6 父から男児へ安芸のさつま汁

 七月六日土曜日。

 朝五時五十分に家を出て、自転車で下りの坂道を八分。六時ちょうどに店の扉を開けた。すでに、三佐子さんは髪を結んで、三角巾とエプロンをして、厨房に立っていた。

女将おかみさん、おはようございまっす」

「女将さん、やめて」

 朝から笑いで始まる。

「これ、忘れ物!」

 紙袋を差し出す。

「何? 知らんよ」

「え? じゃあ、これどこから現れたんじゃろ?」

 マッシュポテトとゆで卵を作りながら、簡単に夢の話をした。

「ええ? じゃあそれ、夢から出てきたってこと?」

「不思議レベルが、数段上がってきた」

「小説の中で、キクチ先生とサヌは白亜紀まで落ちてしまうんよ。そして、キクチは大蘇鉄の実を持って、サヌは恐竜を連れて復活する。大蘇鉄は万能薬で、何度もピンチを救うんよ」

「夢の中でも、三佐子さんが万能薬じゃと言うとった」

 三佐子さんは、紙袋からドライフルーツを出して、眺めて、においを嗅いだ。

「ナツメ? プルーン? ちょっと違うな」

 僕は思い切って齧ってみた。

「大丈夫?」

「あ、お好みソースの工場見学で、食べたやつに似とる。ソースの重要な原料と聞いた。確か、デーツ!」

「たぶん、それよ。お兄さん、すごい。デーツ、デーツ。ナツメヤシ! 椰子じゃけ蘇鉄にも似とるね」

 三佐子さんも食べた。

「うん。美味しい」


 店が始まった。土曜日なので、朝一番の常連さんは、気のいい年配の常連さんだけ。

 帰りに名刺を出しながら、僕に言う。

「仕事が見つからんかったら、しばらくうちに来てもええよ」

 埋立地の矢野沖町にある工場の工場長。僕のことを気に入ってくれたみたいだ。親切にしてくれるのに、黙っているのも失礼だと思い、失業しているわけではなく、心の病で休んでいると話した。

「そうか。心が優し過ぎるんじゃろ。無理はせんことよ。テキトーに行こうや。テキトーというのは、『ええ加減』いう意味じゃなくて、『良い加減』いう意味なんよ。自分の調子を見ながら、ええ塩梅あんばいのところで、できるようにやりゃあええんじゃけん」

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げて、見送った。

 無職や自営の常連さんは、土曜日も顔を出す。僕を覚えてくれて、笑顔を交わす関係になった。

 …三佐子さんの人柄が、いいお客さんを集めてるんだな。こんなお客さんに囲まれて仕事ができたら、毎日が楽しいだろうな。

 昼下がり、三佐子さんの叔母さんが「今度、うちの店に来てみんさい。占いやってあげるけん」と言って、名刺を置いて行った。自衛隊前のカラオケスナックのママで、占い師とも書いてある。


 午後四時に、お客が切れた。

「そういえばさあ、父親のパソコンで、料理のレシピを見つけたんよ。これ、作ってくれん?」

「え、どんな料理?」

 鞄からクリアファイルに挟んだ紙を取り出し、三佐子さんに渡すと、目を皿のようにして一生懸命読んだ。

「へえ、面白いねえ。これきっと、宮崎の冷や汁のバリエーションよ。『さつま汁』っていうんじゃ」

「子どものとき、武瑠と一緒に、父さんに教えてもらった」

「男親から男の子に伝えるものだと書いてあるじゃん。よし、手伝ってあげるけん、お兄さんが作って」

「え、僕が作るん?」

「お兄さんと武瑠君しか伝承を受ける資格のある人、おらんじゃん」

「じゃあ、手伝って」

「うん。今から、これ作ってみようか」

 父親のレシピを紐解く。

 まず、イリコを煎る。コイワシの煮干しである。父親のコメントでは、次のとおり。

 ―他家では、コノシロなどの白身魚を使うが、魚臭いのと小骨が残るのが嫌いな我が家の先祖は、イリコを使う。しかも、頭とワタを丁寧に取る。さらに、それをフライパンで煎って、カリカリにする―

「確かに、魚から始めるより手軽だし、臭いも小骨も少ない。これは、なかなかのアイデアだぞ」

 三佐子さんはそう言いながら、イリコの頭を取り、腹を割って、ワタを取ってみせた。

「これでいい?」

「そうじゃね。父さんと武瑠と一緒に、そうやった」

「お宅の大事な思い出じゃね」

 結構、細かい作業である。

「これが、丁寧な下ごしらえよ。たぶん、このまま使っても大丈夫じゃと思うけど、頭とワタを取り除くことで、臭いと雑味を消すんじゃね。引き算の美学。ご先祖様、センスがいいと思う」

