第五三話 ある日の酒場と店主

 激しい戦闘から丸一日、とある酒場… もとい、蒼魔人族の町娘シアが働いていた店舗の厨房から、子気味良く跳ねる油の音にまぎれて、軽やかな旋律が聞こえてくる。


「マスター、"若鳥の小麦粉揚げ” できました♪ 次はお野菜の衣揚げ作りますね。岩塩を掛けると美味しいので削っておいてください」


「…… どうしてこうなった」


 死んだ魚のような目で店主が見詰みつめる先、貸し切り状態の客席にて抵抗勢力を率いるディガル部族国の二領軍及び、ベルクス王国の首都駐留軍に属する将校らが円卓に就いていた。


 幸いなことに戦い慣れているのか、双方の衝突で千名近い規模の死傷者が出ているにも拘わらず、表面上は理知的な態度で膝を突き合わせている。


「まー、和気藹々わきあいあいとはいかないけどさ、こうやって一緒に御飯を食べると少しは話も弾むよね、多分」


 つい先ほど運ばれてきた湯気を立てる原茸のスープに加え、頻りに食べたいと訴えていた揚げ物料理をマスターが持ってきた事で、と言える自由奔放な赤毛の騎士令嬢アリエルが相好を崩す。


 その対面で苦笑いしているのはコルヴィス将軍亡き後、第二王子の御守おもりをするかたわら、首都駐留軍を取り仕切る次席将校のジグルである。


に街酒場とはな……」

「まぁ、良いじゃないですか、連隊長殿」


 手にしたグラスを傾けながら、琥珀色の液体をあおろうとする僚友の腕を掴み、酒場に集いし者達の中だと生真面目な部類の彼は小さく溜息した。


「アルバ、酔っ払うのは重要な話が済んでからにしろ」

「…… 今更だよね、それ」


 卓上に頬杖を突いていた狐娘のペトラが突っ込み、眼前の大皿より若鳥の小麦揚げを一つ摘まんで噛み締め、“むぅ、また上手くなってる” と複雑そうな表情で独り言を漏らす。


 近頃、シアの手料理で麾下きかの人狼猟兵らが餌付けされており、無駄に対抗意識を燃やしている心情など露知つゆしらず、噂の逸品いっぴんを美味しそうに食んでいるアリエルは遠慮なく舌鼓を打った。


