第15話 月長石-1

「あああああの・・・・・・実家まで来て頂いて、ありがとうございました」


飛び跳ねんばかりに手を振る母親と、少しだけ寂しそうな父親の姿が見えなくなったところで、改めて頭を下げた。


隣でハンドルを握る智寿が、一瞬だけ助手席に視線を移してからすぐにフロントガラスの向こうを見つめる。


週末の朝、マンションの前に楓を迎えに来てくれた智寿は、流線が美しいフォルムのエンブレムが立派なセダンに乗ってやって来た。


何というか、彼のイメージそのままの車で、色は黒。


実家の車は軽自動車だし、ブランドにも詳しくない楓でも高級車だとすぐにわかるそれは、内装もシートも別注文というこだわりだった。


独り身が長いので、こんなところにしか金を掛ける場所がない、と智寿は口にしていたが、それにしても普通の社会人にはちょっと手が出せないランクである。


改めて加賀谷一族の羽振りの良さを実感している楓に、一部の隙もなくスーツを着こなした智寿は、本日のデートコースを始めて口にした。


”今日は、楓さんのご実家に挨拶に伺う予定だから”


何も聞かされていなかった楓は、金曜の夜仕事終わりに買いに走ったデート用のセットアップを握りしめてぽかーんと間抜けな顔になった。


母親からも連絡は来ていないし、事前の打ち合わせなんて当然なにもしていない。


というか、今日は初デートだと思ったから、朝から気合を入れて化粧をして、昨夜のうちにフェイスマスクも貼り付けて、デパートのコスメ売り場で店員に勧められるままに購入したアンチエイジング効果のある保湿クリームをべったり塗りたくって眠ったのに。


呆然とする楓に、驚かせてごめん、と零した智寿が、昨夜楓の母親から連絡があって話の流れでそういう事になった、と聞かされて、本気で母を詰りたくなった。


後部座席を指さして、手土産あれで大丈夫そうかな?と心配顔になる智寿が用意してくれていたのは、母親の好物である和菓子屋の羊羹だ。


こんなところまで根回し済みの母親の手腕に愕然としながら、智寿の運転する高級車で2時間ほどドライブをして、隣県の実家に初めて異性を連れて帰ったのだが。


「いや、こっちこそ、初デートが実家への挨拶になって申し訳ない」


「それは・・・あの・・・私のセリフで・・・本当に母が無理を言ってすみませんでした」


義理の息子の顔が見たいわぁと智寿を呼びつけた張本人は、高身長で体格のよい智寿をほれぼれと見上げて、何度も楓に親指を立てて来た。


会話の主導権は終始母親が握り続けて、飛んでくる様々な質問に臆することなく淀みなく答える智寿の頼もしさと言ったら無かった。


よくもまああれだけずけずけ質問できるものだと呆れるくらい、義理の息子の仕事と家族構成とプライベートの情報開示を求めた母親は、智寿の職業にも家族にも人柄にも好意を示した。


ホテル経営には関わらず、友人と興したセキュリティー会社を今後も続けるつもりであること、加賀谷一族として、一応役員に名前を連ねてはいるが、今後楓が親族の揉め事に巻き込まれる可能性は皆無だということ、趣味はドライブとパソコンいじりで、出かけない日は仕事場に行くことが多いこと。


楓が尋ねる前に入って来た情報をしっかり記憶して、寿ではなくて、加賀谷智寿の情報として飲み込んで、理解していく。


『結婚したら、休日は楓さんの予定に合わせます』


頬を緩めてそう答えた智寿に、楓だけでなくて母親もほうっと見惚れてしまったくらいだ。


いえいえそんな、あなた様の貴重な休日を私ごときに割いていただくなんて!とひれ伏しそうになって、どうにか堪えた。


父親だけは、極々普通の中流家庭の娘が、加賀谷一族に嫁いで苦労しないのかと心配していたが、それも、智寿の経営には一切関わっていないという言葉と、自身で会社を経営しているという実績に、考えを改めたようだった。


帰り際、二言三言智寿と話をした父親が、娘をよろしくと丁寧に頭を下げた瞬間、おとうさーん!と飛びつきたくなったのは内緒だ。


大学に入学してから年末年始以外はまともに家に帰らなかった自分を本気で反省した。


これからは智寿と一緒にこまめに帰省しようと思う。


「お母さんが不安に思われるのも無理はないから・・・・・・まさか断られた縁談がいきなり復活するなんて、怪しまれて当然だし・・・でも、お目に掛かれて良かったよ」


「・・・物凄く煩い母親ですよね・・・・・・私が、男の人家に連れてくるの初めてだったので、色々舞い上がったんだと思います」


「・・・そうなんだ・・・それは衝撃だっただろうな・・・彼氏通り越して婚約者だもんな・・・でも、喜んでもらえて良かったよ」


「母は・・・・・・いつまでも私がお嫁に行かないことを気にしてたので・・・実家に帰るたび売れ残りだって言われて、だんだん帰省するのが面倒になってたんで」


「もう売れ残りじゃないだろ」


「あ、は、はい・・・・・・ありがとうございます・・・」


「お礼を言いたいのはこっちの方なんだけどな」


「え?」


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