第2話 市街戦

 セントバーグの国際空港は、前日から断続的なミサイル攻撃を受けて薄い黒煙を上げていた。駅には国外に避難しようとする国民が詰めかけ、同様に、フチン共和国以外の国々へ通じる国道には、避難しようという車が列をなしていた。それらを除けば、セントバーグの街は平穏で、すれ違う市民は穏やかな足取りをしていた。


 アテナはスマホのナビを頼りに市庁舎を訪ねた。多くの市民が国を守るために集まっていた。


「国防軍、参加希望ですね。戦闘訓練の経験は?」


 窓口の係員は無表情だった。


「ありません。でも、健康です。力もあります」


 アテナが拳を作って見せると、係員が疑うような瞳でじっと見てくる。


「昨日、家族がミサイルの犠牲になりました。私には守る家族がありません。だから、国を守りたい」


「そうでしたか。ご愁傷しゅうしょうさまです」


 係員は書類に採用のスタンプを押し、次の窓口に進むように促した。そうして配属されたのは、攻撃のための部隊ではなく、人員が10名ほどの小さな輸送部隊だった。


「アテナ、よく志願してくれた。リーダーのカールだ」


 巨漢の上官が握手を求めた。知的な青い瞳と握った時の厚みのある手のひらに信頼を覚えた。


「ミールから来ました」


「小さな町だったな。確か、ミサイルが落ちた……」


「はい。家族が死にました」


「そうか、残念だったな。しかし、クヨクヨしている暇はないぞ。これからは同情もしない。我々は、いつも死と隣り合わせだ」


 彼の眼が、アテナの覚悟を探っていた。


「もちろん、そのつもりです」


「それにしては浮かない顔をしているな」


「最前線に行けると思っていたものですから……」


 アテナは地下倉庫のコンクリートの天井に目をやった。


「最前線にも行くさ。そこに弾薬や食料、医薬品を供給するのが我々の任務だからな。陣地にこもっている兵隊より、移動している我々の方が空から目に止まりやすい。決して安全な仕事ではないぞ」


 教えられ、なるほど、とアテナは納得した。


「クリス!」


 彼がトラックに弾薬を積みこんでいる女性を呼び、アテナをロッカールームに連れて行くように命じた。


 クリスはその年に入隊したばかりの正規の軍人だった。身長はアテナより高かったが、身体は細く、まるでバレリーナのようだった。


「怖くない?」


 軍服に着替えるアテナに向かってクリスが訊いた。


「怖い?」


 アテナは首をひねった。昨日はそんな感覚があっが、今となっては乾いた記憶に過ぎない。


「そんなものは昨日忘れたわ」


「ふーん、羨ましい……」


 彼女は仕事がないので軍隊に入ったが、半年近い訓練を受けても今は怖いと話した。


「これをつけて。インカムよ。通信範囲は平地で300メートル。建物内では100メートルぐらいかしら」


 無線機を胸のポケットに入れてイヤフォンを装着した。


 着替えをすませて倉庫に戻ると、すぐに出発すると告げられた。差し出された自動小銃の重量に驚き、思わず両手で抱えた。これが命を奪う道具なのだ。そう考えると身の引き締まる思いだ。


「すぐに出るぞ。敵が空港に下りて戦闘になっている。クリス、トラックの中で使い方を教えてやれ」


 カールの指示で2人は迷彩色の軍用トラックに向かった。荷台にいた男性が手を差し伸べて引き上げてくれた。天井は、ちょうどアテナの背丈ほどの高さがあった。背の高い男性やクリスは腰をかがめて動いた。荷台の左右には人が座るためのシートがあって、通路の前半分ほどに木箱やプラスチックケースが積んであった。


 アテナは、クリスに指示されたシートに座った。すわり心地の悪い、硬いシートだった。隣にクリスが座り、正面に筒状の武器を抱え込んだ男性が2人。ひとりは荷台に引き上げてくれた兵隊だ。アテナには、2人とも自分より若いように感じた。


