4

 奇怪なオブジェと化していた、爆裂少年の時間が巻き戻っていく。


 砕けた骨は元の形になり、

 血煙はあつまって元の血液に、

 長く伸びていた腸はみるみるとまとまって、

 弾けた顔は逆回しに、

 目玉が飛び出た見覚えのある状態に戻った。


「アハハハハハハハハ!! アハハハハハハハハハハ!!」


 伊坂宗一郎の哄笑。


 指揮を取るように両手を振りかざす……しかし、まるで様になっていない。

 これで本人は優雅な振る舞いができているつもりなのだろうか。

 きっとそうなのだろう――伊坂は満足げに、興奮で赤らんだ表情を笑みの形に歪めている。


 爆裂少年はさらに、シュルシュルと巻き戻っていく。

 弾け飛んでいたボタン類も集まって、破けていた衣服もつながり、どこか滑稽な人間アドバルーンに戻ると、今度は空気が抜けるように体が縮み始めた。


 視神経でつながっていただけのデロンとした目玉もいつの間にか元通りだ。


 もとの……かどうかは、少年のことを知らなかったのでわからなかったが、中肉中背の姿に戻ると、そのまま床にドサリと落下した。


「いてっ」


 少年が小さな悲鳴をあげた。

 なんて間抜けで日常的な――場違い感も甚だしい声だった。


 元爆裂少年は「なに? どういう状況?」みたいな顔でキョロキョロ周りを見回している。


 ――完全に元通りだった。


 先ほどまでの姿が衝撃的であればあるほど、正常としか言いようのない少年の姿が、むしろ異常に見えた。


 観客たちも、身じろぎひとつできずに、少年を凝視し、見開いた目を離せずにいた。


「アハハハ、ハハハ……ハハハ……ふぅ……」


 伊坂はようやく哄笑を止めると、スーツ――ひどく安っぽいグレーのスーツだ――の裾を掴み、パン、と引っ張って整える。


「諸君、その目に焼き付けたかね?」


 相変わらず不自然によく通る声で伊坂は言った。


「もはや、我々を止めるものたちは死んだ。いまこの時より、我々は我々の思う全てを、我々の思う通りに使役して良いのだよ。――時間や、人の生死すらも、我々を支配できない」


 そう言って、首を憂鬱げに左右に振って見せる。


「物理法則の支配は、もう何千年も続いてきた。我々は隷属させられている事実にすら気づかず、ずっと奴隷として支配され続けてきた。だが、諸君らの目覚めの時も近い――しかし、私は一足先に行かせてもらうよ?」


