🔳第二幕🔳「色目と表沙汰」|語り:真間 塁|

第9話 目薬

【夏梅の火傷や傷も治まって来た頃…】


「凄いものを見せてやろうか?」


 また何か新しい遊びを考え付いたのか?蒲は楽しそうに天十郎をみたが、そっぽをむいたまま、振り向きもしない。


「凄いって言われて、凄かった試しがないからな」

「人類がどういう成り立ちが教えてやるよ」


「なんだ?それ?大げさだな」


 蒲はいつものようにニヤニヤしながら、

「おい、美術館行こうか?モネ好きだろ?」夏梅に振ったが夏梅はボーとしている。


 そして、また天十郎の方を見ると

「おい、天十郎、美術館で見つかると、まずいのか?」


「まずいに決まっている」

「だから、複数で行く方がいいだろ?」


「どういう理屈だ。ないだろ。それに俺、印象画のようなもの好きじゃない。ニューヨークのメトロポリタンにあった宗教画や肖像画みたいに、他を圧倒する勢いのあるものが好きだ」

「権力志向か?」


「そうかも、それが問題あるか?」

「いや、問題はないよ。でも、夏梅が好きだから行こう」


「なんだよ、結局、あいつがらみかよ。モネなんか人が多すぎるから嫌だよ」

「まあ、おもしろいものが見えるから行こう」


 夏梅は、二人の会話が聞こえたのか「モネか~」と言いながら二階へあがった。


 しばらくして二人の前に現れた夏梅は、いつも来ている下着に、天十郎のぶかぶかのセーターに、腰巻スカートで姿を現した。ぶかぶかのセーターは片方の肩がずれ落ちている。


「お前、珍しくスカートなんか履いてるが、ひょっとしてめかしたつもりか?あー俺のセーターが、ボロ雑巾に見える」

 あまりのみすぼらしさに、天十郎は、ため息をついた。


「おい、顔洗ったのか?」

 問いかけると夏梅は、天十郎を見ずに、こくっと頷いた。


「目が空いてないぞ」半分しか開いていない目は、明らかにまだ寝ていることを物語っている。


「そこまでして、モネを見たいのか?」

「うん」

 無表情に答える夏梅の可愛い寝ぼけ姿に、僕は思わず笑みがこぼれた。


 天十郎はガサガサとポケットから目薬を探し出し、夏梅に差しだした。


「うん?何?」


「一緒に行く人に失礼だろ?目薬でも差して目くらい開けろ」

 天十郎も優しいところがあるものだと少し感心していたが、それよりも夏梅が寝ぼけて目薬を受け取ったのである。


 小さい頃、目の前で蒲が振り回したハサミの先がそれて、僕を傷つけた。それ以来、目近くにものがあるのは非常に嫌がる。目薬もひどく苦手のはずだが…。様子を見ていると、案の定、受け取った目薬をさしてはいるが、一滴も目に入らない。


 本人はさしたつもりになっているようだが、無意識に目に異物を入れる事を拒否しているようで、顔じゅう目薬だらけだ、夏梅は顔に溜まっている目薬を手で吹き払っているが、払いきれない目薬が垂れて洋服まで濡れている。


「おい、蒲、夏梅に目薬は無理だぞ」と、僕が声をかけると、蒲が振り返った。それにつられて天十郎も振り返った。


「あ~あ」天十郎が夏梅の悲惨な状況に呆れ返っていると「どうしてそうなんだ」蒲がティッシュペーパーの箱を掴んだ。


 それをみた天十郎が慌てて、そのティッシュペーパーの箱を蒲からもぎ取るように奪い「むかつく」と夏梅の首を抱え込み、押さえつけてティッシュペーパーで顔を拭き始めた。


「なにすんだよ」夏梅が天十郎の袖を引っ張り、取っ組み合いの喧嘩のようになった。


 驚いている僕らをよそに「離せ」叫んでいる夏梅を押さえつけて、天十郎は夏梅の顔や洋服をティッシュペーパーで拭き、目薬を差した途端に「ギャー」と夏梅が声をあげ、天十郎を跳ねのけた。





【そのまま洗面所に駆け込んだ】


 僕は急いで、夏梅の後を追った。夏梅は水道水で目を洗うと、またギャーと叫ぶ。「何をしたのだ」蒲の声がすると「最強クール」と嬉しそうにクックと笑う天十郎との会話が聞こえる。


「ただでさえ、目薬が苦手なのに」僕は深くため息をついた。





【リビングに戻ると】


 夏梅はすっかりへそを曲げて「もう行かない」と言い出した。蒲が優しく「キウイを買ってやるから」と食べ物で釣り始めた。「そんな奴に買わなくていい」天十郎が突っぱねている。


