行き詰まりさん

胡麻桜 薫

緊張する場所

劇場のロビーは緊張する。


無論、わたしはただの観客だ。

舞台に立つわけではないし、舞台に関わっているわけでもない。

なんでもないただの観客だ。

それなのに、やけに緊張する。

入り口でチケットを提示する段階でもう、プレッシャーを感じる。

ロビーに一歩足を踏み入れれば、ドクドクドクと動悸が早くなる。


劇場のロビーには独特の空気が流れている。

観客たちのワクワクとソワソワ、いつもより少しだけ昂っている感情が気流のように渦巻いて、空間全部を飲み込んでいく。

ざわめきがあちこちから押し寄せてきて、どうしていいか分からなくなる。

カバンを触る手が、わずかに震えている。

わたしなんかがここにいていいのだろうか、と不安になる。

劇場という華やかで夢のある空間の中で、自分だけが醜くてみっともなくて場違いな気がしてくる。

無性に恥ずかしくて、申し訳ない気持ちになってくる。

ドクドクドク。落ち着かない。


それなら開演ちょっと前に到着すればいいではないか、と言われるだろう。

だがわたしは超のつく心配性で、開場時間には劇場にいないと開演に間に合わないのではないか、お手洗いに行く時間がなくなるのではないか、という恐怖心を振り払うことができないのだった。

だから早めに到着し、緊張を誤魔化すためロビーの椅子に座ってみたりする。

椅子がたくさんある時は、そのままそこで時間を稼ぐ。

椅子が少ない時は、貴重な座り場所を占拠するわけにもいかないので、早めに席を立つ。

二階ロビーや三階ロビーに上がってみる。

大抵の場合、上の階は一階よりも静かだ。椅子の数も一階より多かったりする。

つまり、過ごしやすい。おすすめだ。


お手洗いを済ませたら、客席に入る。

自分の座席までコソコソと移動し、席に座る。

ひとりで来ているので、周りの会話が耳に入ってくる。

プライベートな会話を聞いてしまうと、いたたまれない気持ちになる。

だから、聞かないように注意する。

まだ緊張はしているが、だんだんと「人に囲まれていること」に対する緊張から、「もうすぐ舞台が始まること」に対する緊張へと変わっていく。

それは、心地の良い緊張感だ。


そうして、幕が開く。

役者が姿を現す。

他のことはもう、気にならない。



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