第1話 いろいろ卒業

「これで最後、これで最後」


 念仏のように唱えながら俺は夜道を走り、ようやく目的地の河川敷にたどり着いたが、そのときにはもう手遅れだった。


 死屍累々。いや、実際には死んでいないが、黒々とした人影がひとつ、ふたつ、みっつ……。少なくとも片手で足りないくらいは倒れている。


 そんななかでひとりだけ、しゃんと立っている人影があった。


 誰かなんて、いちいち尋ねる必要もない。こんな状況で立ってる奴なんてあいつしかいないんだから。


雪路ゆきじ


 俺にそう呼ばれた彼女はことさらのようにゆっくりと振りむいた。夜空に浮かんだ月と同じシルバーのロングヘアがさらさらなびいた。


「おう、湊人か。遅かったじゃねえか」


 制服の上に羽織ったジャージのポケットに手を突っこみ、にいっと笑う。白い歯がまるで狼の牙のようだ。


 俺は眼鏡を指で押しあげ、もう一度、倒れている複数の人影を見た。雪路に突っかかった者は皆、このような運命をたどる。


 人呼んで『鬼神』『地獄の白雪姫』『ブラッディプリンセス』――。これ以外にも数多くの異名を持つ。


 俺は呆れてため息をついた。


「今日はやけに早く片がついたな」

「事前に計画を立てて、目標に優先順位をつけて、面倒な奴から片付けて効率化した」

「そんな、ライフハックみたいに……」


 相手がちょっと不憫に思えた。しかし雪路は自分から喧嘩を売ることはない。つまり降りかかる火の粉を払っただけであり、彼女たちの自業自得ではある。


「白瀬……、雪路ぃ……!」


 うずくまっていた人影がふらふらと立ちあがった。雪路と対照的な金色の髪。切れ長の目がさらにつり上がっている。


「お前は――戦果その一じゃねえか」

「名前で呼べコラァ!」

「冗談だよ。岡村だろ?」

「高嶺だよ! 一文字も合ってねえだろ!」

「一文字は合ってるだろうが。馬鹿か」

「お前に言われたくねえ!!」


 高嶺と名乗った女子は雪路との距離をつめる。雪路は身構えた。


 面倒な相手から片付けたと雪路は言った。つまり『戦果その一』は蔑称のようでいて、最大限に実力を認めた尊称でもあった。


 皮膚をぴりぴりするような緊張が走る。高嶺が手を伸ばした。


 いや、手を差しだした。握手を求めたのだ。


「最後に思いっきりやれてよかった」


 中学卒業を機に雪路は地元を離れる。これはその送別の果たし合いらしかった。


「本当に行っちまうのか」

「ああ。今日からお前が番を張れよ」

「……あたしでいいのか?」

「てめえ以外に誰がいんだよ」


 と、雪路も手を差しだす。


「白瀬……」


 ふたりはがっちりと手を握った。


 その瞬間――。


「は???」


 高嶺の身体がふわりと浮きあがり、


「ごはあっ!?」


 地面に叩きつけられた。


「ええ……?」


 ――喧嘩から友情が芽生える場面じゃないの……?


