7

 海の方からかすかに波の音が聞こえてくる。昼間より気温は低いけど湿度がかなり高いので、けっこう蒸し暑く感じる。なんだか空気がむわっとまとわりつくようで、肌がベタベタして気持ち悪い。


 そんな夜の石崎の街の中を、シオリは一心不乱いっしんふらんに歩いていた。その後ろ、5メートルくらい離れてぼくらは彼女を尾行する。


「(シオリ、どこに向かっていると思う?)」


 ぼくは小声でヤスに問いかける。この辺りの地理にはそれほど詳しくないので良く分からないが、少なくとも海岸の方でもないし和倉の方でもないようだ。


「(わからん。どうも駅の方に向かってるみたいなんだが……もうこの時間、上りも下りも電車無いぞ。バスも当然無いし)」


 ヤスが小声で応えた、その時だった。


 ふと、シオリの足が止まる。彼女の目の前にあったのは……鳥居だった。


「ここは……?」


 ぼくがヤスを振り向くと、彼はぼう然とした様子で言う。


八幡はちまん神社だ……」


「そうか。そう言えば、子供の頃神社の前で一緒に遊んだっけ……あれ? でも確か、もっと海岸沿いじゃなかったっけ? しかも、鳥居ももっと小さかったような……」


「それは西宮にしみや神社だよ」ヤスが呆れ顔で言う。「そことは違う。だけどまつられてる神様は同じらしいけどな……あ……」


 ヤスの視線を追うと、シオリが再び歩き出していた。そのまま彼女は鳥居をくぐり、境内の中に進んでいく。


 それを追ったぼくとヤスは……そこで、信じられないものを見てしまった。


「……!」


 神社の扉のすき間から、白い光が漏れていたのだ。


 室内の照明の光でないことはすぐに分かった。照明だったら両隣の窓も明るくなるはず。だけど、扉からは明るい光が漏れているのに、窓は真っ暗なままなのだ。


 その前に立ったシオリの体が、いきなりふらついて倒れそうになる。


「シオリ!」


 ヤスが辛うじて彼女を抱き止めた。


 シオリは目を閉じて、眠っているようだ。


「おい、シオリ! 目を覚ませ!」


 ヤスがシオリの体を揺さぶると、やがて彼女の両眼が開く。


「……あ、お兄ちゃん……カズ兄……ここは?」


「八幡神社だよ。お前、なんでこんなとこに来たんだ?」


「え、なにそれ……」シオリがキョトンとした顔になる。「そんなん、ウチにもようわからん……ただ、なんか、呼ばれてるような気がして……気がついたら、ここにおってん」


 その時。


「……しっ」ぼくは人差し指を立ててくちびるに当てる。何か、低い音が聞こえたような気がしたのだ。


「!」ヤスとシオリも、息を飲んだように黙り込む。


 ……。


 やはりだ。


 確かに、何か低い音が断続的に聞こえる。雷? 爆発音?


「聞こえた?」


「……ああ」と、ヤス。「なんか、ズズーン、って感じの小さい音が……した……」


「ウチも、聞こえたよ……」と、シオリ。


「何の音だろう」ヤスが首をかしげる。「しかも、どこで鳴っているのかも、良く分からないし……」


 そう、低い音は、音が鳴っている方向がつかみづらい。だけど……なんとなく、神社の建物の方から聞こえてくるような……


 ぼくは扉に近づいてみる。


 やっぱり、音が大きくはっきりとしてきたようだ。そして……ぼくはその音に聞き覚えがあった。だけど……そんなことが本当にあり得るのか……とても信じられない……


 思わずぼくは扉に手をかける。驚いたことに鍵はかかっていなかった。それを一気に開く。


「!」


 目に突き刺さるような痛みが走る。あまりの眩しさに両目の瞳孔どうこうが悲鳴を上げたのだ。


 ようやく目が慣れる。周りを見渡すと、そこは真っ昼間の草原だった。ぼくはその中に足を踏み入れる。


「お、おい、カズ!」


「ちょっ、カズ兄!」


 ヤスとシオリの声を無視して、ぼくはそのまま歩いて行く。


 湿った土。曇り空。振り返ると、木造の古い小屋がそこにあった。その扉から二人が心配そうな顔をのぞかせていた。


「待ってま、カズ兄!」


「おい、シオリ!」


 シオリがぼくに向かって走り出し、それに引きずられるようにしてヤスも扉のこちら側に足を踏み入れる。


 その時だった。


 凄まじい轟音がして、上空数百メートルを二機の航空機が瞬く間に飛び去っていく。


 思った通りだった。例の音はジェットエンジンの排気音。それも、今は珍しいターボジェットエンジンの、だ。しかし、その機体のシルエットを見た瞬間、ぼくはがく然とする。


「嘘だろ……」


 いつの間にかシオリとヤスが、並んでぼくの真後ろに立っていた。


「カズ、あの飛行機は……なんだ?」ヤスも空を見上げながら、ぼう然とした表情になっていた。ぼくはポツリと言う。


「サンダーチーフ、だ……」


 そう。リパブリックF-105サンダーチーフ。間違いない。主翼と胴体の付け根の前の部分が切り欠きのように開いているのがこの機体の特徴だ。しかし、F-105は1960年代に活躍した機体で、現役のものなど今はどこにも存在しない。


 さらにもう一機、轟音と黒いスモークを排気ノズルから吐き出して、上反角のついた主翼の大柄な機体が飛んでいく。マクドネル・ダグラスF-4ファントムII。2021年まで、日本の航空自衛隊でも使われていた。百里基地の航空祭で、ぼくも何度も見た機体だ。あの叩き付けられるような豪快なエンジン音は、どうしても忘れることができない。


 しかし……


 今ぼくの真上を飛んでいる機体は、空自のF-4EJよりも明らかに機首が短い。米海軍のF-4Jだ。しかし、現役のF-4Jも今は一機もないはずだった。


 そして。


 ジェットエンジンとは全く異なる、パタパタという音が聞こえてきた。ベルUH-1イロコイ。米軍の汎用ヘリコプター。こちらに向かってくる。


 まずい。


「ヤス、シオリ、戻ろう!」


「あ、ああ。シオリ、行くぞ!」


 ヤスがシオリの手を握り、小屋に向かって走り出した。


「え……きゃっ!」


 シオリが小さく悲鳴を上げるのにも構わず、そのままヤスは小屋の扉を走り抜けた。その後を追ってぼくも扉に飛び込もう、とした、その瞬間。


「うわっ!」


 足を滑らせたぼくは、扉の前で前のめりに転んでしまった。やはり運動部の二人に比べたら、写真部のぼくの身体能力は低いんだ、と痛感させられる。ただ、転んだのが草むらだったので、怪我はしてなかったし服もそれほど汚れずにすんだのはありがたかった。


「カズ兄!」


「カズ!」


 扉の向こうで二人が同時に叫ぶ。


 そして……最悪なことが起こった。


 ぼくの目の前で、音もなく扉がすうっと閉まったのだ。


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