異邦人の食卓

 目覚まし時計をかけずともおおよそ起きようと思った時間には目が覚める、というのは、仁のひそかな特技だった。目を開けると、周囲はまだ暗い。

〈おはようございます、仁〉

 体を起こすと同時に合成音声が頭上から降ってきた。

「おはよう、ナナさん」

 軽く頭を振り、船の制御機構に挨拶をした。船に乗り込んだ時、まどかが「ナナ」と呼んでいたのに倣って「ナナさん」と呼び始めたら〈人格を見出されたのは久々です〉などと言っていたから、かなり高度な人工知能なのではないか、と踏んでいる。

「電気をつけてくれ」

〈承知いたしました〉

 この船は、というより、ナナとまどかが平然と使っている技術の多くは、仁の生まれ育った星にはないものだ。仁の星にあった人工知能はせいぜいが携帯端末に内蔵されている簡易なものくらいで、型通りの受け応え以上のことはできない。人を助けるにはそれでも十分だったのだけれど、たぶんナナはもっとずっと進んだものだろう。身支度から彼女の仕事の手伝いに至るまで、ナナの出来ることは手広い。

〈本日の朝食はどうしますか?〉

「……ポテトワッフルにポーチドエッグを乗せる。ほうれん草とベーコンをソテーして……あと牛乳もつけるか。それとスープ」

〈食糧庫から何を用意すれば良いですか?〉

「じゃがいも一袋、卵二つ、ほうれん草一束、薄いベーコンを一パック。それから牛乳を一本と封の開いた薄力粉。角切りの方のトマト缶とキャベツ、にんじん一本」

〈承知いたしました。仁が朝の支度を終えた頃に、調理場へセットしておきます〉

「助かる」

 ただ、まどか曰く、ナナは「できることしかできない」のだという。ナナは食材の管理と出し入れは出来るが、メニュー名を言ってもその材料や分量はわからないし、調べろと言われなければ調べることも、基本的にはしない。まどかがそのアドインを組み込んでいないからだ。

 ナナはまどかの仕事である星々の観測や星図の作成、星の地質や大気成分等の計測に特化している人工知能である、らしい。他の機能はおまけみたいなものだ、と本人(人ではないが)も言っていた。仁から見れば最新技術の結晶のように思うようなことでも、二人(もしくは一人と一隻)にとってはそうだという。

 滅びかけの星で高校をやっと出たばかりのような年頃の少女に拾われて、ひと月ばかり経った。初めこそ生活スタイルの違いが如実に出て困りもしたが、最近はだんだんと落ち着いてきている。

「っし」

 赤と濃いめのピンクをベースにしたハイビスカス柄のシャツにシンプルなアイボリーホワイトのパンツを履き、髭を剃って肌の手入れをして、ジュエリーボックスを開ける。今日は何がいいだろうか、と鏡を見て、頭のてっぺんに地毛が覗いているのにちょっと顔を顰める。

「そろそろ染め直すか……」

 もともと、髪を含めて派手な色使いのファッションが好きだった。星がなくなると聞いて、窮屈に生き続けるよりはと気楽に星と心中を決めた時、真っ先にスーツを脱ぎ捨てたくらいには。

