ウォット・ユー・ビリーヴド・イン 4

 それから2日後の正午前、学生寮の居室にて。


『結論から言うわね。あんたたち……グッジョブよ』


 誓と満里奈はある女性と通話をしていた。

 誓の机の前に二人で椅子を並べて座り、デスク埋込式のパソコンから投影されたホログラムディスプレイを覗き込む。画面に映し出された通話相手は銀髪サイドポニーに碧眼の幼女、いや幼女めいたルックスの成人女性だ。アズールの襟が特徴的なANNAの白い夏制服、その両肩に取り付けられた階級章は1佐の地位を示している。


 彼女こそ深川夏海、誓と満里奈の教官を務める火炎の魔法使いだ。

 彼女は先日誓たちが報告した血溜まりの一件について調査の結果を知らせるために通話をかけてきていた。


「「グッジョブ、ですか??」」

『ええ。何せあんたたちのおかげで一つの凶悪な魔法犯罪が発覚したんだもの』

「「そうなんですか」」


 普段厳しい教官に褒められて嬉しいやら、凶悪な犯罪が実際に行われていて悲しいやらで非常に複雑な感情を覚える。

 そんなモヤモヤした気持ちの込められた声音で返事をすると、夏海はそれを軽く受け流して話を続けた。


『順を追って話しましょうか。まずはあの魔力反応つきの血溜まりが一体誰のものだったか。科学捜査中隊があの血溜まりから採取した血液をDNA鑑定にかけたところ、この人物のものであることが分かったわ』


 パチン! と指を鳴らす夏海。

 すると一枚のホログラムウィンドウが画面の向こう側で投影され、夏海の顔に被さって表示される。


はるのぞ、47歳。航空護衛艦「ずいかく」元エースパイロット。後にJAXAの宇宙飛行士に転身、人類初の有人火星探査ミッション「アレースワン」に参加……そして、ね』

「は、春谷望海さんって……ほんとなんですかそれ……!?」

『残念ながらホントよ、船橋訓練生。宇宙好きのあんたにとってはショックかもしれないけどね。春谷は2046年の火星着陸と2047年の地球帰還、それとJAXA退職を経た後、遅くとも2048年の今頃にはもう魔法使いになっていたわ。アタシたちANNAもそのことは把握済みで、「トリスメギストス」に魔力波形の記録もあるし、ANNAに非協力的な魔法使いとしてマークされていた履歴もある。まあ魔法使いとして目立った活動がなかったから、監視は一年で打ち切られたんだけどね』

「それが今になって、ってわけですね。はあ……」

『そういうこと。アタシたちANNAとしても、ある意味裏切られた形になるわね』

「それにしても凶悪な魔法犯罪って、一体何をしたんですか?」

『ああ、それはね……』


 誓の質問に対し、夏海は再び指を鳴らして答えた。すると夏海の前に映し出されていた春谷の情報が消え、別のウィンドウに入れ替わった。

 そこには四人の男と一人の女の小さな顔写真が載せられていた。


『……一般市民の拉致・監禁。あんたたちが見つけた血痕のうち、歯が一緒に落ちてたやつは拉致られた市民のものよ。春谷は今年の4月にほとんどペーパーカンパニーみたいな会社を設立していて、その会社の名義で古い町工場を買い取っていたの。で、情報局がその町工場周辺の監視カメラを調べてみたら……おやおや、ってわけ。どこかに脅迫状が届いたって話がないあたり、人質ってわけではなさそうね』

「じゃあ何のために……?」

『それは本人に聞いてみないと分かんないわ。ただ一番ありそうなのは闇社会のド定番、実験用のモルモットってとこじゃないかしら。安直な発想ではあるけれど、魔力に目覚めて以降の春谷は文字通り狂ったかのように勉強をし続けていた、って記録もあるから。勉強してるうちに何かしらの魔法理論に辿り着いたんで、それを試してみようってんじゃないかしら?』

