第4話 アンビバレントな彼女

「はえ……?」


 混乱のあまり間抜けな声が漏れる。


 甘い香り、背中に回されたしなやかな腕、押し当てられる柔らかな感触。俺の知らない、雪路の少女としての部分。


 このままでは激しい鼓動に勘づかれてしまう。しかし離れてしまうのも惜しい。そんな葛藤にさいなまれる。


「びっくりさせやがって、馬鹿野郎」


 目尻に涙を、口元には笑みを浮かべる。


「抱きつくの、どんだけ我慢したと思ってんだ」

「……え? じゃあ『ぎりぎり』って」


 ハグを我慢できないって意味?


「わ、悪ぃかよ……」


 拗ねたような表情。頬に赤みがさしている。


「……」


 やがて雪路の目がうろうろとしはじめた。


「な、なにじっと見てんだよ」

「え? あ――」


 俺は慌てて顔をそらした。知らず知らずのうちに俺は彼女の顔に見入っていた。


「あ、いや、本当に雪路だと思って……」

「まだ疑ってたのかよ」

「だって、雰囲気が違うから」


 雪路は身体を離し、腕を広げてみせた。


「正真正銘、お前の知ってる白瀬雪路だよ」

「少なくとも俺の知ってる雪路ではない」

「そうか? 前からこんな感じだろ?」

「いやフルモデルチェンジだが!?」

「ど、どこがだよ」

「まず制服! なぜちゃんと着ている!」

「制服はちゃんと着るもんだろ」

「お前いつも上はジャージだっただろ。しかも学校指定じゃないやつ」

「ああ、あれ指定のじゃなかったのか。知らんかったわ」

「背中に阿弥陀如来のあるジャージを指定する学校があるか……!」


 理事長が元ヤンの私学でもあり得ない。


「それと髪」

「べつに切ってないぞ」

「色だよ! 真っ黒じゃないか」

「ぷっ……、はは、はははは!」


 いきなり身体を折って笑いだす。


「え、なに笑ってるんだよ」

「馬鹿だな、湊人」


 と、涙を拭いながら言う。


「染めたんだよ」

「分かってるよ!!! なんで染めたかって話だ!」

「美容院で染めたんだよ。四千円もしたわ」

「へえ、そりゃ参考になる――じゃねえ! 方法と価格は聞いてない。なぜ黒くしたのかと聞いてる!」

「だって校則違反だろ」

「『だって校則違反だろ』!?」


 俺は仰け反って叫んだ。


「つい一月前まで校則違反の擬人化みたいだった奴が!?」

「ひとのことばっか言ってるけどよ、湊人だってどうなんだよ」

「な、なにが」

「ツーブロックのマッシュにして、しかもワックスまでつけて。色気づきやがってよ」


 俺は前髪を指でねじった。


「ああ、俺は色気づいたんだ」

「開き直りやがった……」

「お前もその口か?」

「は、はあ!? な、なななんであたしが色気づくんだよ! ふ、ふふふふざけんな!」

「落ち着け。DJのスクラッチみたいになってる」


 かかった馬みたいに雪路は呼吸を荒くした。


「で、じゃあどんな理由だ」

「じいさんのせいなんだ!」

「おじいさん?」

「今そこで世話になってる。いろいろ」

「いろいろって」

「けっこう金持ちでさ、住むところとか、学費とか。だから真面目にやってるってとこを見せなきゃならなくて、それで」

「なるほど、筋は通ってるな」

「だ、だろ? これは本当だからな」


 と、腰に手を当てて胸を張った。


『これは本当だからな』だと、前述のいずれかが嘘だったということになるが……。まあ雪路のことだ、そこまで深く考えてはいないだろう。


 しかし、祖父が裕福ということは見た目だけではなく――。


「お前、本当にお嬢様なんだな」

「そうだぞ。見直したか?」

「ふっ。いや?」

「半笑いで!?」

「どこを見直すんだよ」

「だ、だってお前、『清楚でおしとやかな女の子』が好きなんだろ? だ、だから――」

「ひゅ~……」


 俺は首を振り、肩をすくめた。


「んだよそのすかしたアメリカ人みたいな反応」

「なんにも分かってないな」


 見た目だけならたしかに清楚でおしとやかに見える。しかし中身がまるで逆だ。たとえるなら『からし入りシュークリーム』である。


「俺はシュークリームが好きなのであって、シュー生地が好きなわけじゃないんだよ」

「え、なんで急にシュークリームが出てきたんだよ。怖っ……」


 雪路は少し身体を引いた。


「見た目だけで中身が伴ってないってことだ」

「徐々に慣れてこうと思ってたんだよ。――まったく、お前のせいで予定がくるっちまった」

「予定?」

「う、うるせえな、こっちの話だ」

「クラスではうまくごまかしてるみたいじゃないか」

「無口ってことにしてるからな」


 一緒に昼食をとっていたふたりは上品そうな子たちだった。それなりにうまくやっているのだろう。


「それより湊人」

「なんだよ」

「『色気づいた』って……、だ、誰かと付きあいはじめたとか、そういう意味ではないよな?」


 なぜか不安げな上目遣いで俺を見る。


「……付きあってはいない」


 すると雪路の表情はぱあっと表情が明るくなる。


「だ、だよな! 湊人が入学一ヶ月で彼女を作れるはずないもんな! やっぱ湊人は湊人だな」


 ――楽しそうな顔しやがって……。


 見た目はお嬢様になっても俺を馬鹿にするときの顔は以前のままだ。


「でもいずれは誰かとそういう関係になりたいと思ってる」

「思うのは自由だからな」


