ――それぐらいの揺さぶりで抜けると思うなよ……!


 抜かれてたまるかとゴールを背に、横に付いていく。

 

「へえ……」と、目の前の彼の唇はそう動いたような気がした。


 すると再度ドリブルでトップの位置に戻り、またもや目線、足元の動き、何度か駆け引きが行われた。だがボールを持つ俺のマークマンにピタリと、ディフェンスをしていたはずなのに。気が付けば目の前の人物の手にはボールはなく、ゴール下のもう1人の選手にパスが渡り、ゴッとバックボードに当てシュートを決められたのだと。気づいたときにはもう遅かった。

 

「まあ、ナイスパス」そう相手側の選手に対して「はいはい」とマークしていた彼との会話がすれ違いざまに耳に入った。先ほどの2人の間に流れる空気は、まるで義務で渡しましたと言いたげな雰囲気だ。


 だが俺にとってそんなことはどうでもいい。気になったのは目の前の人物が持っていたはずのボールが、ゴール下にいた選手に渡り、気づいたら2点入れられていたことだった。

 

「……は?」


 あの状況をすぐに整理して理解したのと同時に、思わず出てしまった言葉。

 こいつ、人と人の間にパスしたのか。しかもあのパスは一瞬の隙でしか出せないと。


「ははっ!」


 笑いが込み上げてくる。そこまで汗をかいていないにも関わらず、額を拭う。目の前で見たからこそ分かる。分かってしまった。


 

 ――とんでもねえ技術もってやがる!

 

 

 残り時間メインタイマーが14.8秒。相手側のシュートが入り、エンドラインからのスローイン。


 気がつけば残り時間、10秒になろうとしていた。


 あのとき考えてたのは1秒でも多く、コートに立つ。最後まで諦めない。その一心だった。


 ガコン!


「うわやべ」と、山田の投げたボールがリングに当たり、大きく跳ね返る。

 

「リバン!」

 

 ベンチからの声と共に自分達のチームのセンターと相手のセンターがお互いに手を伸ばしボールに触るも、勢いがあったため弾かれる。ボールは、コートの外へ出ていこうとしていた。


ボール生きてるルーズボール!」


 その声と同時に身体は飛び出していた。ここで最後なんて考えるな。そしてここで変わらなきゃ、いつ変わる。バスケをやる理由。それは俺があのブザービーターに憧れているからだ。なら、最後まで諦めるな。そして何と言っても。


 ――あいつに負けたくない!

 

 普段なら飛び込むことの無いボール。しかし自分の身体はボールに向かっていく。さっき凄いパスを出してたあいつも走り出していた。だが、俺の方が近い!


「ぬぁあああ!」


 コートの外に出さない一心で、ボールを指先で弾く。勢い余ってベンチの反対側に並べてあるパイプ椅子の列にぶつかるほど床を滑った。まるで打ち上げられた魚のようだ、とかどうだっていい。ぶつかった痛みさえ気にならなかった。そして弾いた先には見慣れた、うちのチームの選手。


「石橋ぃ!」


 刻一刻と時間は過ぎていく。残り2秒。

 

 どうか取ってくれ、と念じながら弾いたボールは石橋に渡った。石橋の立つのは、スリーポイントラインからとても遠く離れているハーフライン。普通に考えてみれば入りっこない。だが、不思議と入るような感覚だった。


 1分もあったような長い時間に感じた。

 

 投げたボールが、ドンっとバックボードに当たってリングに入る音と共に、メインタイマーのブザーが鳴った。すぐさま審判を見る。3点入ったジェスチャー。


「うぉおおおおお!?」

 

 うちの選手達が石橋に向かって走っていく。ベンチからも飛び出していくメンバー。優勝ではない、なんなら勝ったわけでもない。それでもあの3点は、嬉しいものだった。


「最後のあれ、分かってたの」

「ハァ……いっ、何がだ?」


 最後と数秒で一気に体力を使った気分である。それに加えて、今頃になってパイプ椅子にぶつかった痛みがぶり返して来たこともあり、話しかけられてきたことにも気づかなかった。


「朝比奈ー! ミーティングだって!」

「はーい」

 

 目の前の人物はそこから動かない。呼ばれているのに行かなくていいのかなんて考えながら俺は、ぶつけた膝を含めた部分が思ったより痛く、肩貸しに石橋と山田に「はよ察してこっち来い」と念じる。この変な空気の中にずっと居たくないというのも加えて。

 

「ちぇっ、……まあいいや。またやろうね」


 手を出された。……手?

 

「握手だよ、あーくーしゅー」

「お、おう」

「高校でもやんでしょ、僕には分かるよ」

 

 顔を上げると目の前の朝比奈といわれた彼の瞳の中には、いつものように貼り付けた笑みとは違う、笑う俺が写っていた。


 俺が決めた訳じゃない。なんなら勝った試合じゃない。それでも、ボールが繋がって最後のシュートまで持っていけた事実が俺の手を震えを止まらせてくれなかった。

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