第28話 秘密の取引


 部屋の隅で細身の体が身をひるがえす。


「ここなら盗聴や監視カメラの心配はない。時間が惜しいから単刀直入に言うわ。USBメモリを持ってるわね?」


 先日回収したボールペンを想起する。


 あの形状では、一目見ただけでUSBメモリとは判別できない。誰かに見せた覚えもないのに、少女はUSBメモリの存在を知っている。あの場にいたのは俺とミカナのみ。本来発することもできないはずの問い掛けだ。


「答える前に聞かせてくれ。君の所属は人類軍だな?」

「ええ、本業は人類軍の工作員よ。どうして分かったの?」

「USBメモリの隠し方だよ。土に埋めるだけなんて、処分の手法にしてはずいぶん粗雑だと思っていた。潜入中の仲間に渡すつもりだったけど、トラブルがあって慌てて埋めたと考える方が自然だ。実のところ、ここに来たのはそっちからの接触を待っていた節もあるんだよ」


 テントの荒れ具合からして、内部にいた何者かが慌てていたのは容易に想像が付く。打ち合わせた場所にメモリを隠す暇はなかったのだろう。受け取り手も所定の場所にないと知って探し回ったはずだ。


 少女は告げていた。同僚は暇そうに雑談で盛り上がってると。粗方捜し終わったにもかかわらず手記とメモリが見つからないとなれば、まだ改めていないテントに踏み入るのは自明の理だ。そこで俺達の神妙な表情を目の当たりにすれば、メモリや手記の行方に感付いても不思議はない。


 少女の口端が吊り上がる。


「へえ、意外と頭が回るのね。血濡れのバーサーカーなんて呼ばれるくらいだから、もっと脳筋だと思っていたわ。ここで張っておいてよかった」

「ずっとここで待ってたのか? 直接俺に接触してくればよかったのに」

「あなたの覚悟を確かめたかったのよ。こっちも命がけだからね、土壇場になって臆病風に吹かれる奴とは組めないの」


 工作員は秘密裏に動く。敵国の動きを察知して母国に伝えるなど、情報関連の仕事を中心に立ち回る。


 情報は力だ。作戦がもれれば、部隊の動きを読まれて手痛いカウンターをくらう。敗北に繋がる要素だけに、捕まれば相応の処分が待つ。命がけは決して誇張表現じゃない。


「俺は君のお眼鏡にかなったのか?」

「ええ。あなたは機密文書を閲覧した。早ければ明日の午前中にでも事情聴取される。自覚はあるでしょう?」

「ああ。雲隠れしようと思っていたところだ」


 今のところ、プランテーションから脱出する手段はない。現状は潜伏しつつ脱出の機会をうかがうことになる。

 

 俺独りで潜伏するのと、二人で潜伏するのとでは話が変わる。ツムギが人質に取られることも考慮すべきだ。ミカナにも雲隠れさせるのは現実的じゃない。


 一緒に逃げようという体でミカナと話をつけたが、最初から約束を守るつもりはなかった。最優先はあくまでもミカナとツムギ。自身のことは二の次だ。二人を失えば、俺は今度こそ生きる気力を失ってしまうだろうから。