 雪路はふっと嘲笑した。俺はイラッとする。


「お前は現実的になれとか言ってたけどな、いたぞ。『かぼちゃの馬車の姫』が」

「……は? 誰だよ」

「二年の更家先輩」

「ああ、あのマブいスケか」

「先輩をヤンキー用語で形容するな」


 俺は目をつむり、更家先輩の姿を思い描く。


「俺もうっすら諦めてたさ。でも更家先輩を一目見て思ったね。『おった!』って」

「でも話したこともないんだろ?」

「挨拶はした」


 勘違いだったけど。


 雪路は眉間にしわを寄せる。


「……でもお前のことなんてなんとも思ってないだろ」

「笑いかけてくれた」


 笑われただけだけど。まったくの嘘は言っていない。


「………………」


 雪路は黙っている。目を開くと、彼女はうつむき、拳をぎゅっと握っていた。腕がわなわなと震えている。


「雪路?」


 と、雪路はいきなり背後の木に掌底を打ちこんだ。あまりの威力に木がびりびりと震える。


「な、な……!?」


 二度、三度と掌底を放つ。枝葉がざわざわと揺れて頭上からなんだかよく分からない実や虫がぼたぼたと落ちてくる。


あぶっ!?」


 俺はそれを飛びすさって回避した。


 ――なんだよそのリアクション……!?


「なんでだよ! せっかく、せっかく……!」


 何度も何度も掌底を打ちこむ。


「どうした!? なんで怒ってる?」

「は、はあ? 全然怒ってねえし! 蚊がいただけだし!」

「オーバーキルすぎる……!」


 木は完全にとばっちりじゃないか。


「と、ともかく落ち着け」

「ちぃっ!!」


 ――でっかい舌打ち……。


「てめえがそんなにチャラい奴だったとはな……」

「い、いや、すまん。話を盛った」

「あ? どういうことだよ」

「挨拶もまともにしてないし、俺の名前も知らない。見栄を張った」

「……」


 雪路はしばらくぽかんとしたあと大笑いしだした。


「はは、あーはっはっはっはっはっは!!」

「情緒がもう……」

「かぼちゃの馬車に乗ったお姫様が通りすぎていっただけじゃねえか」

「通りすぎてはない! 俺とはまったく違う路線を走ってるだけ――ぐふうっ……」

「自分で言ってダメージもらってるじゃねえか。――でも、そうか……、待てよ……」


 雪路ははたとなにか思いついたような難しい顔で黙りこむ。


 と、その顔が徐々に怪しくゆがみ、やがてぞっとするような笑みに変わっていった。


「……タイマンだ」


 雪路はぼそりとつぶやくように言った。


 ――は? 誰と誰の?


「久々に燃えるじゃねえか……!」


 なんかひとりで燃えはじめた。さっきから俺はおいてけぼりだ。


「湊人」


 雪路は改まった調子で言う。


「協力してやるよ」

「……なにを?」

「てめえが、女とまともに話せるように」

「は? べ、べつにふつうに話せますけど?」

「嘘つけ。カタギの女の前じゃふにゃふにゃになるくせに」

「で、でも、具体的にどうするんだよ」

「あたしで慣れろ」


 と、雪路は自分の胸に手を当てた。


「雪路で?」

「自分で言うのもなんだが、あたし、見た目は清楚だろ?」

「見た目だけな」


 雪路は俺に詰め寄り、下から見あげるようにしてにらみつけた。


「強調すんな、しばくぞ」

「その格好でガンをつけるな」


 しかし、たしかに外見だけなら可憐な少女だ。俺の意識の持ちようではイメージトレーニングになると思う。


 しかし――。


「なにを企んでる?」


 雪路はぎくりとした。


「な、なにがだよ」

「なんのメリットもなく俺に親切にするとは思えない」

「め、メリットなんてねえよ。今まで世話になった礼だ」


 引きつった笑みを浮かべ、きょろきょろと目を泳がせて、そわそわと身体を揺すっている。


 ――嘘くせえ……。


 まったく信じられない。が、隣の席の女子とまともに会話できないどころか、まともに目も合わせられないレベルの俺にとって、雪路の提案は魅力的すぎた。


 藁にもすがる、というやつだ。


「……なら、頼む」

「お、おう! 任せろ!」


 雪路は「へへっ」とはにかんだ。


「じゃあ『白雪ゼミ』は明日からな!」

「白雪ゼミ……?」

「なんか名前があったほうがいいだろ」

「その異名、気に入ってないんじゃなかったか?」


『地獄の白雪姫』と呼ぶと明らかに不機嫌になっていたはずだ。


「『姫』のところだけだよ。なんか照れくせえだろ」

「いや『地獄』のところも恥じろよ」


 むしろ世間的にはそっちのほうが恥ずかしい。


「そこはむしろ格好いいだろ」

「それは恥ずかしいな」

「なんでだよ!」

「中二は中二で卒業しろ」

「う、うるせえな。とにかく、明日からバチバチにしごくからな。覚悟しておけよ」


 と、手のひらに拳を打ちつけた。


 ――早計だったか……?


 しかし田舎からやってきた俺には雪路くらいしか頼る存在がいないのも事実。こっちでは中学時代のようなやんちゃをするとは思えないし、俺にデメリットはないように見える。


 の、だが。


「へっへっへ」


 妙に上機嫌な雪路を見るにつけ、俺のなかの不安は嫌でもふくらんでいくのだった。

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