 ふた掴みほどのイリコを捌いた。そして、フライバンは油を引かず、空焼きして、イリコを煎る。魚のいい香りがしてくる。カリカリになったら、すり鉢に移す。粉になるまで、すりつぶす。

「すりこぎは、上の手を固定して、下の手を回すんよ。力で潰すんじゃなくて、回転の摩擦で散らす感じ。そうそう、上手」

 煎りイリコが粉になった。

「上質の魚粉が出来たよ。次は煎りゴマを煎るんじゃね。やってみんちゃい」

 白ごまをさっきのフライパンに入れて、香りが立つまで加熱。

「煎りごまは、もともと煎ってあるんじゃけど、加熱したら香りが復活するんよ」

 粉になった煎りイリコが入っているすり鉢に、煎り煎りごまを投入。ごま粒をプチプチと潰しながら、混ぜていく。香りも混ざる。

「良い香りじゃね。間違いなく美味しいわ。次は味噌。これも焼くんじゃね」

 三佐子さんがレシピを見ながら指示する。自分も作りながら、思い出している。フライパンで、表面にちょっと焦げ目がつくくらい味噌を温めて、これも、すり鉢に投入。すりこぎで、先に入っている粉と混ぜ捏ねる。三佐子さんはそのペーストを、スプーンの先に取って舐めてみた。

「ああ、美味しい。みりんとかお酒とか入れなんのじゃね。シンプルだあ」

 父親のコメントを読みながら、進行を管理しているが、調理自体は僕にやらせる。

 ―このまま、団子にして保存したり、一人前ずつにすることもできるが、すり鉢に直接、熱湯を入れていくのが安芸のさつま汁の要諦である―

「なるほど。これをお湯で溶かすんじゃね」

 しかし、半分をヘラで分けて、ラップで包んだ。

「お母さんに持って帰ってあげて」

 三佐子さんは、半分残っているすり鉢に熱湯を入れ、僕はすりこぎで溶かす。みそ汁状の液体ができた。

 ―具は、短冊切りのコンニャク、刻みネギ、輪切りのキュウリが必須。大人にはみょうがや大葉などあれば、なおうれしい―

「ほおほお、お兄さん、刻んで」

 三佐子さんは冷蔵庫から、次々と具材になる野菜などを取り出した。僕も自炊歴は長い。上手とは言えないが、戸惑うことなくそれらを刻んだ。

「『すり鉢のみそ汁状のものに、具材を投入して、ちょっと熱を持たせたら、氷を入れてカラカラとかきまぜて冷やす』。お父さんのレシピの表現、面白い。あ、これ、ご飯にかけて食べるんじゃろ」

「うん」

「ご飯…。大丈夫、二人分くらいはある」

 大き目のお茶漬け茶碗によそった熱いご飯に、氷ごと具材と汁をかける。汁が茶碗の下に行くと、ご飯の上には具材と、粉々になったイリコとゴマが残る。

「これこれ、これだよ。久しぶり」

「いただきます」

「ああ、懐かしい」

「うーん。初めて食べたけど、懐かしい感じ。これ、ペーストまで作っておけば、保存がきくね。昼定食にしてみようかな。いい?」

「もちろん!」

 熱いご飯と冷たい汁を混ぜながらも、ぬるい感じになる前に食べる。従って、何度もおかわりをするのが作法だとも書いてある。ジャブジャブご飯を、豪快に掻き込む。箸が止まらなくなる。

「父さんの話によると、おじいちゃんが子どもの頃は、これだけで、ご飯を何杯も食べたって」

「分かる。これは、途中で飽きない味。シンプルじゃけんじゃね。ありがとう。ものすごく勉強になった」

 うれしかった。父親に感謝する。そして、長く忘れていた武瑠との思い出が蘇る。出窓の写真を思い出す。これまであまり感じたことのない、家族への感情が切なく湧き上がってきた。