「ミハイルだ」


「俺はブロス」


 彼らが出発前の緊張をぎこちない笑みで覆った。


「アテナです。よろしく」


『行くぞ』


 インカムからカールの声がする。


「了解、後ろは大丈夫」


 ミハイルが答えるとトラックが動き出す。アテナは後続のトラックに眼をやった。わずかな距離を取って、それも動き出した。


「これはフチン製の自動小銃。使いやすく壊れにくいのが特徴ね」


 アテナの隣に掛けたクリスが安全装置の操作や撃ち方、弾倉の脱着方法などを説明した。すべてを話すのに5分も要しなかった。


「使わなくて済むといいな」


 ブロスが言った。


「そっちは?」


 アテナはブロスが抱えている筒状の武器を指した。


「隣国から提供された携帯式のミサイルランチャーだ。なかなかの性能らしい。俺たちを襲ってくるとしたらヘリかドローンだからな。その時はこれで撃ち落とす」


 ブロスの返事はとても心強いものだった。


 少し西に傾いた太陽の下、舗装道路を爆走するトラック。普段なら海外旅行に向かう家族やビジネスマンがワクワクしながら走る道を、荷台の4人は無言で運ばれていた。エンジン音と、徐々に近づく爆発音がいやおうなしに緊張を高めていた。それに耐えかねたクリスが口を開く。


「大統領の演説、見た?」


「いいえ」


 アテナは首を左右に振った。政治家には何も期待しないことに決めていた。


「見てよ」


 クリスがスマホを出した。


「おい。規則違反だぞ」


 ミハイルが注意したが彼女は無視した。


 スマホの中の大統領は軍服姿で疲れた顔をしていた。わずかだが無精ひげも伸びている。


『今朝、我々はひとりで国を守っている状況だ。昨日と同様、世界で最も強力な国は遠くから傍観している……』


 彼は世界一の軍事国家、ライス民主共和国を名指しせずに批判していた。アテナも彼の国が介入したならフチン共和国も撤退するのではないかと思った。いかに暴君イワン大統領も、世界大戦の根源という不名誉は望まないだろう。


『……フチン共和国への経済制裁は科されたが、これだけでは外国の兵士を我々の土地から追い出すのに十分ではない。それは世界各国の団結と決意によってのみ達成できる。ユウケイ国民は抵抗を続け、真の英雄的行為を示している……』


