第20話 前提と過程と結果。



 ——————————。


 菜摘の大胆な発言に、私達は静まった。

 近くの席からジュージュー、と音が聴こえる。お肉にプレートから熱が伝わる音だ。その音が、お店に充満するあらゆる匂いの中から、ハンバーグステーキの匂いを、ピックアップさせる。


「菜摘ちゃん、田所くんに、フラれたの?」

「正確には、フラれたようなもの、だけど、同じことよ」

 美空の質問に、その表情を変えることなく菜摘が返した。

「なんで、笑っていられるの? 

 私ももっともな、そして、更に続ける。

「……話すと長くなるんだけど、それでも、聞いてくれる?」

「……もちろん」

 その為に私達はここに居るのだ。その為に、わざとらしく空気を作ったのだ。私達の三人で。


「私のアルバイト先、琇くんが働いてるピザ屋さんと同じ系列なの。とはいっても私の所はラーメン屋さん——」

 それは琇から聞いている。菜摘がラーメン屋で働いてる姿は想像できないけど。

「私は四月からバイトを始めていたから、琇くんが働き始めるよりも前に、ピザ屋さんの方にも手伝いに行く事が多かったの。だから私の方がちょっとだけ先輩、かな——」

 菜摘の話にはまだ、琇は出てきていない。つまり本題とは関係のない話なのだけど、それでも話すという事は菜摘にとって、それが重要な部分だから、なのだろう。

 だから私は合いの手も入れずに、黙って聞く。

「それでね、琇くんが働き出した初日、私もヘルプでピザ屋さんに居た。クラスメイトが突然現れてびっくりしちゃったけど、私は自分のお仕事をこなすだけ。だから琇くんの事はそんなに気にならなかったわ。でもその日——」

「でもその日?」

 口を挟むのは美空だ。なんだか私よりも真剣な目をしている。

「その日の私、お客さんとの電話で失敗しちゃって、怒られちゃった。私ってけっこう無愛想でしょう? だから味方になってくれそうな人は店長しかいない。そんな店長も私がミスをしたなら怒らなきゃいけないから、私は悔しくて、更衣室で一人、泣いてたの」

 最近の菜摘はよく笑う。私や美空の前のみで、だけど。

 今日梨乃に対して言った「嫌われても問題ない」という言葉が、普段の菜摘の周囲への対応を物語っている。いつも菜摘は静かにしているから敵を作る事はないのだろうけど、味方ができる事も少ないのだろう。

「そんな時に、ポスティングから帰った琇くんが、女子の更衣室に入って来た」

「えっ? あいつ犯罪じゃん」

 もちろん私はそんな事を思っていない。ただあいづちを打っただけ。

「ふふっ、私もそう思った。でも琇くんね、困惑する私に『ちょっとさ、笑ってみて?』って言ったのよね」

 菜摘の目は少しだけ上を向いている。「カイくん」を話す時の美空と同じだ。

「それは……泣いてる人に言うことでは、ない気がする」

 美空がホットのイチゴオレを。私も同意見だ。

「そう、だから私は『そんなの無理』って言ったのよ。そしたら琇くんが『そりゃそうか! あはははっ!!』って」

 真面目な顔で琇の口調を再現する菜摘。しかもちょっと似ている——いや、あたしも真面目に聞こう。

「ええ……?」

「私は腹が立った。琇くんが私を笑い者にしに来たんじゃないかって。でもね、琇くんは言葉を続けたの。『いやー僕もさっきチラシ配って怒られちゃった! おかしいよね?』——」

 ——ほう?

「なんでも琇くん、チラシをポストに入れる時、変なおじいさんに怒られたんだって。『持病でピザも食えない俺に嫌味か!?』みたいに——」

 ——うわ、理不尽……。

「私はそれの何が面白いのか分からなかったわ。でも琇くんは『んなもん知るかってハナシだよね? 変な人って良い話のネタになると思わない? すげー得した気分! あははは! はどんな事言われたの?』って続けた」