 蒲が夏梅に優しく話しかければ、かけるほど天十郎は強く反発する。まったく騒がしい。散々、やりとりした挙句、キウイ十個で夏梅が妥協した。夏梅は結構安上がりだ。


 それから、美術館に着くまでの間、車中で二人は、険悪な雰囲気の中、幼稚園児の喧嘩のように、こっちに寄るな、見るな、話しかけるなというレベルの戦いが続いた。





【美術館に着くと】


 蒲は、夏梅の後ろについて、「段差」、「階段」、「右」、「左」、「赤」、「青」、「行く」、「止まれ」と、いちいち夏梅の行動に指示をしている。この間、黒川氏の美容室に行くときも、蒲がそばについて同じように指示して歩いていた。天十郎はそれが、とても気に入らないようだ。


「蒲、なにをやっている。ほっとけよ。大人なのだから一人で歩けるよ」

「放置すると怪我するから」

 蒲は普通の事のように言った。その事でさらに天十郎が苛立つ。


「ぼーとして歩いている方が悪い。夏梅が自分の足元を自分で確認すればいいだけだろ?」

「だめだって、怪我すると面倒だから」蒲は僕をちらっとみた。


「まったく、どうしてダメなのだ」


「足元が見えないからだ」夏梅がぶっきらぼうに突き放すように言うと、子供がお菓子をもらったみたいに、天十郎が、はしゃぎ始めた。


「なに?」

「足元が見えないの」


「なに?バル乳で見えないのか?」天十郎が呆れ返った。

「バル乳っていうな!」


 夏梅は、帽子をかぶりサングラスをする天十郎の後ろに張り付き、歩きながら後ろから帽子やサングラスをわざと落とし、反撃に出た。サングラスを拾おうとすると、帽子を落とし、わざわざ丁寧に踏みつけて汚してニタリと笑う。


 よろよろと時々転びながら、いつもの夏梅とは違った行動に出ている。最初は夏梅の洋服の裾を持って、後ろから指示しよろける夏梅を助けていた蒲が、低レベルの戦いを繰り広げている二人から、いつの間にか気が付かれないようにそうっと離れている。


 今まで、夏梅が嫌がっている胸の事を露骨に言葉にする人がいなかったせいか、かなり夏梅が頭に来ているようだった。戦いは駐車場から美術館の入場口まで続いた。


 モネはいつも人気だ。平日だが、発券売り場から入場口まで並んでいる。


 蒲は、それを見ると夏梅に合図した。夏梅はその合図に、蒲の腕の中に入っていった。天十郎はそれを見てさらにイライラしているが、蒲が天十郎にやめろと目配せすると静かになった。自分の立場もあるからだろう、割と素直だ。


 二人共、入場の列に並んでいる間にクールダウンしていた。入場すると、蒲が不満そうな天十郎に小さく、ささやいた。

「絵は見なくてもいいから、夏梅から目を離すな」


「なんでだよ」

「今日は面白いものを見に来たのだろ?」


「ちっとも面白くない」

「まあ、これから面白いものを見る事が出来る」





【館内で】


 夏梅が絵画に夢中になり出すと、蒲はそっと絵画鑑賞の列から天十郎を連れて離れた。天十郎と蒲が後ろを振り返った瞬間に、さっきまで女性客の方が多い印象だったのが、夏梅は男性に囲まれていた。それも何気なく、近寄って来る。


 夏梅は絵に夢中になっているが、無意識なのだろうか?腕を前で組み肩をすぼめて小さくなって、人とぶつからないようにアンテナを張っている仕草をしている。止まっている夏梅にも沢山の男たちが、すれ違い間際に胸をめがけて接触を試みる。男性たちの顔をみると、夏梅をチラ見し、狙っているというより、引き寄せられているようなイメージを受ける。


「なんだ?」その様子に天十郎が驚いていると「まだだ」蒲が天十郎に言った。周囲が男性だらけと気づいた夏梅は、女性が多い集団の方に移動すると、まるでハーメルンの笛吹き男に子供達がついていくように、ふらふらと夏梅の後を着いて行く男達。


