第13話 初めての

「で、最近はどうなの? 音楽」

 瀬名ちゃんがいつも通り、缶チューハイを片手に尋ねる。度数は七パーセントだった。私は三パーセントのものを、先ほどからちまちまと啜っている。

「それがね、ナナミさんに歌ってもらった動画が、すっごい伸びてて。登録者増えたから収益化もしたし、次に上げたやつもわりと聞いてもらえてる。けっこう、いい感じかも」

「へぇ、よかったじゃん。私もあの曲聞いたけど、すごい声に合ってたもんね」

「え、聞いてくれたの? ありがとう」

「いーえ。ねぇ、それより、そんなペースじゃ酔えないよ」

「……しょうがないでしょ。初めて飲むんだから」

「もっと飲め飲め。せっかく弱いのいっぱい買ってきたんだよ。私はこんなジュースみたいなの飲みたくないから、青ちゃん全部飲みなね」

「はぁ? 絶対無理」

「無理じゃないですぅ。二十一でしょ?」

「ちょっと、それアルハラって言うんだからね」

 今日は私の誕生日だった。以前教えたのを覚えていたらしく、瀬名ちゃんは大量の酒とつまみを私の部屋に持ち込んだ。なぜか一歳間違えられて、「二十歳おめでとう!」と言われたが、私は今日で二十一である。しかし、これまでお酒を飲む機会もなく、なんとなくつじつまが合ったような形になってしまった。そのせいか瀬名ちゃんはいつにも増して押しが強いが、音楽がひとつ壁を超えたこともあり、私も上機嫌だった。

「ていうかこれ、めっちゃおいしいね」

 こってりとした味付けのレバーの炒め物を口に放り込み、私は目を丸くした。瀬名ちゃんは満足げに笑う。

「でしょ。今日のおつまみ、ほとんど手作りだから。存分に味わいなさい」

「嘘。瀬名ちゃん、こんなに料理上手だったんだ」

「何、生活力ないと思ってたの?」

「いや……こんなお酒まみれの生活してる人、普通そうでしょ」

「ふふん。私は一味違うからね」

 こうしている時間が、一番楽しい。このアパートにしてよかった、と心から思う。築何年かすらよくわからないくらいの、とんでもなく古びた木造住宅だが、住んでいる人々は皆、日々を大切に生きていた。アパートのまわりにはゆったりとした空気が流れ、ここだけが、せわしない東京から取り残されているようだった。きっと貧しい生活をしているのだろう。それでも、心には余裕があった。桜が咲けば宴会をし、充満する蚊取り線香の匂いも、どこか風流に感じる。肌寒くなる秋には焚火で芋を焼き、冬は炬燵を持っている人の部屋に集った。現代の東京にも、こんな暮らしをする人が残っているのか、と私は驚いた。

「そういえばさ、青ちゃん、あの人とはどうなったんだっけ」

「あの人?」

「あの……なんだっけ、カラオケ屋の」

「あぁ、剣持さん」

「そうそれ」

「どうなった、って?」

 私は露骨に顔をそらしながら尋ねた。わかっている。瀬名ちゃんは恋愛好きだ。そして、私は恋愛が嫌いだ。この話だけは気が進まない。

「何回かデートしたんでしょ。最近は? 連絡取ってるの?」

「デートっていうか……散歩、みたいな」

「いや、デートでしょ」

「私はそんなつもりない」

 瀬名ちゃんは無言で肩をすくめた。恋愛については話が合わないことを、瀬名ちゃんもわかってきている。春巻きを頬張りながら、瀬名ちゃんは箸で私を指した。

「青ちゃんさ、なんでそんな感じなの?」

「は?」

「いや、言い方悪かったけど……。なんか、恋愛にトラウマとかある?」

「……別にいいでしょ、なんでも……」

「ごめんって。でもさ、なんか、ずっと身構えてたら、相手もかわいそうっていうか」

「余計なお世話」

「違うの、ちゃんと聞いて。もしその人も青ちゃんに恋愛感情持ってなかったら、どう? 青ちゃんが一歩引いてたら、ずっと上手く打ち解けられないままだよ。もしかしたら、最高の理解者で、最高の友達になれるかもしれないのに」

 言葉に詰まった。確かにそうなのだ。考えたことはあった。剣持さんにとって、私はただ、過去の自分に重なるだけの存在で、それ以上でもそれ以下でもないのだとしたら。剣持さんは、同じようにミュージシャンになる夢を追い、挫折した経験を持っている。しかも、カラオケ屋でのバイトの傍ら、最近は音楽業界への就職も目指し始めていると聞いた。確かに、最高の理解者になり得る。

「青ちゃん。私もね、恋愛にトラウマあったの。でも、今の職場の先輩に聞いてもらって、かなり治った。私も聞くよ。似たような経験かもしれないし」

「…………」

「まぁ、言葉にできないってこともあるから、無理強いはしないけどね。でも、いろいろ試すのはありかもよ」

「……うん……そう、かもしれない……」

 心の奥の奥に埋めて、何重にも鍵をかけた記憶。それに向き合うことが、私にできるのだろうか。言葉にできるものなのだろうか。腋を冷たい汗が伝った。

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