 俺はドン引きした。


 雪路はぱんぱんと手を払う。


「詰めが甘え」

「白瀬……、白瀬ぇ……!」


 震える脚でなんとか立ちあがる。


「よしよし、馬鹿みたいに打たれ強いのがてめえのいいところだ」

「てめえに褒められても嬉しくねえ!」

「べつに褒めてねえよ。いいサンドバッグだっつってんだ」

「ぜ、絶対お礼参りに行くからな! 覚えてろよ!」

「あたしはもう足を洗うって言っただろ。高……、高橋……?」

「覚えろよ!」


 高嶺は仲間たちを起こそうとするが、彼女自身の足どりもおぼつかない。


「大丈夫ですか?」


 俺は声をかけた。


「ああん!? 全然なんともねえろ!」

「ろれつ怪しくなってますけど……」

「っつかてめえ何者なにもんだよ。冴えねえ顔しやがって」


 ――ほっといてくれ……。


 自覚はある。


 俺は顎をしゃくって雪路を示した。


「こいつのちょっとした知りあいです。喧嘩を止めに来たんですけど、俺が間にあえばここまでは――」

「止めに、来た、だと……?」


 高嶺の目が大きく見開く。


「ま、まさか……、てめえが――いや、あんたが白瀬のお目付役……?」

「まあ、不本意ながら」

「あ、あ……」


 がくがくと震えながら後ずさる。


「おめえら! とっとと起きろ! 逃げるぞ!」


 さきほどまでの弱りようが嘘のように走り回り、仲間たちを助け起こす。


「早く起きろ馬鹿! バラされて売られるぞ!」

「いや、そんな怖いことしない――」

「ひぃ!? しゃべった!!」


 いや、そりゃしゃべりはするだろ。


「さーせんでした!」


 高嶺たちはいっせいに頭を下げ、よろめきながら走り去った。


 雪路の高笑いが響く。それは逃げた彼女らにではなく俺に向けられたものだった。


「めちゃくちゃビビられてんな!」


 と、口元に拳を当て、顔をそむけるようにして肩を揺らす。彼女の笑うときの癖だ。


「お前のせいだろ……」


 小学校のころからの腐れ縁。そのころから俺は、やんちゃな行動ばかりの雪路を止める役目だった。


 鬼神のような雪路は、なぜか俺の言うことだけは聞く。周囲の期待もあり、俺は彼女のストッパー役を渋々やっていた。


 しかしそのせいで、


『あの鬼神を操る陰の権力者がいるらしい』


 などと噂が広がり、俺は『裏番長』『フィクサー』『インテリヤ○ザ』などと根も葉もない異名をつけられていた。


「俺はただの勤勉な中学三年生なのに」

「もう卒業したけどな」


 雪路はあくびをした。


「眠ぃ。帰ろうぜ」


 さっさと歩いていく。


 ――自由な奴……。


 雪路の斜め後ろを黙って歩いていると彼女が言った。


「お前んちもそろそろ引っ越すんだろ?」

「ああ。ようやく田舎を離れられる」


 そう、ようやく。


 俺の家系は女が強い。母は腕力が強く、姉は口論が強く、従妹は気が強く、祖母はすべてが強い。男連中はいつも肩身のせまい思いをしていた。


 だから俺はここから逃げだすために努力した。その結果、遠方にある有名私立高校の特待生の座を得たのだ。


 高校合格でお祭り騒ぎの女たちを尻目に、立場を同じにする父と俺は静かにうなずき合い、喜びを分かちあったのだった。


「浮かれてんな」

「そりゃ浮かれもする」


 その高校は有名私立ということもあり、裕福な家庭の子が多いと聞く。俺の妙な噂を知っている人間もいないし、そうすれば清楚でおしとやかな女子と仲よくなって甘酸っぱい青春を――。


「だからって彼女ができるわけじゃねえぞ?」

「なん……!」


 雪路はにやにやと笑っている。


「そんなこと考えてない」

「嘘つくなって。前に言ってたじゃねえか。『俺がモテないのは環境のせいだ!』とかなんとか」

「それは事実だろ!」


 風評被害を受けているんだから。


「レッテルがなくなっても、残るのはただの湊人だぞ?」

「ただの湊人ってなんだよ!」

「『清楚でおしとやかな女子』がお前を好きになるわけねえだろ」

「ぐぅ……!」


 それは以前、友達に、


『雪路ちゃんと付きあってるんだろ?』


 と茶化されたとき、俺が放ったセリフだった。


『誰がこんな暴力女と! 俺は清楚でおしとやかな女子が好きなの!』


 ――昔のことをいつまでも覚えてやがって……。


 これだから腐れ縁は。


「そんなの分かんないだろ。そのうちかぼちゃの馬車に乗ったお姫様が俺のもとに現れるかもしれない」


 雪路はやれやれとかぶりを振った。


「なんだよかぼちゃって。せめてもう少し現実的な夢を見ろよ」

「いいだろべつに。女だって『いつか白馬に乗った王子様が迎えにくるかも』とか言ってるじゃないか!」

「一部だろ」

「夢を見るのは!! 自由だろおがあああ!!!」

「うるせ……。はいはい、悪かったよ」


 雪路は明後日の方向を見て、ぼそぼそと言った。


「まあでも、現れるかもな。――三年後くらいに」


 俺は彼女の背中をまじまじと見た。


 ――やけに具体的な数字だな……。


「……まさかお前」


 雪路は黙っている。


「俺のこと好きな奴を知ってるのか!? 誰だ! 言え! 今すぐ吐け!」


 俺は雪路に詰め寄った。


「う、うるせえな、取り調べかよ!」

「すまん、トラウマを掘り起こして」

「取り調べを受けたことはねえよ!!」

「というか本当に知ってるのか? 知ってるんだろ? 教えろよ! 教えてくださいお願いします」


 俺は雪路の前に出た土下座した。彼女は心底あきれたような声で言う。


「プライドの欠片もねえな……。――知ってても言うか馬鹿」

「なんだ、でまかせかよ」


 俺は立ちあがり、膝を払った。


「最初からそう思っていたがな」

「そんな感じじゃなかったろ!?」

「最後まで俺を振り回しやがって」


 今度は俺が前を歩く。しかし雪路がついてくるはない。振りかえると、彼女はうつむき加減でたたずんでいた。


「どうした?」


 返事もない。


「もしかして怪我でもしてたのか?」

「……とな」

「え?」


 雪路は大きく息を吸い、言った。


「ありがとな」

「? なにが」

「今までいろいろ迷惑をかけたから」

「……」


 ――……は?


 まさかの反省の弁に、うまく言葉が出てこない。


「湊人との七年間、あたしはけっこう楽しかった」


 と、鼻をすする。


「寂しく、なるな……」


 震える声。もしかして、ちょっと泣いてるのか?


 なんだか俺も胸がつまる。鼻がつんとする。


「俺も、なんだかんだ言って、けっこう楽しかっ――」

「なーんてな! 嘘だよヴァアアアカ!!!」


 雪路はかっかと笑った。


「……は?」

「まったく寂しくねえわ。むしろ小うるさい奴と離れられて清々するってんだよ、このガリ勉眼鏡!」


 べえっと舌を出す。その豹変ぶりに俺はしばらく唖然とした。


「こ、こっちだってお前みたいな重荷から解放されて晴れやかな気分だよ!」

「はっ、そりゃ気が合うな」

「本当だな!」


 しばしにらみ合い、「ふんっ」と同時に顔をそむけた。


 ――なんだよ! 本当にちょっと……、ちょっとだけぐっと来たのに……!


 所詮は腐れ縁。こいつとのあいだにウェットな感情など芽生えるわけもないのだ。


「おら、帰るんだろ」


 雪路は俺を追い越して歩いていった。ポケットに手を突っこみ、少し猫背になって歩く後ろ姿を呆れ半分腹立たしさ半分の気持ちで見る。


 ――まったく……。


 本当に最後の最後まで俺を振り回しやがって。


 俺はリュックを背負いなおし、雪路のあとを追った。

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