第7話 冷眼 前編

 秋も深まった頃、私は菊花ジファ様と、女たちが集まる食堂にいた。

 菊花様は、王妃、王女らの卓に。私は、玉英イイン、鈴香《リンシャン》と共に使用人たちの卓に座っている。


 料理は既に並べられている。厨房を担当する使用人が王族たちの前で毒見をして見せれば、食事が始まる。しかし、今日はその者がなかなか現れない。皆、食事の開始を待たされていた。

「まだなの? 早くしてもらえないかしら」

 王女の一人が不満げに呟くと、周囲の者も口々に文句を言い始めた。

「遅いわね。いつまで待たせるのよ」

「料理が冷めちゃうじゃない」

 それを聞く厨房担当が一人もいない状況であった。

 王妃がため息をつく。その白粉おしろいが塗られた顔は、いつもつまらなさそうで無表情だ。

「なあ、菊花」

 王妃はしわがれた声で菊花様の名を呼んだ。

「はい」

「どうすれば良いと思う? お前はわかるか?」

 菊花様は答えに窮していたようだが、やがて口を開いた。

「……もう少し、待てばよいと……」

「そうだ! 菊花、また味見なさいよ!」

 一人の王女が言い放つ。

「あ、それいい。菊花、やりなさい!」

 するとその隣からも声が上がった。他の者も同じ考えのようで、次々と賛同の声が上がっていく。


「なに……!?」

 別の卓から菊花様を見守っていた私は、王妃や王女らの様子に拳を握り締めていた。

 夏、私が来るまで菊花様に強要され続けていた毒見。王に進言してやめさせていたのだが、今、王妃、王女らは再開させようとしているのだ。

 菊花様は目を伏せ黙っていた。私の隣の玉英と鈴香も、心配そうな面持ちでそれを見ていた。私はすぐにでも声を上げて止めようと、そう思ったところだった。

「このくらい待てないなんて。王族として恥ずかしいわ」

 菊花様の隣に座る、蓮玉レンイ様が突っかかった。

「蓮玉! 私を馬鹿にしてるわけ?」

「我慢のきかない子供のような真似はしないでって言っているのよ、姉上」

「なんですって!?」

 蓮玉様は姉にあたる王女に対し挑発的な態度をとっていた。おかげで、皆の視線はその二人へ移っている。

 よし、今だ。


 椅子から立ち、早歩きで食堂を横切り、厨房へ向かう。今のうちに厨房担当を連れてきてしまおうと思ったのだ。厨房につながる扉を開け……。

 あっという男の声。男が前のめりになりながら立ち止まった。

 ちょうど厨房担当の者が駆けつけてきたところだったようだ。

「遅いぞ。早く行け」

「あ、ああ!」

 小声で叱責すると、男は王族たちの卓へ行く。そのまま毒見を始めた。


「全く」

 息を吐いた。蓮玉様が気を逸らして下さらなければ、また菊花様が毒見をさせられるところだった。これから先が思いやられるな。

 席に戻ろうとすると、両腕を何者かに捕まれる。玉英と鈴香。

豊蕾フェンレイ]、壁際を歩いて戻りましょうか」

「ちょっと目立っちゃったね」

「む……」

 食堂を横切ったのがそんなに目立っただろうか? 確かに、急ぐあまり、王族たちの卓の近くを通ったかもしれないが……。

 彼女らと共に、壁際を伝って席まで歩いていく。卓の方を見ると、厨房担当がいそいで毒見をこなしていた。王女たちは面白くなさそうに頬杖をついている。菊花様は蓮玉様の方を見て、小さく頭を下げていた。蓮玉様はすました様子で前を向いている。

 そして、王妃は……。

 視線。背筋が冷える。横目で私を見ていた。その鋭い目は、確かに私を捉えていた。悪寒が抜けない。まさか、目をつけられてしまったのだろうか?


 かつて菊花様に仕えていた侍女は、明確な理由も無しに突然、任を解かれてしまったという。王妃の命によって。

 私もそうなるのではないかと思うと、恐怖を感じた。


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「なんなのよ、あいつら! 菊花様にまた、あんなことを!」

 私の部屋で鈴香が両拳を上げて叫んだ。食後に茶でも飲もうと、鈴香、玉英、そして菊花様を招いたのだが、先程の件ですっかり気分を悪くしたらしい。扉を閉じざまに叫んでいた。