 最後の日々を好き勝手に生きようと決め込んでいくつも買った染髪剤の余りは、まだ荷物に入れてある。やってきて以来まどかが褒めてくれたためでもあった。

「そういえば、ナナさんは何色が好きなんだ?」

〈私に好悪があるとお思いですか?〉

「ないのか」

〈すみません。これでも、機械ですから〉

 合成音声ながら笑いを含んでいる表現ができるあたり、やはり好悪の一つや二つあってもおかしくはなさそうなのだが、そういうものらしい。

〈誰かの意見を求めたいのであれば、まどかに聞いた方が良いかと〉

「……そうする」

 とりあえず今日のところはこれでいいか、と頷き、黒真珠のピアスを選んで耳たぶに差し込んだ。

 部屋を出て、セントラルルームを通り抜けてキッチンへ入ると、先程伝えた通りの食材が並んでいる。

「まずはじゃがいもだな」

 金属のザルを陶器の皿に乗せ、少量の水を張った深めの鍋に注意深く入れる。それからじゃがいもを洗い、皮のままザルへ入れて火をつけた。

 ここのキッチンには、仁が持ち込んだ以外の調理器具はない。当然、蒸し器なんてものはないから、あるものでさまざまに工夫をしている。

 芋を蒸している間にほうれん草をざくざく切り、茎の部分だけオリーブオイルで先に炒めておく。柔らかくなったら皿へ上げ、じゃがいもの様子を見る。箸でつつくが、まだ刺さりそうにない。先ににんじんとキャベツを切ることにする。

〈キャベツは以前ミキサーにかけていましたね。必要ですか?〉

「いや、今日はトマトと一緒に煮るから大丈夫だ」

〈わかりました。仁はたくさんの調理方法を知っているのですね〉

「俺が知っているというよりは、あんたの主が知らなさすぎるんだ」

 仁は肩を竦める。

 仁を拾った時のまどかの言葉に嘘偽りはなかった。何しろ、仁が来るまで、食糧庫にはお湯で練って作るタイプの栄養食以外の食材が存在しなかったのだ。故郷の星を出て三日で音を上げた仁は、どこでもいいから食材を調達できる星へ下ろせとまどかに言った。

「そんなまずい? あれ」

「美味いとかまずいとかじゃない。飽きないのか、お前」

「特別な日でもないのに、他の味のものを食べる必要はなくない?」

「正気か?」

「今までそうだったし」

「本当に正気か?」

 とびきりなめらかなマッシュポテトのようなものを一日三食、毎日同じ時間に食べていたと聞いて、仁はとんでもない女に拾われてしまったと気付いた。

 まどかにはどうやら、食を豊かにしたいという感覚がないのである。食べ物は命を繋ぐためのものでしかなく、それはたとえば、呼吸をするのに必要な酸素に味がついていなくても気にしないのと同じように、三百六十五日毎食同じ味付けで問題はない、と思っているようなのだ。

「あんたはあれに進言することはなかったのか」

〈栄養やカロリーの面において一日の推奨摂取量が摂れていれば、口出ししません。貴方が調理した食事も、栄養食も、私には相違なく感じます。むしろ調理した食事のほうがバランスは崩れやすいので、非効率だとも考えられます〉

「……機械に食育という概念はないか……」

〈その概念自体は理解していますが、これまでのまどかはそれを必要としていませんでした〉

「……そのあたりは話し合う余地がありそうだな」

 そんな話をしながら、キャベツの固いところとにんじんを水の中に入れて火にかける。塩を少し入れ、沸騰したらトマト缶とコンソメキューブを加える。弱火でしばらく煮立たせることにして、もう一度じゃがいもを確認する。今度は箸が刺さる柔らかさになっていたので、ザルをどうにか引き上げた。皮を剥き始める前に軽く鍋をすすぎ、水を張って湯を沸かす。

「あち」

 箸を刺したところの周辺から皮がめくれているのをつまんで剥いていく。蒸したての芋の蒸気は火傷するほど熱い。

〈冷やさないのですか?〉

「剥きにくくなるからしない」

〈そうですか〉

 ナナが沈黙する。気にすることなく皮を剥き終え、ボウルの中で潰して少量の牛乳と片栗粉と混ぜた。あらかた混ざったら塩と胡椒で味付けをし、ワッフルメーカーに挟み込んで焼いていく。

 仁は料理が好きだ。食材が熱を加えたり冷やしたりして変性するのは面白いし、美味いと喜んでもらうのも好きだ。……あの星から出ることを決めたのだって、まどかが毎日美味そうに自分の作った菓子を食べていたからに他ならない。面と向かって言う気はそうそうないが。

 だから、あれだけ自分の作ったものを美味そうに食べる少女が食事に興味がないということに多少、衝撃を受けた。美味いものを喜ぶ感覚があるのに、普段の食事は一定の栄養価とエネルギーさえ担保されていれば何だっていい、という感性であることに、腹が立ちさえした。そんな感性に育てた彼女の親にも。

