自己啓発の代償

岡田朔

第1話

みね君、死んだんだって」

 あんがカップ麺に湯を入れてくれている間、僕は峯が誰なのかを考え続けていた。

「……ああ、高一のとき同じクラスだった」

 ようやく思い出したものの、印象を口に出すのはやめておいた。死者の悪口を言うのはさすがに気が引けたからだ。

「心筋梗塞だって」

「杏って、峯と接点なんてあったんだね」

 杏も同じ高校だったらしいけど、当時の彼女を僕は知らない。サッカー部所属で派手なグループに紛れ込んでいた僕と地味でクラスも違った杏とは、まったく接点がなかったからだ。だから偶然合コンで再会したときも、僕は彼女が同級生だとは知らずにアタックした。一目惚れだった。もう二年も前の話だ。

 同じクラスだった峯とも、やはり親しくはなかった。滅多に登校せず、たまに来てもいつのまにか帰ってしまっている峯は、誰とも親しくなかったんじゃないかと思う。ひょろりと手足が長く、ガラス玉のように空虚な目をした奴だった。

 一度だけ、早朝の教室でふたりで話したことがあった。なにを話したかは忘れてしまったけど、たいした話じゃなかったんだろう。

 フタをしたカップ麺を僕の前に置き、杏は反対側の椅子に座った。

「よく食べるの? こういうの。よくないと思う。食べ物によって体は作られるんだから」

 杏は口にするものこだわりがあり、九時以降には水以外一切とらないという徹底した健康志向を貫いている。

「今日は夕飯を食べそこねたから買ってきただけだよ。普段は食べないから安心して」

「それならいいんだけど。私ね、峯君とは個人的に親しい関係にあったの」

 時計の秒針を見ていた僕は、目を見開いて杏の顔を見た。

「さっき峯君と接点があったかと訊いたでしょ。その答えなんだけど」

「ああ。高校のときの話か……」

「いいえ。彼が死ぬまでずっと親しかったの」

 安堵したそばからまたどん底に落とされる。

「なんで今ごろ言うんだよ。峯はもういないんでしょ。それなら黙っていてくれたほうがずっとよかったよ」

 恨みがましく口にした僕を見て、杏は長いまつ毛を伏せた。

 お互い結婚を前提に付きあっていると思っていた。杏が過去に誰と付きあっていようが構わないけど、時期が被っているとなると話は違う。峯が死んだからといって、なかったことにできる問題じゃない。

「最近まで僕に隠れて峯と会っていたということなんだ」

 頷く杏に盛大なため息がこぼれた。

「誤解しないで。峯君とはそんな関係じゃないの」

「もっと高尚な関係だったとでも言いたいの」

 嫌味を言ったつもりだったのに、ええと杏は悪びれもなく答えた。

「高二のころ人生に希望が持てず、一緒に死んでくれる人を探していたの。そのとき、ネットで声をかけてくれたのが峯君だった」

 驚きのあまり僕は声を失ってしまった。杏は明るく思いやりのある性格で、友人も多い。会ったことはないけど、家族との仲もよさそうだし、仕事も順調そうだ。そんな彼女が過去とはいえ、自殺仲間を探していたなんて信じられなかった。

「どうしてそんなことを。峯はともかく、杏が自殺する必要なんて」

「あなたは昔の私を知らないから」

 知ろうとしなかったでしょと、拒絶されたように感じた。

 たしかに僕は、卒業アルバムに写る杏さえ見たことがない。今の杏を好きになったんだから、過去なんて知る必要はないと思っていたからだ。

 いや、それは上辺の理由に過ぎない。本当の理由は別にあるんだとわかっている。

 折りあいが悪かった義父のいる実家を出たのは、大学が決まってすぐだった。母を想ってのことだったけど、始めは頻繁にかかってきていた電話が少なくなり、帰ってきなさいとも一切言われなくなると、義父だけでなく母までも憎く思えた。二度と帰ってやるもんかと誓い、僕は地元に近づかなくなった。

 卒業アルバムが実家にあるのは知っていた。だけど取りに行って、母にとって自分がもう必要のない人間だと思い知らされるのが怖かった。だから行かなかったんじゃない。過去と向きあうのが怖くて行けなかったのだ。

「当時はそうするしかないと思っていたの」

「杏が生きていてくれていたのはよかったけど、どうして気持ちが変化したの」

「峯君が私に声をかけたのは、一緒に死ぬつもりじゃなかったからなの。あなたには知っていて欲しい。私と峯君がどんな関係だったかを」

「わかった……。峯との恋愛話じゃないなら聞くよ」

 いつのまにか時間が過ぎていたカップ麺を引きよせると、「もう、おいしくないと思うの」と杏が止めた。無視して箸を割ったら、指先に刺すような痛みを感じた。割り箸のささくれが指に刺さっていた。ささくれを抜いた途端、傷口から血が盛り上がってくる。

 心配そうに杏は指を見つめている。

 僕はフタをはがし、ひと混ぜしてから麺を口に運んだ。伸びた麺を食べる僕に杏が話しだしたのは、とても奇妙な話だった。

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