第37話 将来の夢


「あーまだ耳痛い」


 解代くんが耳をぐにぐにする。鼓膜の調子が悪いのだろう。

 でも謝らない、わたし悪くないもん。ふんっと鼻を鳴らしてやる。


「返事を待たずに飛び降りるからよ」

「そうでもしないと、いつまでたっても跳ばなかったじゃないか」

「そんなこと……」


 飛び降りる前の光景を想起する。


 小さく見えるトランポリン。距離間を突き付ける、いやに小ぢんまりとした人影。首筋を撫でる高所特有のこごえる風。


 ぶわっと鳥肌が立った。


「……ないもん」

「何だ、やっぱり怖かったんじゃないか」


 にやにやした視線を向けられて、頭に熱いものが込み上げた。


「こ、こわくないって言ったでしょ!」

「嘘つけー」


 解代くんが愉快気に口角を上げる。どうやって黙らせようか考えた時、彼の細い首元に腕が回った。


 たくましい腕だ。わたしとは筋肉の付き方が違う。男の人はみんなこうなるんだろうか。

 

 少年が解代くんを見てニヤつく。


「お前よぉ、人がせっかく重いもん持って駆け付けたってのに、こんな風に女とイチャイチャしてたのかぁ? 見せつけてくれんじゃねーの」

「い、イチャイチャなんてしてないだろ!」


 先程までの飄々ひょうひょうとした雰囲気が霧散した。わたしと話した時とは別人のようにむきになっている。


 少年がわたしを見て口を開く。


「オレは解代ユウヤ、こいつの兄貴だ。愚弟ぐていが迷惑掛けなかったかい? お嬢さん」


 解代くんより頭一つ高い少年が陽気に笑む。思ったより接しやすい印象だ。どちらかといえば男性は苦手なのに、不思議と口角が上がる。


「特には。急に抱き上げられたことと、合図なしに飛び下りられたくらいです」

「あー見てたぜそれ。お姫様抱っこな。会って早々王子様気どりとか、絶対女ったらしの才能あるよなぁこいつ。さすがオレの弟だ」

「なあ、その話もうやめないか? だいたい、兄貴は女の子にもてないじゃないか」


 解代くんがほおをふくらませる。色白の肌が微かに赤い。ひょっとして照れているんだろうか? お姫様抱っこされた時のこと思い出して、わたしの顔まで熱を帯びる。


 妙な親近感を覚えた刹那、ユウヤさんが解代くんの頭をわしづかみにする。


「てめ、先に女抱いたからって調子のってんなよ!」

「誰も抱いてなんかないだろっ!」

「お姫様『抱っこ』だろうが! 抱いたんだろーがっ!」


 体格差はどうしようもないのか、解代くんがお兄さんの為されるがままになっている。二人が普段どんな風に過ごしているのかうかがえる光景だ。


「ぐふっ」


 うめき声が上がった。


 解代くんの肘がお兄さんのわき腹に突き刺さっていた。陽気な表情が苦痛にゆがむ。


「て、てめ、お兄様に向かって、何てことっ」


 抗議を前に、解代くんはどこ吹く風だ。


「まったく、一般人の前なんだから少しは自重しろよ。そんなんだから敬遠されるんだぞ」

「ば、ばっかおめ、女の子に告白されたことくらいあるっつの」

「動揺したあげくに走り去ったヘタレが何だって?」

「てめ! それ誰にも言うなっつったろ!」

「知るか!」


 ぎゃーぎゃー! 


 さっきまで命のやり取りがあったのに、この二人はすっごく元気だ。無人兵器を前にした時の頼もしさはげ落ちて、子供っぽさ全開で賑やかな空間を作り出している。彼らの同僚が笑って雰囲気がさらに和む。


 何気ないその光景に目を惹かれる。わたしも小さい頃は、こんなふうにじゃれていたのだろうか。亡くなったパパやママと一緒に。


「ほら、そろそろ着くぞ愚兄ぐけい

「口に気を付けろよ愚弟ぐてい


 見慣れた難民キャンプが見えてきた。三角のテントが並び立つ景観は、森にあるキノコの群生地を思わせる。身寄りのなくなった人たちが集まり、身を寄せ合って日々を送っている。