 僕が溜まった食器を洗って、三佐子さんが汚れを確認しながら片付ける。

「武瑠とはどういう関係じゃったん?」

 ずっと、聞けなかった質問である。

「過去形で言わんで。伊藤武瑠は今でも私の大切な人」

「ごめん。そして…うん、ありがとう。弟のことを大切に思ってくれて」

「私こそ、ごめんなさい」

 涙こそ流さないものの、下を向いてしまった。しかし、聞かないと、お互いに苦しい。

「大切な人って、恋人っていう意味? 単刀直入に聞くけど、どこまで進んどったん?」

「簡単には答えられん。特にお兄さんは、お兄さんじゃけん」

 …家族だから一層答えにくいということか。

「母から、武瑠を最後に見たのが三佐子さんじゃったと聞いたよ」

「そうなんよ。あの夜、喧嘩して分かれたんよ」

「男と女が喧嘩するって、やっぱり付き合っとたんじゃね?」

「うん。まあ。でも、デートしたりするような仲じゃないんよ」

 三佐子さんの横顔は明らかに憂鬱になった。

「母さん、三佐子さんのせいだなんて、最初からこれっぽっちも思ってないって言うてたよ」

「お母さんの言葉、本当にうれしかったよ。でも、ごめん…やっぱり、まだ無理」

「そう。ごめん」

 余程の気持ちがあるのだろうと思った。彼氏が、自分と会ったのを最後に忽然と消えてしまったというのは、確かに重い。兄の僕にとっても重い事実ではあるが、それに負けないくらい、いや、それ以上に引き摺っているようだ。


 そろそろ、店じまいの準備をしようかという五時半。お客さんが現れた。

 東南アジアからの技能実習生、グエンさんとグエンさんが、友達を二人連れてきたのだ。その二人は女性である。

「ごめんください。まだ、大丈夫ですか」

 走って来たのか四人とも息を切らせて、汗をかいている。

「大丈夫ですよ。そんなに急がなくても、電話してくれれば、六時でも七時でも待ちましたのに」

「今日は、公民館の日本語教室の日。終わってから一生懸命来ました」

「そうですか。ありがとうございます」

 三佐子さんはそう言って僕を見た。僕は入口の札を「クローズド」に返した。三佐子さんは少し驚いた顔をした。

 四人はカウンターに並んで座った。

「こないだのニューメン、お願いします」

「はい。四人分ですね」

 二人の女性は初めてらしい。緊張した様子で、時々、店の外を気にしている。三佐子さんが言う。

「気楽にしてくださいね。ほかの人は来ませんから」

「あ、はい。こんにちは。ありがとうございます」

 紺の服のグエンさんが二人を紹介する。

「ボクのガルフレンのホーさんと、彼のガルフレンのレーさんです」

「おお、ガールフレンド!」

 三佐子さんが祝福するように言うと、グエンさんは口に人差し指を当てた。

「大きな声で言わないでください。彼女たちの会社は恋愛禁止なんです」

「ええ? なんなんそれ? 人権問題じゃん」

 それには僕が答えた。

「そんな話、聞いたことがある。技能実習生は、働きながら技術を身に着け、本国で役立てるという目的で日本に来ているんよね。小さな町工場で働いている人も多(お)いいんじゃけど、妊娠とかしちゃうと休むことになって、工場も本人も困ることになる。じゃけ、経営者は女性の実習生が男性と出会わんように気を付けてるらしいよ」

「そのとおりです」

「ひどーい! 男女の出会いを妊娠に直結するなんて、エッチなおじさんの発想よ」

 三佐子さんは、僕に向かって拳を握り、憤りを表した。

 …僕に言うなよ。

「じゃあ、皆さんはどこで出会ったんですか」

 僕が質問すると、「お客さんのプライバシーをこちらから聞いたらいけん」という三佐子さんの言葉が聞こえた。

「あ、ごめんなさい。変なことを聞きました」

 僕は謝った。

「問題ないです。ワタシたちはこの店のことを信じています。技能実習生の世話をするボランティアの人がいて、公民館の日本語教室を紹介してくれました。そこで、出会いました。でも、彼女たちはそこに行くのも止められて、今日が最後だったのです」

「そうなんですか。本当にひどいですね。安心して、この店で会うなら、私たちは絶対にあなたたちを守るから」

「ありがとう」

「ありがとう」

 ホーさんとレーさんが、やっと笑ってくれた。

 エスニックにゅうめんの用意ができた。

「いくらでも、おかわりしてくださいね」

 後ろのテーブル席に、スパイスをずらりと並べてみた。

 ホーさんとレーさんは、グエンさんとグエンさんに作り方を教えてもらっている。とても、楽しそうだ。そして、食べ始める。

「美味しいです」

「美味しいです」

 四人は、とてもいい笑顔で、母国語で話している。

 レーさんが、三佐子さんに言った。

「あの、ライムのジャムないですか」

「ライムジャム? うーん。ごめんなさい、ありません。今度、仕入れておきます」

「じゃあ、オレンジマーマレードは?」

「それならありますよ」

 三佐子さんがジャム瓶の蓋を開けてカウンターに置くと、レーさんはスプーンで掬って器に取った。その上に生ライムの実を一個搾って混ぜて、四人の器に分けた。

 四人は突然、「ママン!」と言って泣きだした。お母さんの味になったのだろうか。異国の地で故郷を想い、肩を寄せ合う若者。それを思うと、僕ももらい泣きせずにはいられなかった。