「何の勉強をしてたかって記録あったりしますか?」

『メインは基底次元物理学と現代魔法理論。他に闇科学関連では魔法工学に標準スペリング言語。表科学の範疇で言うと、位置天文学と惑星科学、それと神経科学の専門書を読んでたのが確認されてるわね』

「いち……?」

「位置の天文学。天体の位置っていうか座標っていうか、そーゆーのを扱う……要するに古典的な天文学だよ」

「なるほど……ありがと、満里奈」

「うんっ」

『ともあれよ』


 誓が満里奈の知識に改めてちょっとしたリスペクトを送っていると、夏海は三度目のフィンガースナップを鳴らしてホログラムを消した。


『現状分かってることはここまで。あとは町工場にガサ入れかまして、春谷本人をとっ捕まえて聞くしかない。司令部がいま強襲制圧作戦を策定中で、担当部隊にはもうアタシたちゴーマルイチが内定してるわ。後でミーティングやるから、ヒトハチマルマルに管制室集合。よろしいか』

「「了解っ!!」」

『はい。じゃあ、また』


 そして通話は切れた。夏海の顔を映し出していたホログラムウィンドウは消え、居室には静寂が訪れた。

 ……すると満里奈は唐突に床を蹴って椅子ごと自分の机へ戻っていき、自分のパソコンを立ち上げて何かの作業をし始めた。

 逆に誓がそちらの机へ近づいていくと、満里奈はANNA総局の中枢データベース『トリスメギストス』にログインしようとしていた。


「どうしたの?」

「あのね、なんとなくなんだけどね、見当がつきそうな気がして。春谷さんのやろうとしてること」

「見当?」


 満里奈は無言で頷き、トリスメギストスの検索窓にこう打ち込んだ。


「"superluminalスーパールミナル manoeuvreマヌーヴァ"」



§



「そう、超光速航行だよ」


 作業服の中年男性――もとい春谷望海は、拉致してきた与太者四人と風俗嬢の女性に向けてそう語った。

 笑いの一切混じっていない、至極真面目な声音と口調で。


「…………………………」

「この宇宙で最も速いものと言えば光だ。秒速30万キロメートル、たった一秒で地球を七周半もする。でもこれは逆に言うと、とも言える。最接近時の火星まで3分、太陽までは8分もかかるような速さなんだから。つまり光っていうのは、星の大海を進むものとしてはあまりにも遅すぎるんだよ。だから僕には、それを追い抜いてやる必要がある」

「…………………………」

「もちろん光を追い抜くことは簡単じゃない。そもそも特殊相対性理論によれば、質量を持った物体は決して光の速さには追いつけないはずだからね。でも今の僕には魔法が使える。魔法の力を使えば、光に追いつき、追い抜くことさえ、決して不可能ではない」

「…………………………」


 縛り付けられた一般人ノーマルたちはそれを黙って聞いていた。というより、黙って聞いていることしかできなかった。

 一方の春谷は彼らの周りをゆっくり、ぐるぐると歩き回りながら、とうとうと自分の計画について語り続けていた。

 コン、コン、という安全靴の重厚な足音が町工場の中に響く。


「僕が使うのは光輝属性、要するに光に関する魔法でね。この魔法を応用して、まずは肉体を光量子化する。実数の質量を持つこの身体を、質量がゼロのルクシオンに変換コンバートするんだ。すると光になった僕の身体は光速度不変の原理に従い、光の速さで等速直線運動を開始する。そうしたら光の魔法を再び使って、質量ゼロの光量子で構成されている肉体を虚数の質量を持つものとして構築し直す。相対性理論によれば虚数の質量を持つ物質はから、これで『光速の壁』を超えることができるわけだ。魔法使いの間では『量子変換機動クァンタムコンバートマヌーバ』と呼ばれていて、長い間机上の理論止まりだったらしいけど、僕が独自に魔法として完成させた。研究に研究を重ねてね」

