第16話 十時に、ヒマワリで待っています

 次の日。


 時刻は朝の九時過ぎ。


「ふわぁ~……」


 寝癖が付いたまま、口から長い欠伸あくびがこぼす俺は、ぼーっと朝食のトーストを食べていた。


(眠いぃぃぃ……っ)


 昨日の夜は、考え事をしていて全く寝られなかった。


 ……これは、二度寝確定コースだな。今日は誰も起こしに来ないしー……って、それもそうか。だって、


 しーーーーーんっ。


 今日の高谷たかや家はとても静かだった。


 父さんと母さんは朝から仲良く買い物に行き、未奈は今日も部活だからだ。


 たまには、お兄ちゃんの相手もしてくれよ~……と言おうものなら、


『はぁ? どうして私が? キモ……っ』


 という未来が見える。


「うーん……」


 しょうがない、これを食べたら寝直そう。


 と心の中で呟きながら、トーストを口へと運ぼうとしたとき、その手が止まった。


 ……どうせ一日暇だし、思い切ってデートに誘ってみる?


 休日に恋人とデート。……イイっ、とてもイイっ!


 ふと、『そうだっ、デートをしよう!』と頭に浮かんだ自分を褒めたい。


 ……だけど。凛々葉ちゃん、今日予定とかあったりするのかなー……。


 それに、当日の朝に誘うって、デートの鉄則としてどうなんだ?


 セーフ……アウト……うーん……っ。


 そんなことを考えていると、


 ――ピロリンッ。


 ローテーブルの上に置いていたスマホが鳴った。


「……ん?」


 もしかして、向こうからお誘いが……?


 トーストを手に持ったままソファーに移動して、空いた方の手でスマホを手に取ると、画面を表示した。


 そこには、珍しい人物の名前があった。




 ――…“つぐみ”。




「ふ~ん……つぐみからかー…………んんッッッ!!!???」


 俺は口の中のトーストを飲み込むと、慌ててテーブルに戻って牛乳を一気に流し込んだ。


「ゴホッ……! ゴホッ……!」


 思いっ切りむせてしまった。


 ……い、一旦、落ち着こう。


「はぁ~……ふぅー……」


 ……よしっ。まず、状況を整理するんだ……って、つぐみから連絡が来たぞ……?


 お互いに相手の連絡先は知っているのだから、なにかメッセージが飛んできてもおかしいことではない。


 でも……


(これは、どうすればいいんだ……?)


 既読が付いていないとはいえ、見ないわけにもいかないし……。


「すぅー……はぁー……」


 一度深呼吸をしてから、恐る恐るトーク画面を開くと、


『十時に、ヒマワリで待っています』


 の一文だけが送られてきていた。


「ヒマワリ、か……」


 と呟いて、未希人は文字を打つと、メッセージを送った。


 たった、四文字。されど、決意を込めて――。


『わかった』




 その後。出かける支度を済ませて家を出ると、『喫茶ヒマワリ』の前までやってきた。


「…………」


 帰ってもいいなら、すぐにでも帰りたい。でも、ここまで来たら入るしかない。


「はぁ……」


 この二日間の消費カロリーがエグすぎる件について。


 ……ついこの前、凛々葉ちゃんと来たばかりなのに、違う女性と会うためにまた来るなんて。


 なんだか、浮気をしているようで……心が痛む。


(ごめん、凛々葉ちゃん……っ!)


 カランッ、カランッ。


 店の中に入ると、お気に入りのテーブル席に彼女が座っていた。


「………………」


 凛々葉ちゃんが座っていたのと同じ席……。


 そして……“あのとき”と同じ席だった。


 すると、俺が来たことに気づいたのか、窓に向けていた顔をこっちに向けた。


 そういえば、つぐみは普段インドアなのに、空を見るのが好きだったっけ。


 放課後に公園のベンチに座って、一緒に雲を眺めていたな……。懐かしい……。


 昔のことを思い出しながら、テーブルを挟んで席に座った。


「お、おはよ……いや。こんにちは、が合っているのか……?」


 まだ午前中だから、『おはよう』か?


 すると、こっちをじっと見つめていたつぐみが言った。


「……考えることが好きなのは、相変わらずですね。先輩」

「あ、あははは……。なんというか、癖みたいなものだからさ……」


 ……久しぶりにちゃんとした会話をできた気がする。


 しかし、それからはというと、


「………………」

「………………」


 き、気まずい……。


 元カップルが久しぶりに会うのだから、そりゃこの空気になるよな……。


「……か、変わったな」


 主に髪型が。


 昔はショートだったけど、今ではすっかり伸びていた。


 ツヤがあってしなやかなで……って、おいおい……っ! 今一瞬、撫でてみたいと思ってしまったぞ……。


 彼女がいるだろ……ッ!!


「…――先輩が変わらなかっただけです」

「…………っ!」


 それは、冷たく鋭い一言だった。


 正直、返す言葉が見つからない。


「………………」


 なんだ……? この、取り残された感は……。


「えーっと……」


 なんて言えばいいのかわからず、必死に思考を巡らせていると、


「なにか注文しますか?」

「え。あっ、そうだな……っ!」


 テーブルの上に置いてあったメニュー表を開いたものの……


(なに頼もう……)


 チラッとテーブルの上を見ると、半分まで減ったアイスティーが入ったコップが、つぐみの前に置かれていた。


 早くからここに来てたんだな……。


「なにか?」

「い、いや、なんでも……っ」


 それならそうと言ってくれたら……おっと、そんなことより早く注文を…………よしっ。


 ここは、安定のホットコーヒーだな。


「すっ、すみません、注文を……」

「ホットコーヒーを一つ、でいいのかな?」


 注文を取りに来たのは、水の入ったボトルを持ったマスターだった。


「は、はい……」

「ホッホッホ。二人とも、ゆっくりしていってくれ」

「…………っ」


 こんな気まずい空間にずっといられる自信がないんですけど……。


「マスター。アイスティーのおかわりを」

「こっちとしては嬉しいけど、大丈夫かい? これで三杯――」

「お願いします」

「っ! すぐに持ってくるよ」


 そう言い残して、マスターはカウンターへと戻って行った。


 マスター……今、『三杯目』って言おうとしていたな……。


 ふと顔を前に戻すと、つぐみと目が合った。


 じーーーーーーーーーーっ。


「えーっと……」

「ここのコーヒーは、今でも?」

「え。まぁ、たまにだけど……」

「そう……ですか……」

「?」


 どうして、そんなに落ち込むんだ……?


 その後はというと、


「………………」

「………………」


 二人の間に、会話という会話がなくなったのだった。


 ほんとに……静かな時間だ……。


 結局、二度寝せずに来たから……眠気が…――


「……懐かしいですね」

「え? ああぁ……」


 コーヒーの匂いとクラシックの音楽に包まれたこの店は、俺たちにとってとても思い出深い場所だ。




 ……あれは、俺とつぐみが付き合い始めてちょっと経ったときのことだ――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る