「ん、凄く美味しい♪ 私は初めてだから、以前との違いなんて知らないけどさ」


 忌憚きたんのない賞賛を両隣から聞けたので、まだ手を付けていないベルクスの将校らに勧めようと、揚げ物の大皿を僅かに押し込んだ。


「ジグル殿も暖かい内にどうだ。万一に備えて解毒薬は用意しているんだろう?」


「あぁ、全く手を付けないのも失礼だな、喰え」

「って、こっちに振らないでくださいよ!?」


 唐突に降られたアルバは少々茶化したものの、鶏肉にフォークを突き刺して口内へ放り込み、しっかりと岩塩の利いた旨味を堪能する。


 さらに無言のままもう一つを口元へ運び、豪快にかじり付いた。


「いや、本当に美味いね。中華料理、侮り難し」

「私も頂こう、それと酒は待てと言ったぞ」


「お言葉ですが、連隊長。きっとこれは酒精に合いますよ?」

「くッ、貴様を連れてきたのは人選ミスだったか……」


 物怖じしない相方のお陰なのか、当初の硬さが抜けたジグルも少し料理に手を付けたのを見計らい、さりげない会話で先制のジャブを喰らわせる。


「先日の退却は見事だが、率直に言えば貴軍の勝ち目は薄い。貴重な軍鳩は吸血飛兵が、伝令は人狼猟兵が壁外で漏らさず狩っている。早期の増援も望めないぞ」


「はっ、劣勢なのは百も承知だ。我らは王国軍全体の兵糧を死守するため中央広場から動けん。周囲には背の高い建物も多く、わば都合の良いまとだ」


「しかも、火矢や火属性魔法を使われたら、後生大事に抱えた物資ごと燃えて心中するだけです。実質、既に大勢は決しているんですよ」


 飄々ひょうひょうと手詰まりを認める将校らに対して、純粋な興味を持った騎士令嬢がにんまりと微笑み、適切な戦術眼に狐娘もしかりと頷いた。


 彼らの発言は正鵠せいこくを射ており、こちらが突き付けようとした事実を先取りしている。疑うまでも無く、現状にける首都駐留軍の弱点は集積された軍需物資などだ。


「物分かりが良いのは歓迎するけど、随分と簡単に受け入れるのね」

「確かに意外かも……」


「そもそも、御嬢さん方の誘いに乗ったのは先が読めてしまったからだよ。責を問われる殿下は最後まで渋っていたがな」


 何処か吹っ切れたような相手に嘘偽りは感じないが、そう単純な事柄でもない。


 仮に積み上げられた軍需物資を焼き払い、国内に居座るベルクス王国軍を撤退に追い込んだところで、引き上げの際にはいく先々で大規模な略奪を起こすだろう。


(生きる為に手段を選ばないのは人が持つ真理だしな……)


 軽率な判断で末代まで続く遺恨を残さないよう、酒や料理をたしなみつつも、互いの距離を測りながら仔細しさいを詰めていく。


 軽々けいけいに強硬策を主張する抵抗勢力の身内より、大局的に物事を考えている敵将校の方がやりやすいのは皮肉でしかない。


「全く、貴殿らが聡明で助かる」

「我々もだよ、クラウド卿」


 妥協点を探り合う中で、幾つかの相互利益に基づくゆえに信頼できる取り決めを成して、ある程度の親睦が深まったジグルやアルバと硬い握手を交わす。


 そんな彼らが去って暫く、周辺警戒のため哨戒しょうかい部隊を指揮していた魔女リアナが戻り、ひょっこりと入口から顔を覗かせた。


「お疲れ様です、もう終わりですよね?」

「姉さん、そんな場所で立ち止まられても……」


「邪魔だぞ」

「うわ、ちょっと!?」


 背後に立つ人化状態の黒狼ウォルギスが背中を押すと、不意を突かれた彼女は踏み止まれずにつんのめり、わたわたと酒場に踏み込んでくる。


 軽く詫びて続いた人狼族の戦士長は店内を見遣みやり、ちびりとミルクを啜る主君の一人娘に歩み寄った。


「御嬢、俺達も御相伴ごしょうばんに預からせてくれ」

「ん、シア、料理追加して」


「よし、お許しが出たぞ、お前ら」

「「ウォオオォン!! (いよっしゃあ!!)」」


 酒場の外から歓声が響き、今夜の哨戒任務に就いていた人狼らも獣姿のまま中に入って、空いているテーブルに次々と着座する。


 よく見れば旨そうな匂いに惹かれたようで、大隊所属の犬人コボルトが数匹ほど混じっているため、目ざといペトラは顔をしかめた。


「そっちの連中は大神オオカミの眷族でも手勢じゃないから、おごらないよ」

「え~、良いじゃない、けちー」


 若干、酔いの廻ったアリエルに抱き付かれて、不服そうな三白眼になる狐娘の姿など一瞥してから、近くのテーブルに陣取った主計しゅけい係の魔女へ視線を移した。


「姫様に貰った隊の資金… まだ、余裕ありますけど……」

「構わんよ、皆の会計は任せた」


 根の真面目なレミリの性格だと、領軍の経費で夕食を採るのは気掛かりなようだが、諸々もろもろの目途が着いた今日くらいは問題ないだろう。


 ベルクス王国との戦争も一段落かと皮算用しつつ、喧騒を避けてカウンター席のすみっこに移動すれば、即座にリアナがやってきてミードを差し出してくる。


「折角のただ酒ですから、飲んじゃいましょう!」

「…… うちの隊が負担するんだけどな、妹が睨んでるぞ」


 露骨な温度差に微苦笑して杯を受け取り、やたらと甘えてくるほろ酔い魔女の姉妹や、料理にいそしむ蒼魔人族の娘を相手するかたわらで、程々ほどほどに蜂蜜酒を嗜んだ。

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