 既知のキャンプに見慣れない姿が混じっていた。解代くんたちが着ている物と同じ衣服だ。知り合いがお椀を持って列に並んでいる。


「お嬢ちゃん。あっちでき出しやってっから、温かいご飯もらってきな。何も食ってねえんだろ?」

「指やったよ」


 一瞬耳を疑って解代くんに視線を振る。大いに誤解を招きそうな言葉だ。少しは言葉を選んでほしい。


 解代くんのお兄さんが片目を見開く。


「はぁ? お前、もしかしてアレをこのお嬢ちゃんに渡したのか?」

「ああ」

「マジかよ……お前、初めての女によくあんな気色悪いもん食わせたなぁ」

「女、って言うのやめろ。生々しいから」

「ん? 何だ何だ? お前今何考えた~~?」


 お兄さんが意地悪気に目を細める。おもちゃを見つけた子供のような反応だ。


 解代くんが盛大にため息を突く。お兄さんがつまらなそうにくちびるをとがらせた。


「じょーだんだって。そうため息つくなよ、傷付くだろ?」

「もういいからどっか行ってくれよ」

「そうするわ、上官に報告しなきゃだしな。んじゃお嬢ちゃん、機会があればまた会おうな!」

「はい。今日はありがとうございました」


 解代くんのお兄さんが背中を向ける。

 数歩進んで振り返る。


「ジン、がんばれよ!」


 ふんっ、と体の前で両の拳を握りしめる。


「何を?」


 解代くんが首を傾げても返答はない。お兄さんが言葉もなく歩き去った。


「何なんだ? 一体」

「さあ?」


 賑やかな人だ。本当に解代くんと血が繋がっているんだろうか。


 解代くんと一緒に炊き出しの列に並ぶ。解代くんと同じ服を着た人たちが、せっせとおわんに料理を持る。


「ミカナお姉ちゃん!」


 小さな女の子が髪を振り乱して駆け寄る。細い腕が広げられ、わたしはお腹の辺りで抱き止める。ずしっとした衝撃が彼女の無事を教えてくれた。


「ナツミちゃん、無事だったんだね」

「うん。ミカナお姉ちゃんはだいじょうぶ?」

「だいじょうぶ。怪我はしてないよ」

「安否確認してるみたいだけど、何かあったのか?」


 ナツミちゃんの顔から視線を上げる。


「一緒にお花をみに行ってたの。そしたらナツミちゃんがさっきの無人兵器に出くわしちゃって」

「お姉ちゃんが石を投げて助けてくれたの」


 解代くんが目を見開く。


「まさか、君が囮になったのか?」

「そうだよ」

「無茶なことをするなぁ……」


 ため息混じりに呆れられた。


「仕方ないでしょ。あの時はそうするしかなかったんだから」

「そもそも、君と妹だけで危ないところに行くのがおかしいんだ」

「ナツミちゃんは妹じゃないよ?」

「え? でもさっきお姉ちゃんって」


 解代くんが目をぱちくりさせる。わたしとナツミちゃんを見比べて、かわいそうなものを見る目をした。


「いや、寂しいのは分かるよ? でもこんな小さい子を騙してまで、自分を姉あつかいさせるのはちょっと……」

「そんなことさせてないもん!」


 思わず声が張り上がった。手に伝わる温かさを思い出して手元を見る。


 ナツミちゃんが大きな目を見張っていた。普段こんなに声を張り上げないから驚いたのだろう。


 ああもう、頼れるお姉ちゃんのイメージが! 恨みを込めて解代くんをにらみつける。


「あー分かったごめん。でも気持ちは分かるって言ったのは本当なんだ。両親がいなくて、僕もたまに寂しくなるし」

「解代くんもパパとママがいないの?」

「ああ。物心ついた頃からな」


 解代くんが寂しげに笑う。施設の花瓶を割った時のような感覚がした。

 まずいこと聞いちゃったかな。


「その、ごめんなさい」

「何で謝るんだよ? 玖城さんは関係ないじゃないか」

「そうだけど、無遠慮だったかなって」

「いい言葉だな。兄貴にも聞かせてやりたいよ」


 解代くんが苦々しく口角を上げる。心なしか、雰囲気が少し明るくなった気がした。


「親かぁ。しかる人がいれば、兄貴はもうちょっと静かになるかなぁ」


 つぶやきが真に迫っていて返事に困った。陽気な良いお兄さんじゃないと言ったら解代くんに怒られそうだ。


「でもまあ、今回はいなくてよかったんじゃないか?」

「どうして?」

「だって、もし生きてたら僕が少年兵になることに反対してたかもしれないだろ?」

「今の仕事が好きなの?」


 解代くんが目を丸くする。


「まさか。被弾は怖いし、危ないことだらけの仕事だ。他に道があればそれを選んでるよ。でも、今日はやっててよかったって思ったかな」

「どうして?」


 危ないなら止めた方がいいに決まってるのに。

 解代くんがにかっと笑む。 


「だって少年兵になったおかげで君を助けられたから」


 心臓が跳ねる。眼前の笑みがやたらと大人びて見えた。


 お兄さんの前で子供っぽさを全開にした男の子とは思えない。顔が妙に火照って目を逸らす。


「そ、そう。それはよかったね」


 言い放ってお茶をにごし、さりげなく体の角度を変える。今の顔を解代くんに見られたくない。


「ああ。よかったよ本当に」


 もう、そういうことをスラスラと。言ってて恥ずかしくならないんだろうか。


「でも、そっか」


 これは新たな発見だ。

 そういう考え方も、あるんだ。


 得心えしんした足で炊き出しを受け取り、ぺこぺこだったお腹を満たす。解代くんは先に食べ終わって難民キャンプから出ていった。


「先生」


 目的の人影を見つけて呼び掛けた。人を模したロボットが向き直って口角を上げる。難民キャンプで、子供にものを教えているアンドロイドだ。


「わたし、軍人さんになりたい!」


 熱が冷めない間に意思表示した。先生は目を丸くしたけど迷いはない。


 新しい目標が見つかったんだ。両親を失ったわたしでも誰かの役に立てる。あの小さな背中が、わたしにそれを教えてくれたから。

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