「…………………………」

「この魔法を使えば光速の何万倍ものスピードで星の大海を航っていくことができるわけだが、同時に大きな欠点もある。それは――」



§



「――扱う現象がミクロすぎて、人間の脳じゃとても処理しきれないこと」


 満里奈はブラウザに表示された『量子変換機動クァンタムコンバートマヌーバ』の研究記録を前にしつつ、そう呟いた。


「なんせ相手は素粒子だもん。針の穴を通すどころの細かさじゃないから、そんな魔法を使おうったって人間の脳の処理能力じゃ絶対無理なの。……でも逆に言えば、その処理能力さえどうにかできればこの問題は解決できちゃうの。たとえば……とかして」

「ひ、人の脳みそをプロセッサ代わりに……!?」

「うん。でね、わたし、もし春谷さんがこの量子変換機動クァンタムコンバートマヌーバを完成させてるとしたら、次にやることはその人間プロセッサを手に入れることなんじゃないかなーって思っちゃったの。さらわれた人たちはそのための……」

「素材ってことか……!!」


 誓は無意識に拳を握り込んでいた。満里奈がそれを見て「あのあのっ、あくまでわたしの憶測だから……」と宥めてくる。

 その声で我に返り、拳を解いた誓だったが、冷静になってみると今度は一つの疑問が浮かび上がってきた。


「でもさ、満里奈。そもそもの話として、春谷さんがそこまでして超光速にこだわる理由ってあるの?」

「ああ、それはね……って、これもほぼ憶測みたいなもんなんだけどさ」


 ブラウザの別タブを開き、画面上部の窓に何かしらの検索ワードを打ち込んでいく満里奈。

 素早いタイピングの末に仮想キーボードのエンターキーをトンッと叩くと、どこかのニュースサイトらしきリンクが検索結果のトップとして表示されてきた。満里奈は一切の迷いなくそのリンクを踏む――するとこのような見出しの付けられた、真っ当に考えればろん極まりない記事に飛ばされた。


【JAXA元宇宙飛行士激白「仲間は5000光年の旅に」再会切望し号泣】



§



「まあ、そういうわけだから。君たちには仲間を連れ戻すための手助けをしてもらおうと思っている。僕の演算補助装置としてね」


 春谷は風俗嬢たちにそう言った。


「小型化のために四肢は切除し、投薬により自我を削除。一人の人間としては死んでもらった上で、脳を僕のものと電気的に接続・同期する。動作試験に成功したら人数を増やして射場へ移動し、数回の飛行訓練を経て本番に移る。行き先はいて座方面に5000光年ほど行ったOGLE-2006-109Lという惑星系だ」


 そして首元からあの認識票ドッグタグをまた取り出し、ぐっと握りしめた。


「僕の仲間は今でもそこにいる。家族も同然の……他の誰よりも大事な仲間だ。いつか地球に連れ戻すと約束した……!」



§



「……ホントなのかな?」


 作戦区域のネオえだがわへ向かう自律飛行輸送ヘリの機内で、ANNAの制服を着た誓は独り言のように呟いた。

 帯革ベルトの左腰に取り付けた愛刀の鞘を撫でながら。


「ホントに春谷さんはそのつもりで、一般人ノーマルを攫ったのかな?」

「それはわかんない」


 同じくANNAの制服に身を包み、その上にネイビーブルーのケープという姿をした満里奈が誓の右隣の座席で答える。

 先端に大きなクリスタルの取り付けられた身の丈よりも長い魔法の杖を、小さな両手で握りしめながら。


「聞いてみるまでわかんない。だから今は、とにかくがんばって任務をやり遂げるしかない」

「……うんっ」

「誓は先行して一般人ノーマルの救出。そんで一般人ノーマルの安全が確保できたらわたしの援護っ!」


 そう唱えて左の拳を突き出してくる満里奈。

 戦いの前のルーティーンだ。誓も右の拳を突き出して、こつん、と優しくぶつけ合う。


「「……てへへっ★☆」」

『指定空域に到着しました。御武運を』

「いこっか!」

「うんっ!」

「「よしッ!!」」


 するとヘリの扉がしめやかに開いて。

 誓たちはそこから決断的に飛び降りていく。


 東京コロニーの夜闇が裂かれた。

 紫とアズールの二筋の光に……!

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