 むろん、これは勝手な感覚である。仁が勝手に憤っているだけだ。そもそも、ナナの言う通り、栄養さえ摂れていれば問題はないのかもしれない。彼女のこれまでの、そしてこれからの旅路は、食事に興味を持っているほうが苦痛であるようなものであるのかもしれない。

 それでも、まだ年若い少女がそんな食生活をしているのがどうにも、気に食わなかった。

 時々美味い食事を作ってくれればいい、と言われたのにほとんど毎食手を替え品を替えさまざまな料理を作って食べさせているのは、その苛立ちのためだ。早い話が、あの少女に食への興味を持たせたかった。世界に美味いものがたくさんあることを教えてやりたかったし、美味いと思える感性があるのなら、それを育ててやりたかった。

 もしかしたら、自分が彼女に与えられたのと同じ光、のようなものを、返したかったのかもしれない。小さな星の片隅で、全てに見切りをつけて粛々と破滅する気でいた自分を宇宙へ引き摺り出したように、食という楽しみの海へ引き摺り出してやりたいのかも、しれない。

「……こんなものか」

 香ばしい匂いがする中、ワッフルメーカーを開けるといい具合に焼きあがっているのが見えた。皿に移し、湯のほうへ戻ってポーチドエッグ作りに取り掛かる。

「あ。酢ってあったっけ」

〈冷蔵庫、上段の奥にありますよ〉

「助かる。把握しているんだな」

〈冷蔵庫の中も私の一部ですから〉

 卵をあらかじめ割っておいてから、酢と食塩を鍋に少々入れ、火を弱めてぐるぐるとかき混ぜる。水流を作るためだ。できたら、卵をそっと滑り込ませる。透き通った卵白がすぐに濁り始め、湯の中心で小さくまとまる。

〈それは知っていますよ〉

「さすがに卵料理くらいはわかるか」

〈はい。茹で卵ですね〉

「いや……ポーチドエッグだ」

〈卵を茹でているのなら、茹で卵ではないのですか〉

「む……確かにそうだが、通例そうは呼ばないな……」

〈そうですか。難しいですね〉

 ここ一週間ばかり、ナナは調理中の仁によく話しかけてくる。調理アドインを仕込まれていないとはいえ、やたら高度な人工知能だ。もしかしたら調理を学ぼうとしているのかもしれない。

 あらかた固まったのを確認して火を止める。水流を維持したまましばらく茹で続け、適度なところでおたまで取り出す。

「こういう……お湯の中に卵の中身を落として作る茹で卵はポーチドエッグというんだ。茹で卵というと、殻付きで茹でたものを指す」

〈そうなのですね。覚えました〉

 ポテトワッフルの上に乗せ、マヨネーズとケチャップを混ぜたソースをかける。ほうれん草とベーコンをさっと炒めて添え、スープをよそえば朝食の完成だ。

「いい匂いする!」

 セントラルルームを覗けば、まどかがぴょこんと立ち上がったのが見えた。朝っぱらから夜間に飛んだ場所の確認をしていたらしい。中空にいくつも開いた青白い画面をひょいひょいと指先で閉じ、こちらへ小走りにやってくる姿は幼いのだが、これでこの船という一国一城の主である。

「おはよう、ヤスラギ」

「おはよ、ニィさん。今日のごはんなぁに?」

「ポテトワッフルとポーチドエッグ。付け合わせにほうれん草とベーコンのソテー、スープはキャベツとにんじんのトマトスープ」

「美味しそうな匂いがする。わたし、ワッフルは食べたことあるけどポテトワッフルっていうのは初めてだなぁ」

「そうか」

「早く食べよ」

「ああ」

 テーブルにまどかの分と自分の分を向かい合わせに置き、牛乳を添えれば朝食の準備は完成だ。

「では」

「いただきます!」

「糧に感謝を」

 それぞれの故郷の方式で食事に手を伸ばし、宇宙をゆく船の一日が始まる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る