殺意の輪廻

 僕は今から人を殺すためにタイムスリップする。

 タイムスリップする日付は、僕と彼女のカリンが通り魔に襲われた日、そしてカリンの命日でもある四年前の十二月一日だ。


 僕は彼女を助けるためにまだ現在でも捕まってない犯人を殺しに行く。タイムパラドックスが起きるかも知れないけど知ったことじゃない。僕にとって大事なことはカリンを助けて、犯人への四年間の恨みを果たすことだけだ。


 一つ深呼吸して腕時計型のタイムマシンを起動させる。

 タイムスリップできる時間はたった一時間、ポケットに入れたナイフを握り締める。

 徐々に意識が遠のく中で僕は今までに感じたことがない様な高揚感で体が満たされて行くのを感じた。


 ガラスの様に肌に突き刺さる冬の風で目を覚ます。タイムマシンを確認するとキッカリ目的の日付を指していた。成功したようだ。

 上手くいったことに安堵するが直ぐに気を引き締める。さて、大事なのはここからだ。

 急いで復讐の準備をしなければならない。まずは僕の家に向かっているはずのこの時代のカリンを見つけなければ。

 僕はもう一度ポケットの中のナイフを確かめて、深くゆっくり息を吸い込む。

 待っていろよ、カリン。今助けてやるからな。



 はやる気持ちを抑えながらカリンが殺された場所に向かっていると、当時のことをゆっくりと思い出す。

 四年前の今日、カリンは地方に住んでいた僕の元に東京から長い時間をかけて遊びに来ることになっていた。僕が駅に迎えに行くことになっていたが、カリンは僕を驚かせようとしてなのか、こっそり 早い電車に乗り、そして、僕の家に歩いて向かってきていた。

 悲劇が起きたのはその後だ。まず僕が刺された。カリンを迎えにいこうと家を出て丁度真ん中くらいまで来たところだった。幸いなことに急所を外れたらしい上に刺されて直ぐに買い物帰りのお婆さんに発見されたから命は助かった。

 それでも当時のことを思うと刺された箇所が疼くのを感じる。

 だがこんなことは僕にしてみれば些細な事だ。暫くして僕が刺された場所から三百メートルほどの所でカリンが刺された。一撃で致命傷だった。不意を突かれたのか、カリンは抵抗した跡もなく、誰もカリンの悲鳴を聞いていないという。

 華奢で可憐だったカリンはどれだけ怖い思いをしたのだろうか。 

 無意識に拳を固く握りしめてしまう。

 殺意が一層強くなるのを感じた。


 カリンが殺された現場に着いた。カリンは人通りの殆ど無い裏路地で倒れていた。後は、その時が来るまで身を潜めて待つだけなので、やや離れた位置で隠れて様子を伺うことにする。


   待ち始めて三十分は経った。次第に指先の感覚が遠のいていく。

 どこか落ち着かずに時刻を確認しようとした時、少し離れた所から年配の女性の叫び声が聞こえた。僕が刺されたらしい。もうすぐだ。

 呼吸が速くなり、心臓がバクバクとなり始める。冬なのに全身が汗ばんでいくのがわかる。時刻を見ると後五分でタイムスリップして一時間経とうとしていた。全てはこの五分で決まる。

 一つ深呼吸して監視に目を戻すと人が走ってくるのが見えた。フードを深く被り、全身を真っ黒な服で揃えている。僕は確信する。


 ・・・・・・ヤツだ。通り魔だ。


 そいつは僕の記憶の中の姿よりずっと小柄だった。走って逃げてきたらしくその小さな体が激しく上下していた。辺りを警戒しながらキョロキョロと周りを見渡すと例の裏路地にスルスルと入っていった。間違いない。僕はポケットからナイフを取り出した。