「凄いな、聞きしに勝るとはこの事だな…」天十郎が唖然としている。

「凄いだろ?」


「あんなボロボロ、ブカブカのセーターで巨乳だって、はた目からわからない、風船に手足が生えているようなのに、どうしてわかる?」


「不思議だろ、あいつは雄を刺激する何かを持っている」蒲は満足げだ。


 そのとき、一人の男が夏梅に近寄ってぶつかりそうになった。夏梅は身構える事もなくひらりと交わした。それを皮切りに何人もの男達が夏梅に向かって動き出した。


 その男達は何気なく夏梅に接触しようと肩や胸に向かって手を伸ばしたが、男達の伸ばした手は夏梅に届かずに空を掴む。


 夏梅は顔色一つ変えずに、ゆっくり歩きながら回転したり横によけたり頭を下げたり、無表情のまま羽毛のようにゆらゆらと、男達をかわしていく。

 

 その様子を棒立ちになって天十郎は見ていた。蒲が「おい」声をかけると、我に返って興奮気味に天十郎は蒲に抱きつくように顔を寄せると。


「こんな状況を初めてみた」目を輝かせている。


 こいつ…面白がっている?僕はとても不愉快だった。


「いや、これは凄いとか言う言葉はすでに当てはまらない。不思議だ?絶対に打たれない映画の主人公みたいだ。あんなにかわせるものなのか?アクション映画みたいだ。いや、映画より面白い」


 アクションなんかしてないよ。誰も暴力を振るっていないし…。初めて見る天十郎にはそうやって見えるのか…。僕は胸に詰まるものがあった。


 夏梅はこうやって生きているだけだ。一歩外に出ればこの状態なのだ。だから一人で外出は出来ない。他人には面白い光景でも本人にとっては最悪の状況だ。雄が本気を出したら女性が勝てるわけはない。まして理性が効いていない状況では尚更だ。


 その状況で、夏梅は雄に捕まってはならない事を本能的に知っている。下手に嫌がったり、避けたり、気持ちが負けたり、反撃したりして騒げば、返って雄を刺激してしまう事も経験として知っているのだ。


 他人にとっては面白い事が夏梅の命や人生がかかっている。夏梅の周囲の男性達の目がぶつかりあいだして互いに意識を始めた。流石に男の天十郎は状況を理解し始めたようだ。


 その男達の様子に天十郎は、蒲に不安そうに

「おい、そろそろ夏梅を助け出さないと、男同士の小競り合いが始まる気配がする」

「ああそうだな、そろそろ助けないと」


 蒲が夏梅に近寄って、腕を取ると集団の中にいた夏梅を引き抜いた。男性たちの視線が一斉に蒲に集まった。まるで自分のおもちゃを取られた子供のように、不愉快そうに見ている。


 視線が突き刺さる。天十郎はその様子をみて、注目している男達の目の前で、突然に蒲から夏梅を取り上げ、抱きしめながら自分のからだを夏梅に密着させ、こすり始めた。周囲の男達の視線はさらにきつくなる。


「何をやっている」蒲が鋭く天十郎に言葉を打ち付けた。


「マーキング」天十郎は能天気に笑った。

「はぁ?」


「俺のフェロモンをなすりつけて、マーキングしたら、他の男はよって来ないかも」


「やめてよ」天十郎を引き離そうと、もがく夏梅だが、傍から見ると、飼い主にベタベタとしつこく、なついている愛玩動物と、その愛情表現にうんざりしている飼い主のように見える。


「おい」蒲と僕は同時に怒鳴った。


「やめろ、油に火を注ぐのは、やめろ」引き続き蒲が怒鳴った。


 天十郎は嬉しそうに蒲を見ている。蒲はすぐに夏梅の横に張り付き、天十郎の反対側で夏梅を挟んだ。


 夏梅はその二人を鬱々した視線で抗議している。

「まだ、モネ見てない~」


「今度な」

「いやだ、高い入場料払ったのだから、モネだけでも見たい~、モネを見たい。一人で帰る」


「こんな人ごみの中で一人では帰れないだろ、蒲、責任取れよ」

 僕は蒲に強く言った。


「はいはい、モネだけ見てこうね。天十郎はやりすぎだ!」蒲はぶつくさと言っていたが、天十郎と蒲の両脇に抱えられて、足が地面に着かずに宙に浮いている夏梅を挟んで天十郎と蒲がいちゃつきだした。


「蒲、嫌だぜ、こんなところで揉め事は、やつらの目を見ただろ?完全にいっているよ」天十郎が蒲に甘えた声を出した。

「そういうお前が揉め事を大きくしている」


「そうか?いいアイデアだと思ったが」

「天十郎、俺に殺されたいか?」


「二人共、何言っているの。止まってないでモネのところに行ってよ」

「はい、はい」


 蒲と天十郎は男性の集団を引き連れたまま、移動しようとしたところ、後ろの方から…



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