 菊花様の部屋の隣にあたるここの近くに兵がいないのはおかしいのだが、そのおかげで多少の大声を出しても聞かれるおそれはない。

「玉英もそう思うでしょ!? ねえ!」

「そうね、王陛下の命令だったから、安心していたのに」

「陛下が見てないからってやりたい放題なのよ!」

 そのやり取りを、私と菊花様は黙って聞いていた。


 以前の菊花様なら、あの場で”わたしは大丈夫です。ぜんぶ引き受けます”と言って毒見をしていただろう。

 保星パオシンとの手合わせ以降、私は菊花様の意思を、些細なものから訊ねるようにしていた。例えば、服の色や、花の香りの選択。そういったことすら、以前の彼女は他人に決定させていたのだ。だが徐々に自分で決めるようになってきたように思う。全てではないがな。

 今も、黙ってしまってはいるものの、自分に嘘をつくようなことは言わないでくれていた。


「豊蕾も、なんか言ったらどうなのよ!」

「あ、ああ。何とかしなければ」

「豊蕾……」

 菊花様が、私の顔を見上げてくる。その瞳には不安の色が浮かんでいた。

「みんな菊花様の味方ですから。ご安心ください」

 そう言って微笑みかけると、菊花様も微笑み返してくれた。やはり、彼女には笑顔が似合う。どうにかして、この笑顔を守らなければ。

「王陛下の目が王妃様に届けばいいのだけれど……」

 玉英が呟く。

「でもさあ。たまに見かけても、陛下ったらヘラヘラしながら、忙しいみたいなことを言って去っていくし」

「こ、こら鈴香、陛下に失礼でしょう」

「そうだぞ。陛下は一応菊花様の父親で……」

「あっ。豊蕾、一応って言った?」

 しまった。つい本音が出てしまった。

 私の中でも、王陛下の評価は高くない。使用人との子を、境遇を顧みずに王女として育てさせているのだから。

「す、すみません。菊花様」

「ふふ、父上なら笑って許してくれますよ」

 そういう菊花様もまた笑って許してくれた。胸をなでおろす。


「そういえば、どうして、食事時は男女別々なんだ?」

 王家のしきたりの一つなのだろうとは思っていたが、理由まではわからなかった。

「ああ、あれはね。あはは」

 鈴香は苦笑していた。何を思い出したんだ?

「王陛下は食事のたびに酒宴を開いていてね。それで毎回、酔いつぶる方が出て……。王妃様がそれを見かねてのことなんですって」

 玉英の説明。なるほど。確かに、飲みたくない者が無理に付き合わされてはたまらない。そういえば睿霤ルイリョウは飲めない方だったな。あいつ、毎晩よく我慢してるな……まあ、それはいい。

「……そんなことか」

「え?」

 皆目を丸くした。

「思いついたことがあるんだ。聞いてくれ。菊花様も、よろしいですか?」

「……はい」

 菊花様は頷き、真剣な顔をして見上げてきた。ここで皆ようやく椅子に座る。私は説明を始めた。


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 翌日、日の光が強まる頃、私と鈴香は厨房に訪れた。そこでは、朝食後の片付けを終え、昼食の準備に取り掛かろうとしている料理人たちがせわしなく動き回っている。火がかかる前の食材の生々しい香りがした。

 彼らは使用人ではあるが、腕の良い料理長に仕込まれているらしく、その顔は引き締まっていて誇りをたたえている。それを統べる料理長も、やはり堂々とした態度で私たちを迎えてくれた。その彼に、私は話をしたのだが……。


「難しい、か」

「ああ。男女同じ部屋でお食事していただくとなると……あの部屋じゃ狭いな」

 筋肉質の料理長は薄い顎髭をしごきながら言う。

「宮廷に住む人、増えたもんね」

「なら、大広間を使えば……」

「誰がここから料理を運ぶんだ? そこまですることかよ」

 即座に否定されてしまう。彼は乗り気ではないようだ。

 食事の時、王ら男たちと、王妃ら女たちとが、一つの部屋で共に食事ができれば。王の目が王妃や王女たちに届くようになれば、菊花様の扱いが変わるかもしれないと考えたのだ。少なくとも、菊花様がまた毒見をしなくてすむようにはなる筈だ。しかし、簡単にはいかないものだな……。