 伊坂はそう言って、出口へ向かって一歩、足を踏み出す。


「きゃっ」といった悲鳴が上がる。

 考えてみれば、伊坂はずっとその場所から一歩も動いていなかった。


 伊坂は精一杯胸を張り、堂々と――それでも俺から見ればひどく見窄らしく見えるが、本人は威風堂々のつもりなのだろう――ゆっくりと歩き始める。


「「「「キャーーーー!!!!」」」」


 伊坂の向かう先にいた生徒たちは、来ないで、殺さないで、と悲鳴を上げた。

 あっという間に生徒も教師も再び恐慌状態に陥った。


 そんな中、爆裂少年だけは状況を把握しておらず、「は? 何言ってんだこのおっさん」みたいなことを言っている。


 伊坂が近くまで来れば、モーセのように人の海は割れ、一本の道になる。


 伊坂は満足げに鷹揚にうなずいた。


「さあ、私はもう行くよ。もし私の邪魔をする者がいれば……次は時間を止めたりしないよ」


 悠々と歩いて、出口のドアに手をかける。

 あれだけガッチリと固定されていたはずのドアがあっさりと開く。


「おっと、忘れていた」


 伊坂は、わざとらしく肩をすくめ皆の顔を見回した。


「別れの挨拶がわりに、ひとつ質問を残しておこう」


 どの生徒もガタガタと震えて、まともな精神状態ではなかった。

 この期に及んで、何を言い出すのか。


 伊坂は言った。


「諸君たちは、物理限界を超えられると知って、何を求める? ――諸君たちの魂の選択を、私は楽しみにしているよ」


 その言葉を最後に、伊坂はフッと様にならない笑顔を見せ、悠々とそこを立ち去った。



 出ていこうとする者は伊坂以外誰もいなかった。


 ▽


 それからは阿鼻叫喚――我に返った社会教師が静かにするように怒鳴っているが、何の威厳もなかった。


 気を失った生徒、焦点の定まらない目で棒立ちの生徒、急にイキリ立つヤンキーたち、座り込んで号泣する生徒などさまざまだ。


 爆散少年だけが何が起きたかわかっていない様子で、教師に無理やり保健室に連れて行かれながら「何ともねぇよ!」などと叫んでいる。


 そのほかの生徒は体育館からの退室を止められ、まだ動ける精神状態の教師たち数人がなにやら話し合っている――生徒たちを解放すれば、何がどうなるかわからないのだから当然だろう。

 と言っても、話し合いができる教師はまだマシだ。

 気絶している教師が半分、そうでなくともバケツに向かって吐いている教師なども多く、この場にいるほとんどの大人がまともに行動できる状態ではなかった。



 誰が連絡したのか、パトカーのけたたましいサイレンが近づいてくる。


 おそらく「校内でテロがあった」とでも連絡したのか、ひどく緊張した様子の警官たちが現れる。

 警官の姿を見て安心したのか、ワッと泣き出す生徒も多い――普段強がっている連中も、なんだかんだと警察を頼りに思っているらしい。



 しかし、誰も状況を説明できなかった。



 これだけ生徒がいるのだ。

 一人くらい動画や写真を撮影してるやつがいそうなものなのに、何一つ証拠は残っていなかった。

 人間は衝撃が過ぎると、なかなかそんな気にはなれないらしい。

 事故を見かけたら平気でスマホを向けて撮影するようなクソ連中も、自分が当事者になれば SNS どころではないのだろう。


 生徒たちが解散されたのは、救急車が大挙して学校にやってきてからのことだった。


 終わってみれば――たった10分にも満たない出来事だった。


 ▽


 当然ながら精神を病む者が続出した。

 学校がまともに機能するのには、当分かかりそうであった。


 学校には TPSD 対策で10人ちかいカウンセラーが用意されたが、焼石に水なのは火を見るより明らかだった。


 生徒の半数近くがまだ学校を休んでいる――聞けば、個別にカウンセリングやら治療やらが行われているという話だが、実際のところはわからない。


 当然ながら、報道規制が行われたが、事件は中途半端なままニュースで流された。

 週刊誌などがすっぱ抜いたことで、隠しておくことができなくなったのだ。


 学校側は生徒に「この件についてのインタビューには答えてはならない」と厳命したが、そんなものが役に立たないのは分かりきっていた。


 この事件は、あっという間に世間の話題をさらった。


 一部のネットニュースや動画投稿サイトでは、学校で起きたガチの怪奇現象に盛り上がった。


 有名な都市伝説系 YouTuber たちはこぞってこの話題を取り上げ、いろいろな考察がネット中を駆け巡った。

 美術教師 伊坂宗一郎の正体についても、様々な考察が行われた。



 しかし、この事件については、たったひとつたりとも映像すら残っていなかった。

 事件は生徒や教師たちの頭の中に存在するだけなのだ。



 なんの記録もない。

 あるのは記憶だけ。



 世間的には何も起きていないも同然だった。

 あまりに情報が少なすぎて、人々の関心はあっという間に薄れていった。


 ▽


 しかし、記憶は全員の脳にしっかりと刻み込まれている。


 伊坂は「時間も死も自在だ」と言っていたが――それならこの大量の生徒たちの記憶はどうだ?


 これを覚えておきたいなどという酔狂な人間がいるだろうか。


 少なくとも俺は嫌だ。


 吐き気を催すクソみたいなグロ映像も、伊坂の見てるだけで死にたくなるような無様なショーも、そんなもののために俺の脳の一部でも占拠されるのは御免だ。


 なのに、記憶は強制される。

 どんなに忘れたくとも、覚えておくことがどれほどに苦痛であろうと、人の記憶は不可逆だ。


 自由に忘却することはできない。


 本当に人間とは――なんと不出来な存在なのだろうか。

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