 赤眼鏡の少女が肩をすくめる。


「そのむねを玖城さんに伝えてあるなら止めないけれど、そうじゃないならやめておけば? 運よく再会できても、玖城さんに泣きながら引っぱたかれるわよ?」

「かもな」


 想像する。涙で頬を濡らしたミカナにビンタされる光景。


 心苦しさはある。罪悪感も湧く。

 それでいて、妙にくすぐったい気持ちになった。


「……何でにやついてるのよ?」


 赤眼鏡の向こう側にある瞳がすぼめられた。


「いや、悪くないかもと思って」

「変態」


 小さくため息を突かれた。


「この際あんたの趣向はどうでもいいわ。真面目な話をしましょう。もし私が、あんたを逃がしてあげるって言ったらどうする?」


 一瞬言葉の意味を理解できなかった。あまりにも都合がよすぎて、何かの罠かと勘繰るのを止められない。


「罠じゃないわよ?」


 思考が顔に出ていたのか、少女が念を押してきた。


「でも百パーセント善意ではないだろう?」

「もちろん。私はUSBメモリを制御室の端子に差さなきゃいけない。普段は人や機械の目があるから難しいけれど、裏切り者に注目が集まれば守りが手薄になると思うのよね」

「要は、俺に囮をやれってことか」

「包み隠さず言えばそうね。で、どうする? 今ならもれなく、最寄りの拠点がある場所も教えてあげるわよ?」


 ちょうど人類軍の拠点の位置が分からなくて困っていたところだ。俺からすれば是非ぜひもない。


 ただ一つ、譲れない点を告げる。


「ミカナとツムギも一緒に行っていいなら引き受ける」


 少女の口角が上がった。


「オーケー、今から段取りを説明するわ。書面には残さないから、ちゃんと覚えて帰りなさい」


 俺は首を縦に振る。少女との間には接点がない。何度も接触すれば嫌でも目立つし、ミカナに浮気と誤解されるのは御免だ。発覚のリスクを抑えることに異存はない。


「分かった。何をすればいい?」

「まずはUSBを返して。次に、玖城さんとあの子供に脱柵の旨を伝えること。部屋は盗聴の危険があるから、遊園地の観覧車にでも乗るといいわ。持っていく荷物の量は抑えなさい。正門前に車を用意するけれど、燃料は最寄りの拠点までもたない。かなりの距離を歩くから、荷物は少しでも軽い方がいい。食べ物や飲み物、あとポータブルトイレも忘れないこと」

「了解だ。作戦開始の時刻は?」

「明日の三〇〇さんまるまる。正門の反対側にある弾薬庫を爆破する。その爆発音が合図よ。機密文書閲覧の件でマークされるだろうし、爆発はあなたの仕業と推定される。追っ手も掛かるはずだから、準備は万全にしておくことね」


 追っ手。

 

 俺達を追い詰めて始末する人員。おそらくは見知った同僚が務めることになる。


 俺は人を射殺したことがない。決闘でゴム弾を使った時は、弾こそ出なかったものの引き金を引けた。レオスに対して強い怒りを抱いていたことも大きい。


 実弾となれば話は別だ。飛び交うのは実弾。想定する対象が機械だから貫通力も抜群。当たり所が悪ければ簡単に死ぬ。撃つ場面を想像して気分が悪くなった。


「俺達が逃げた後、君はどうするんだ?」

「ここを脱出する。すぐに爆破は陽動だとばれるだろうし、どさくさに紛れて蒸発させてもらうわ」

「了解だ。こっちはこっちで準備を進めておく」

「他に質問はある? ここを出たら以降はしらばっくれるけれど」

「後は拠点の場所くらいか」

「それは文面には残せないから、自動運転車の方にセッティングしておくわ。アクセスはあなたがするのよ? 他者の指紋を認識したら、データを自動削除するようにプログラムを組んでおくから」

「プランテーションを覆う壁はどうするんだ?」

「そっちも手は打ってある。爆弾を使うから、事前に心構えをしておきなさい」

「分かった。爆発したらすぐ車に乗り込んで発進させればいいんだな?」

「ええ。運転席に乗ったら親切なパネルがやるべきことを教えてくれるわ」

「了解。聞きたいことは以上だ、明日はお互い頑張ろう」

「ええ。それじゃ三〇〇に」


 午前三時を念押しして少女が背を向ける。

 俺も歩こうとして、体の前に手がかざされた。


「私が先に出る。あんたは数分したら出て」

「慎重だな」

「慎重に越したことはないのよ。機密文書は踏み絵。いずれ紛れ込む工作員をあぶり出すための罠なんだから。そんな物を設立時から用意するくらい、相手は先を見据えて行動している」

「脱柵が無謀に思えてくるな」

「そうでもないわ。鉄壁のドームがあるから、プランテーションからの脱出は難しい。逆を言えば、捕縛システムの大半はドームの頑丈さに依存しているのよ」

「破壊さえできればどうにでもなる、か」

「そういうこと。脱出作戦は、脱柵者と工作員が別にいるから実行できる。不意打ちの効力は長くないから、当日は迅速な行動を心掛けなさい 


 少女の雰囲気は引き締まっているが、表情には微かに緊張の色が見て取れる。

 冷たい美貌に情を感じて、意図せず口元が緩む。


「肝に銘じておくよ。君は案外お人好しなんだな」

「当然よ。私は人間だもの」

「違いない」


 ジョークを交わして、少女が図書室を後にする。

 俺は五分ほど待機してから廊下に出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る