始まり ―Trigger―

1

 目を覚ますと、すでに日が傾いていた。


 まだ霞む瞼を開くと、ちらちらと星がまじり始めた、赤と青がうっすら混ざった暗い空が目に飛び込んできた。

 

 少し肌寒い。

 

 周りを見回すと、学校の裏庭だった。

 傾斜がきつくて昼寝には不向きな硬いベンチの上だった。

 バキバキに固まった背中の筋肉に指令を下し、何とか体を起こす。


「……いてて……なんでこんなとこで寝てるんだっけか、俺」

 

 たしか、昼飯(焼きそばパンとジャムパンとカフェオレだ。炭水化物しか食ってねぇな、俺)を食ったあと、強烈な眠気が来て……。

 

「あー、そういや昼くらいになんか寝たわ……」


 この時間まで寝てたってか。

 アホなのか俺は。

 

 まぁ、昨日はめちゃくちゃ夜更かししたからなぁ。

 

「誰か起こしてくれりゃいいのに……って、あーそうか」


 ウチが、歴史ばかりが古い落ち目の学校だからだろうか。

 裏庭はあまり手入れが行き届いていない。

 まるで鬱蒼とした茂みのようで、見通しはあまり良くない。

 そんな場所で隠れるように一人で飯を食ってたんだから、起こしようもない。

 

 一人飯といっても、友達がいないとか、ハブられてるとかじゃないぜ?

 普通に友達はいる。

 多くも少なくもなく。

 普通すぎるくらいに。

 

 ただ……今日は一人だった。


 一人になりたかったのは、俺の問題だ。

 まぁ、たまたまそういう気分––––喧騒を離れたい気分だっただけだ。

 中二病ならぬ高二病ってやつ。

 

 

 こんな気分になることが増えたのは半年ほど前からだ。

 何にでも手を出して、何もかもが中途半端だった自分に嫌気が差して、いっそ全ての努力を放り出したあの日から、こうして言いようもない不安が襲ってくるようになった。

 

 そんな時、俺は一人になりたくなる。

 何者でもなくなったような気がして。

 いや、端から何者でもなかった自分に気づいてしまって。

 

 自己嫌悪というのとはちょっと違って……、俺は何者でもない自分にどこか安心して――そんな気分の時には誰とも会わずに一人で居たくなるのだ。

 

  

 スマホを取り出す。

 7時前だった。

 

 数件のメッセージが通知されている。

 午後の授業をサボったので(サボりたかったわけではないが、結果は同じだ)、心配してくれたんだろう。

 

 俺はそれを読みもせずにポケットに突っ込み直して立ち上がる。

 

「……帰るか」


 帰る前に、荷物が置きっぱなしなので、教室に取りに行かなくては。

 俺は校舎へ向って歩き始めた。

 

 ▽

 

 もう9月も中旬だ。

 季節はすでに秋――7時ともなるとかなり薄暗い。

 

 人の気配のない校舎は非常灯しかついておらず、えらく静かで、肌寒かった。

 

 階段を上って二階へ向かう。

 扉に鍵がかかっていない以上、この階にある職員室にはまだ教師が残っているはずなんだが、なぜこんなに静かなのだろう。


 あまり気にもせず、階段を上る。

 2年生の教室は三階だ。

 

 誰もいない校舎ってのは、なんとも寒々しいもんだ。

 俺はまるで幽霊にでもなった気分で、しかし2本の足で階段を上がる。

 

 そんなことを考えながら、踊り場にたどり着いた時だった。

 

 

「やめてよっ!!」

 


 悲鳴が聞こえてビクッとする。

 ガシャン! とガラスの割れる音が響き、「あうっ!」という悲鳴に続いて、ズザザ、と人の倒れるような音が聞こえてきた。

 

(なんだ?!)


 思わず立ちすくんだが、すぐにプン、とホルマリンの臭いが漂ってきてギョッとする。

 ホルマリンの臭い。

 つまり、生物室……4階!

 

 俺は階段を駆け上り、廊下に躍り出ようとした。


「うぉっとぉ!」


 何かに躓きそうになった。

 

 暗くて視界はあまり良くないが、窓からは紫色の光が差し込んで、廊下の惨状をうっすらと照らしていた。

 

 異様な光景が広がっていた。

 

 躓きそうになったのは、体操服を着た女生徒。

 意識があるのかないのか、倒れたまま唸っている。

 ショートの髪、小柄で華奢な体躯――見覚のない子だったが、とりあえずそれはいい。

 

 もっと異様なのは、その先だ。

 

 大量のホルマリンの瓶が散乱していた。

 

 割れたガラスびんと液体、それに散らばっているのは何の標本なのか。

 夥しい数の死骸、死骸、死骸――。

 

(う……)


 ホルマリンの臭いが充満していて、吐き気を催す。

 しかし、それ以上に異様なのは––––

 

「また増えたわ、ザイオン」

「そうだね、また増えたよ、姉さん」

 

 宙に浮かぶ、白い少年と少女だった。

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