 今度は、ホーさんが三佐子さんに聞いた。

「あなたと、この人はカプルですね。結婚をしているのですか」

 一番、日本語が上手な、紺の服のグエンさんが遮るように言う。

「ごめんなさい。失礼しました。実はさっき、この店で、四人のダブル結婚式ができたらいいねという話をしたんです。大好きなニッポンの、大好きなこの町で、結婚式をしたい。ワタシたちの夢です」

「その夢、ぜひ、叶えてください。協力します!」

 ホーさんが遮られた言葉の続きを話した。

「あなたとその人はカプルですよね。とってもいいカプル。ワタシが言いたかったのは、まだ結婚してないなら、一緒に結婚式をしませんか、ということ。トリプル結婚式、いいでしょ」

 苦笑いをしている三佐子さんと僕は、四人に囲まれて、不思議な祝福を受けた。


 四人が帰ることになったが、ホーさんとレーさんを男性が送るわけにはいかないので、三佐子さんが車で宿舎に送った。

 三佐子さんが店に帰って来たのは、八時前だった。

「ちょっと不思議なんじゃけど、彼らが来たとき、入口の札をクローズドにしたじゃん。お兄さんもそうした方がいいと思ったん?」

「あれ? 三佐子さんがそうしてって言ったんじゃなかったっけ」

「言ってないよ。思ったけど…」

「え? 確かに聞こえたよ。その後、『お客さんのプライバシーを聞いたらいけん』って叱られたし」

「それも思ったけど、口には出してないよ」

「え? 以心伝心ってやつ?」

「お兄さん、私の心を読める?」

 実験してみたが、三佐子さんが心で何を言ったのかは分からなかった。

「何て言うたん?」

「ふふ、教えたげん」


 僕は家に帰る。自転車で坂道を登りながら考える。

 外国の人からも、お似合いのカップルに見えるようだ。僕はうれしいが、三佐子さんはきっと苦しんでいる。僕もどんどん、三佐子さんのこと好きになっていっているし、いつか、耐えられなくなりそうだ。

 大汗をかいて家に着いた。シャワーをして、タオルで髪を拭きながら、母親に、東南アジアの人が、エスニックにゅうめんを喜んだ話をした。

「へえ、オレンジマーマレードにライム? やってみたくなった」

 母もこのメニューの試作に立ち会っている。すぐにそうめんを茹で始め、調味料を合わせた。最後にジャムをべっとりと入れて、ニヤリと笑った。

「母さん、多(お)いい! それにそれ、かぼすじゃし!」

「いけそうじゃない?」

「じゃないなあ」

 しかし、食べてみると、ジャムの甘みと柑橘の酸味が鶏ガラスープに溶け、オレンジの皮の苦味も相まって、「なくもない」感じ。

「いけるかも」

「じゃろ?」

 母さんは一口食べて、残りは全部、僕にくれた。

 …なんか、騙されてる。これ、やっぱりジャムが多い。

 母と二人でネットテレビのグルメドラマの続きを見る。

「あ、母さん。昨日の紙袋のドライフルーツ。三佐子さんのじゃないって」

「でも、ほかに誰も来とらんよ」

「実はね…」

「うん」

「夢の中でもらったものが、現実世界に出てきたんよ」

「おい、大丈夫かい。やっぱり、病んどるんじゃね」

 この話は、笑って終わりにした。

「あ、これ。さつま汁の味噌。父さんのレシピの。三佐子さんと作って食べた分の残り」

「ああ、懐かしい。明日食べる?」

「そうじゃね」

 二階に上がり、武瑠の部屋の電気を点けた。本棚に、塾長が書いたという「岐ふ蝶の舞ふ春に」という本を探した。一番、目立つところに、分厚い文庫本があった。手に取った。

 この厚みが、とっつきのハードルを上げる。漫画かアニメになっていれば良いのに。

 …こういう時、ドラマでは、ここから写真とか手紙が出てくるんだ。

 パラパラっとめくると、はらりと紙が落ちた。

 …あ、出た!