 そんな事を言う琇自身が「変な人」だと思う。ちょっとだけ。

「あ、わたし、わかった! きっと田所くんは菜摘ちゃんを励まそうとしたんだよね?」

「そうそう。アルバイト初心者がクレームを『得した気分』とか言って、励まそうとしてきたのよ。生意気すぎて私、思わず一緒に笑っちゃった。そして私もお客さんの悪口を言ったら琇くん、その人のこと『ゴミだねゴミ! 自分の態度を改めない奴が他人の態度にケチつけんなってハナシ!』って更に悪く言って、——」

 ——あーなるほど。あいつがよく「私以外に」やる手口だ。あのめ。

「でもこうも言ったわ。『今の笑った菜摘ちゃん、すげー可愛いよ? これからは電話に出なよ?』」

「うわー田所くん、チャラー」

 そう琇は、基本的にチャラい。私と付き合う前までは戸高が誘った「チャラい遊び」にも参加してる事が多かったし。

「ホント生意気。バイト初日の人が、一応先輩な私に向かってアドバイスするなんてね。でもその時にはもう、私は落ち込んでなんかいなかった。それから琇くんは、私が本来のバイト先にいる時も、マメに電話で連絡して、私にアドバイスしてくれるようになった。喧嘩の仲裁の仕方も琇くんに教えてもらったの。仲が悪すぎて迷惑な人達がいたから。そして、その時からよ瑞稀。

「な、なるほど」


 いや、予見はしてた。でも面と向かって言われると、少しだけ身構えてしまう。

 菜摘は二学期まで、私にすごく素気なかった。他のクラスメイトにとる態度以上に、冷たい態度。そんな菜摘と琇が連絡を取り合っている事を知っていた私は、すごく、もんもんとしていた。今その「あらかじめ気づいていた理由」が完全に明らかになったのだ。だからこそ、身構える。

「ところで瑞稀、今日琇くんが皆んなに対して怒った理由、あなたわかる?」

「え? 田所くん、皆んなに問い詰められて逆ギレしたんじゃなかったの?」

 急に話題を変えた菜摘に対して、私、ではなくて美空が反応した。確かに普通の人ならそう見てしまうだろう。

 でも、私は違う。

「あたし個人の考えだけど、良い?」

「ええ、もちろん良いわ」

「よく色んなトコロでさ、皆んな『か弱い小さな花を見て幸せー』みたいなこと言うじゃない? 他にも子犬だとか子猫だとか、そういう『人間以外』のモノとか見て、感動とかしてる——」

 二人は私の話を黙って聞いている。私は続けた。

「でも、琇と付き合って……いや、付き合う前にも——そう、琇と出会ってから、あたしは知った。あたし達は他の人と関わってるだけで、それだけで楽しいし、嬉しい。そりゃあ面倒なトキとか、ムカつくトキとか、そういうのも沢山あるけど、そんなのも結局、『楽しさの一部』なんだって。皆んなを知れば知るほど、あたしは皆んなのことを好きになるし、感動できる」

「それなりに?」

 美空がを入れる。

「そう、それなりに。だってあたし達は他の人を毎日見てるわけでしょ? 毎度毎度派手な感動なんてモノがあったら、それだけでお腹一杯、疲れちゃう。だからその——」

 菜摘も美空もカップを手に取った。私もカフェオレを手に取り、口に流し込む。

「もちろん琇はあたし以上にそれを知ってる。だから、自分のことも他人のことも知ろうとせずに、ただ決めつけて、それで終わり——そんな皆んなに腹が立ったんだと思う。自分の好きなものが否定されたり興味を持たれなかったりすると、大抵の人はショックでしょ? 琇は皆んなが好き、なのに、。その事実がショックだったんだと思う」

「おお……!」

 美空がなんとも言えない声を出した。たぶん矢嶋の口調がちょっとだけ移っているのだろう。

「私も半分は同じ」

 菜摘が半分だけ、同意した——半分?


「瑞稀、あなた気づいてる? あなたと付き合ってからの琇くん、他の人達にも『あなたにするのと同じ対応』をし始めてることに」


 ——え? 同じ対応?

 

「お、お客様……? そろそろ、良いでしょうか?」

 いつの間にか、赤く細かいチェックシャツを着た店員さんが立っていた。手元のワゴンには、私達が注文した料理達が、載せられている。


 目の前にそれぞれの料理が置かれた私達は、更に会話を続けるのだった————。

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