 大統領は国防軍を鼓舞し、国民を称え、世界各国に協力を求めていた。


「これで外国は支援に回ってくれるの?」


 アテナは、クリスに、そしてミハイルとブロスに向かって尋ねた。


「さあな」


 ミハイルが答えた。ブロスとクリスは何も言わなかった。


 ――ドーン……、小さな爆発音がする。


『見つかったぞ。4時方向にヘリ!』


 誰のものかわからない興奮気味な声がした。


『戦闘用意』


 カールの冷静な声がすると、ミハイルとブロスがミサイルランチャーを握りなおした。


 アテナは後の開口部から空を見たが、ヘリコプターは見えなかった。後続のトラックが距離を取って蛇行している。


「任せろ」


 ミハイルがシートの下から木箱を引っ張り出して通路に置き、上部の天蓋てんがい部分をスライドさせて箱に乗る。木箱が動かないようにブロスが支えた。


「落としてよ」


 クリスが祈るように両手を合わせた。


 上半身をトラックの上部から出したミハイルが、ミサイルランチャーを構える。


「落ちやがれ」


 彼は叫んだが、その声をアテナが聞くことはなかった。


 ――ドシュ……、と鈍い発射を残してミサイルが飛んでいく。アテナは、その光跡を一瞬だけ見ることができた。


『ヒュー、撃破。よくやった!』


 カールの、歓声にも近い声がした。


 箱から降りたミハイルが親指を立てて笑った。


『5時方向に1機』


 別の声がする。


「今度は俺が」


 ブロスが意気込んで箱に乗る。彼がミサイルランチャーを構えるより早く、『撃墜。俺がやったぜ』と後ろを走っているトラックの兵隊の声がした。


つかまれ、揺れるぞ』


 カールの声と同時に道を外れたトラックが弾んだ。


「ひどいな」


 箱から下りたブロスが愚痴り、ドスンとシートに腰を落とした。脇腹を天井のフレームにぶつけたらしく、顔を歪めて擦った。


「生きているんだ。少しの痛みぐらいがまんしろ」


 ミハイルが笑った。


 トラックは閑散とした針葉樹の木立の中を左右に揺れながら走り、ほどなく道路に戻った。そうして停車したのは低いビルに囲まれた狭い道だった。


 ミハイルとブロスが荷台から飛び降り、を下げる。


「アテナ、弾薬を降ろすわよ」


 クリスに促されて荷台の前部に動いた。ミサイルの入ったプラスチック製のケースを2人で持ち上げて後部に運ぶ。それをミハイルとブロスが建物の内部に運んだ。すぐにカールや運転手もやってきて運搬に加わった。


 荷物を降ろし終えたころ、空に航空機の姿はなく、ミサイルや重砲の炸裂音が轟くこともなかった。ただ、自動小銃の発砲音が散発的に虚しく鳴っていた。


「どうやら守りきれたようだな」


 カールが判断して握り拳を差し出し、隊員たちとぶつけ合った。最後に拳を当てたアテナの脳裏にマリアの顔が浮かび、乾いた涙がこぼれた。


 陣地の守備隊長がやってきて「俺たちは強いぞ」と勇ましく言った。


 帰りは負傷者と捕虜を連れ帰ることになった。アテナのトラックには自軍の負傷者を2人乗せた。ミサイルの破片がいくつか、彼の肉体に食い込んでいた。


「痛いか?」


 ミハイルが訊く。


「痛いに決まっているだろう」


 負傷者のひとりが顔をゆがめた。別のひとりは重傷で、口を利くことさえできなかった。


 アテナは捕虜のことを思った。同じトラックでなくてよかったと思う。目の前にいたら殺したくなっただろう。家族のかたきなのだから……。


 基地に戻って負傷者を降ろすと、再び弾薬を積んで別の前線に運んだ。今度は敵と遭遇することはなかった。


「いつもこんなだったらいいのに」


 クリスが言う。


「一昨日までは、そうだったのよ」


 アテナはミールの古い商店街の景色を思い出していた。たった2日しかたっていないのに、とても懐かしく感じた。


 夕方、大統領が軍に武装解除の命令を出した、という噂がネットに流れていた。荷物を降ろし終えたクリスがそれを見つけて声を上げると、ミハイルやブロスの顔にも動揺の色が浮かんだ。


「カール、どういうこと?」


 スマホを片手にクリスが訊いた。


「だから、スマホを使うなと言っただろう。武装解除なんて命令は出ていない。敵の揺動作戦だ。俺たちはフチン軍が撤退するまで戦う」


 カールが断言し、動揺していた部下を安堵させた。


 夜はトラックのヘッドライトが標的になるので仕事はなかった。


 慣れない仕事でひどく疲れを感じていたが、簡易ベッドに横になっても容易に眠れなかった。隣のクリスが、大統領がメッセージを発信している、と言うので彼女のスマホに目をやった。


『我々は皆ここにいる。軍はここにいる。社会の市民もここにいる。皆、我々の独立と国を守るためにここにとどまる。軍に武器を捨てるよう命令したとの情報がネットで流れているが、フェイクニュースだ。我々が武器を捨てることはない。我々は、我々の土地、国、子どもたちを守る』


 自撮りする彼の背後には数名の大臣が並んでいる。背景は夜の議事堂だった。


「嬉しいわ」


 クリスが瞳を潤ませていた。アテナは何も言わなかった。ただ、彼が逃げ出さず、同じ街の空の下にいることに胸を打たれた。


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