 写真だ。足軽の少年と女忍者のツーショット。高校生の武瑠が気を付けのポーズで、大学生の三佐子さんに肩を抱かれている。二人とも照れくさそうだが、本当にいい笑顔である。嫉妬といえばそうなのかもしれない。割り込むことのできない絆を感じる。

 ほかに、栞も挟んであった。そこを読んでみる。タケルとサンザが協力して、陰陽師をやっつける場面だった。少しだけ読み進んでいくと、別れの場面で、サンザはタケルをハグして、「お前、私のヒーローだったよ」と言う。

 きっと、武瑠が好きなシーン。何回も読み直したのだろう。ページが撚れている。

 栞は、栞というよりトランプのようなカードである。

 …これはタロットカードというやつだな。武瑠も塾長の影響で神秘的なことが好きだった。

 武瑠と三佐子さんの幸せそうな写真。二人の大切な思い出を持ち歩くのは抵抗があるが、この本には、武瑠の失踪の謎を解く鍵が潜んでいると思った。

「武瑠。悪いけど、しばらく貸してくれ」

 三佐子さんにもらった、セントジョンズワートのティーバッグで、お茶を作って飲んだ。心が落ち着き、眠くなった。


 木製のドアを開けると、カラオケスナックだった。

「これは夢じゃ。だってカラス天狗がおるもん」

 マイクを握って、昭和歌謡を熱唱している。

 僕はカウンター席に座る。中には午後の常連、三佐子さんの叔母さん。タンバリンで塾長を盛り上げている。ほかに客はいない。

 …叔母さん、自衛隊前でスナックをやってるんだった。

 カラス天狗の古臭い歌が終わる。僕とママは義理拍手をした。

「バイト君、来てくれたんじゃね」

「弟子の一人、山翔君だ。よろしく頼む」

 …弟子って?

 カラス天狗はストローで水割りを飲みながら、僕を紹介してくれた。

「山翔君も一曲、歌いんちゃい」

 ママが僕にマイクを渡す。

 僕は、三佐子さんを想いながら、感情を込めて、平成最後の名曲と言われる「草原の乙女」を歌う。

 ♪君が好きー、君が好きー。せめて、夢の中で、見つめ合いたい…♪

 歌い終わると、カラス天狗が真顔でグラスを見つめながら言う。

「ヤマショウもサンザが好きなんか」

「サンザ、ああ、三佐子さん。大好きです」

「三佐子と山翔君、ものすごく相性がええんよ」

「そうか。ママは占い師じゃったね」

「本気で見たげようか」

 そう言って、なぜか冷蔵庫を開けた。

「ふふ、冷蔵庫みたいな本棚よ。占い道具入れとる」

 箱入りの本を取り出した。ボックス席に座り、僕に手招き。ママの正面に座った。

「水晶や筮竹もあるけど、若い人はタロットが好きよね」

「タロットカード、聞いたことはあります」

「トランプの元らしいよ。カードの数は、大アルカナ二十二枚、小アルカナ五十六枚の七十八枚。占い方は、古代ケルト式というのが一般的じゃけど、恋占いは大アルカナだけを使うギリシャ式が分かりやすい」

 カラス天狗が「ママ、本物の占い師みたいなよ」と茶化すと、「うるさいね。神さんのお告げを聞くんじゃけん、静かにしとって」

 ママがカードを繰り、僕が数字を言う。その順番にあるカードを抜き出して、テーブルに伏せて置く。残ったカードを繰り、同じように繰り返す。五枚のカードが十字に並ぶと、セット完了。一枚ずつ開いて、解釈していく。

「一枚目は、あんたの知りたいこと。ほら、『恋人』が正位置で出た。分かりやすいね。三佐子ちゃんとの恋の行方じゃね」

「はっきり言われると、恥ずかしいですけど、そうです」

「二枚目は、その障害となっているもの。『隠者』の逆位置。今は見えない誰かがあんたを迷わせている」

 …武瑠。

「三枚目は、これから起こりそうなこと。わ、最悪。『死神』の正位置。残念ながら、このままだと縁が薄れて行くね」

「どうすれば、いいんですか」

「四枚目が、良い方向に導く対策よ。『女教皇』の正位置。別の女性が鍵を握ってると出たよ」

 …別の女性?

「五枚目が最終的な結果。『魔女』の逆位置…。力を発揮できず、問題を乗り越えられない、と出ちゃった」

「ダメってことですか」

「このままじゃね。この隠者と女教皇と魔女は、具体的な人物がおるんじゃと思うよ。心当たりがあるんじゃない?」

「隠者は行方不明の弟。魔女は三佐子さん自身だと思う。女教皇は誰だろう」

「その女が、鍵を握っとるんよ」

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