「部屋の壺とか鏡とか、無くしちゃえば行けない?」

「街の食堂みたいになっちまうぞ? そんなん嫌だろ?」

「些細なことではないか。やればできるだろう」

 食い下がる。菊花様のためだ。拳を握る。すると彼はため息をついた。面倒な奴だと思われたかもしれない。だが、彼の目は意外にも物憂げな色を浮かべていた。

「昔みたいに、王と王妃、王子と王女が一同に会してっていうのもいいなと、俺だって思うよ。でもなあ……王妃が反対してるんだよな」

 男は再びため息をつく。やはり王妃の命令か。

「それも昔のことではないのか?」

 そう言うと料理長は唸リ始めた。しばらくして口を開く。

「まあ、王族の誰かから希望があったら、一回くらいやってやってもいいかもな」


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 一旦、鈴香と別れる。癖のあるヤツと会うからだ。

 廊下に立つ兵と話をつけ、目の前の扉を開いた。力を込め、バタンと大きな音を立てる。

「邪魔をするぞ」

 踏み入ったその部屋は、王子の部屋らしく、天蓋付きの寝台に豪華な家具の数々。絨毯も美しい模様が描かれている。

「げえっ、豊蕾!!」

 部屋の主が寝台から体を跳ね起こす。このブタガエルめ、驚きすぎだ。だが無理もない。この第三王子である龍翔ロンシャンは私に恐怖心を抱いているのだから。私を見ると震えだすほどである。


「な、なな何しに来たんだ!? 兵はどうした!?」

「適当に話したら通してくれた」

「なんだよそれ!?」

 頭を抱える龍翔。護衛の者に暇を与えているのか、部屋にはこいつ一人しかいなかった。好都合だな。

「落ち着けよ。少し頼みたいことがあるだけだ」

 深呼吸をしている。そんなに怖がらなくてもいいだろうに。

「……何だよ」

 彼は恐る恐るこちらに顔を向けた。この様子なら聞いてくれるだろう。ほとんど強要になるが。


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「まさか、龍翔様がご提案されるたぁね……」

 あれから数日。料理長は少し呆れ気味だったが、龍翔の使いからの知らせを受け、一晩に限って、男女共々での食事を承諾してくれた。

 龍翔の奴、交換条件無しで私の話をのんでくれるとはな。あのとき、徹底的に滅多打ちしておいてよかった。あの日、あいつにされたことは最悪だったが、結果的にこういう立場になれたことだけは、おいしい。


 昼食が片付いた後、食堂にある置物などの搬出を手伝っていた。言い出しっぺは私だしな。鈴香、玉英も一緒に手伝ってくれている。二人とも普段は洗濯係として重労働をこなしているからか、良く動く。厨房担当の使用人の指示に従いながら、壺や鏡などを移動させていった。

 あらかた出し終えたところで、今度は10人くらいの男たちが、長机を部屋に搬入しはじめた。金飾が施されたそれは、人が20人は座れる大きさがあるものだった。

「王陛下は、王子たちやそのご家族、側近たち、使用人たちとも同じ卓につくそうよ」

「へぇ。じゃあ、男たちは全員一斉に酒をあおるんだ。豪快だなあ」

 それにしても、やはり睿霤は毎晩酒宴に参加しているのか。いや、あいつのことだから、上手くかわしていそうだな。


 長机が入ると、元あった卓の位置が調整され、部屋に綺麗に並んだ。

 女使用人用の卓は端の方に追いやられてしまったが、そうしないと王族たちの空間が狭くなってしまうから仕方がない。


 私たち女は、布飾り等、置物の代わりとなる飾りの類を設置するよう命じられた。指示された通りに壁に掛けていく。

「豊蕾、なんだか楽しそうじゃない」

 鈴香に言われ、自身の口元が緩んでいたことに気づく。

「ああ、そうだな。これがきっかけになって、今後も王が同席されるようになれば……」

「王陛下の目が、常に王妃様に届くようになるわね」

 玉英が言葉を継いでくれ、頷く。

「そう思うと、この見栄えを上げるための作業も、意味がある気がして、なんだか嬉しくなるんだ」

 そう続けると、二人とも笑ってくれた。

 部屋を飾るのも、着飾るのも、ユイ家として暗殺稼業をしていたときには必要のないことだった。しかし今は違う。ものの見え方が、以前とは全く異なっているのだ。こうして楽しいと思える時間が増えたことが嬉しい。


「豊蕾殿! こちらか!」

 兵が私の名を呼びながら食堂へ駆けこんで来た。息が上がっている。私の姿を認め、寄ってきた。

「どうした?」

 ただ事ではないのだろうか。兵は厳しい顔をしていた。

「龍翔様からだ。本日の晩餐は、これまで通り男女は別にせよとのこと。さもなくば、貴殿の任は解かれることになる、とのことだ」

「……なんだと?」

 突然のことに唖然としてしまった。何故……?

「まさか……王妃様からのご命令……?」

 玉英の言葉に、背筋が凍った。

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