 世界が静まり返った。自分の心臓の音しか聞こえなくなる。

 手が震え出す。


 カリンも直ぐにここに来るはずだ! 自分に言い聞かす。

 やるなら今、この瞬間しかないんだ!ハッパをかける。

 ナイフを一度見つめる。息を吸う。そして、悴んだ指先まで酸素を送る。解凍した指をナイフに絡めてしっかり握る。持ち手が壊れるんじゃないかって力で。必死に一歩踏み出す。もう一歩踏み出す。着実に、確実に。次第に足を早く動かす。走り出す。

 止まらずに路地に入る。通り魔を目で捉える。後十歩。奴は反応が遅れている。後九歩、八歩、一気に飛んで残り三歩。ナイフを構える。通り魔はようやく反応する。だがもう遅かった。次の瞬間にはナイフは僕の手から離れて通り魔の腹を新たな鞘としていた。


 寒風が路地の間を通り抜けて行った。遠くでパトカーのサイレンが聞こえる。

 ゆっくりと倒れていった通り魔の顔を始めて視認する。その瞬間全身の血の気が一気に引いた。


  僕の目の前には腹にナイフが刺さったカリンが転がっていた。その目は驚きと恐怖で見開かれていた。


 は?な、なんで・・・全身から力が一気に抜けていく。

 呆然とする僕の耳にカリンの掠れた声が入ってくる。

 「ちゃんと殺したはずだったのに・・・」

 その言葉を聞いて呼吸が止まる。ちょうどその時、タイムリミットの一時間が経ったらしく、僕の意識と体はゆっくりと元いた時代に帰っていった。薄れゆく意識の中で僕は彼女の憎しみと恐怖で見開かれた目が最後まで脳裏にこびりついて離れなかった。

 タイムマシンを使わなければこんな思いをせずに済んだのだろうか・・・行き場のない怒りが心の奥底で産声を上げ出した気がした。



 時は現代、一人の女性が真っ黒な部屋に佇んでいた。部屋には大小様々な機械が並んでいる。女性の名はカレン、カリンの実の妹であり、タイムマシンの所有者である。

 「ようやくか・・・」今回のタイムスリップの顛末を見届けて一息つく。当時の姉のことが思い出される。

 姉が刺された前日、私は姉から彼氏を殺したいと相談を受けていた。最初は驚いたものの、姉の話す彼氏のストーカーまがいの行動や暴力の数々を一気に並べられて何もいうことが出来なくなった。姉の彼氏はどうやら気性の激しい人だったらしい。

 しかし、後日私の耳には姉の死という想定外のニュースが届いていた。初め、姉は彼氏に殺されたのかと思ったが、当時の状況的にそれは不可能だった。事件の真相を追求することを望んだ私は長い時間を掛けてお金を貯めてタイムマシンを購入した。

 その後、タイムマシンを使って事件の真相を知って驚いた。何しろ無傷の姉の彼氏が確かにカリンを刺していたから。一瞬頭が混乱したがすぐに気づいた。ああ、あいつも私と同じことをしたのだ。

 現代に戻ると男を探した。男は荒れた生活をしていてタイムマシンなんか持ってそうではなかった。だから私がタイムマシンを渡して正しい歴史が成り立つようにした。その後の顛末は言うまでもない。

 正直なことを言えば、本当に男にタイムマシンを渡して良いのか迷った。間接的には私も人殺しになるわけだし。

 でも、構わない。男に対するストレスを私に肉体的にも精神的にもぶつけていた姉を殺したいと思ったことはしばしばあった。歴史のままで不都合はなかったし、そもそも歴史を変える、タイムパラドックスは起こしていけないのだ。

 帰ってくる男は私を恨むだろうか。事実を知ったことによるやるせない怒りや悲しみを私にぶつけるだろうか。ひょっとすると一度リミッターが外れた男は私に殺意を向けるだろうか。そんな気がする。


 私は姉を殺したかったのだ。


 姉は男を殺したかったのだ。


 男は私を殺したがるだろう。


 一度生まれた殺意はこの時間流の中で回り続ける。これからどれほどの数の私たちが殺し合うのだろう、まさに殺意の輪廻だ。

 そう思ってため息をついた瞬間、背中に鋭い痛みが走った。私はすぐにナイフが刺さったのがわかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る