05.「どうか私の、新たな『主(マスター)』になってください」


 目覚めて四日もすると、屋敷を自由に歩き回れる程度には回復した。

 フレドリカも彼がベッドから起き上がるのを止めなくなったので、少なくともその程度には回復したのだと見ていいだろう。


 生体観測は現行の第三世代型 《機甲人形オートマタ》に標準搭載されている観測機能の一つだ。もとは戦場における敵の位置観測を目的とした機能の一つだが、近接観測時であれば対象の識別救急トリアージにも転用できる。

 つまるところフレドリカからの静止がかからないということは、それだけウォルフが回復したという、ひとつの指標と見做すことができた。


 まともに動けるようになったのを機に荷物の中身をあらため、何もなくなっていないのを確かめた。何にも代えがたい『』は無論のこと、それ以外の荷物も誰かに手をつけられた様子はなかった。


 ウォルフはこの時になって、ようやく心の底から安堵した。

 が――しかし、だとしても何もかもが元の通り、というようには、いかなかった。


 指三本を喪った左足は、歩行ひとつとってもこれまで通りの感覚とはいかない。

靴底を踏む感覚が明らかにこれまでと異なり、否応なしに喪失を意識させられる。

 それでも日常生活程度なら慣れればどうとでもなりそうだが、それ以上を求めるならば厳しい場面もこの先多くあるだろう。


 雪原で凍死していて何らおかしくなかった我が身を思えば今以上など望むべくもない。が、今なお逃亡者にすぎないウォルフにとって、ギリギリの局面で確実に足を引っ張るこの喪失は、やはり痛手だった。


(国境こそ越えたとはいえ、いつまでもここに留まる訳にはいかない――が)


 これまでのように一人で闇雲な逃走を続けるのは、あまりに分が悪い。

 レフテオールの領内――即ちガルク・トゥバスと対立関係にある国の懐にいるという現状は、能うる限り活用したかった。


「フレドリカ。少しいいだろうか」


 午前。朝食後。

 ウォルフは傍らに控えていたフレドリカへ呼び掛けた。

 ベッドから降りて動けるようになると、食事も別室のテーブルで採るようになった。日々の献立は、貴族の――金持ちの館でのそれとしては質素なものであっただろうが、どれも滋養のつくものばかりだった。何より旨い。

 これまでの逃亡生活と比べればあまりに上等すぎる、人間の食事だった。


 ウォルフが食事をする間、フレドリカは本物のメイドサーヴァントがそうであるように、常に同じ室内の邪魔にならないところで控えていた。

 《人形》なればこそかもしれないが、そうしているときの彼女は気配というものを感じさせない。彼女の給仕を受けるこの館の主人ないし主人達は、さぞ心置きなく食事に専心することができるであろう。


「何でしょう、ウォルフさま」


 用がなければ彫像のようにひっそり静かにたたずんでいるだけの娘だが、ウォルフが呼び掛けるとフレドリカは覿面てきめんに反応した。

 人であればその極致にあるだろう端整な美貌、大きく澄んだ氷のような瞳に見つめられることに居心地の悪さを覚えそうになりながら、ウォルフは続ける。


「以前にもお願いした件だが、この館のご主人にお目通り願うことはできないだろうか。ご覧のとおり俺の体もよくなってきたし、移動するにも差し障りはないつもりだ」


 身動きのままならなかった数日のうちに、ウォルフは自身が置かれた現状――というより、この館がいかなるものであるかということについて、ある程度の推測を立てていた。


 まず――貴族制度を持たないガルク・トゥバスに生まれ育ったウォルフにとっては書物の中だけの知識だが――レフテオールの貴族階級は、皇権のもとに与えられた領地を運営する経営者であり、また都市を治める執政官でもあるという。

 しかしこの館の周囲は森ばかりで、都市どころかそもそも人の気配すらない。この館からして、今日までフレドリカ以外の姿を見たことがないのだ。


 日が暮れる刻限になっても窓の外に灯りひとつ見えないのだから、この館から視界の届く範囲には人里が、家自体がそもそもないのだろう。

 

 の住む環境とは、とてもではないが思えない。

 端的に言って不便な立地だ。


 つまり、ここはエルフェルズ女伯――ドロティア・ランヒルド・リア・レーフグレーン卿の『』。仕事を離れての休暇や静養のために訪う土地であり、当のエルフェルズ女伯は統治を委ねられた都市にいる。


 そして、留守の間の館の管理を、フレドリカに一任している――過酷な環境での運用を念頭に置いた局地型 《機甲人形オートマタ》のフレドリカ一機であれば、管理のために人間を置くよりよほど手間がかからない。寒冷地での運用を念頭に置いた彼女らは、『防寒』のためのコストを基本的に無視することができるからだ。


 裏を返せば、人間の『防寒』と異なる備えは要請されるし、そも人間を使うほどきめ細やかな気配りは期待できない。そうした問題はあるものの、総体としてのコストは人間を使うより安く上がる――少なくとも、ガルク・トゥバス国内であればそうだ。


 まがりなりとはいえ、フレドリカは自律思考・自律制御・自律成長をその要件とする第三世代型 《機甲人形オートマタ》だ。

 今となっては十年以上前の型落ちだが、その作業水準で満足できるのなら、これほど安上がりな管理人は他にいまい。


「前にも言った通り、女伯にはいただいた御恩の礼を申し上げたい。そして、もしその場で女伯にお許しをいただけるなら、俺から他にお話したいこともある――ガルク・トゥバスに関する話だ」


 そう訴えるウォルフを、フレドリカは感情の薄い瞳でじっと見上げる。

 また止められるだろうかと内心ひそかに焦れかけるが、やがてフレドリカは首を縦に振った。


「承知いたしました、ウォルフ様。これより機主マスターのもとへご案内いたします」


「そうか。すまないな、助かる」


 ウォルフはほっとする。

 《人形》とはいえ、彼女は国境を預かる辺境伯にかしずくメイドだ。『国境を接する隣国に関する話』と切り出せば、主人の役目の性質上、初手から切り捨てられるようなことはあるまいと踏んではいたが。


「いえ――」


 フレドリカは俯き気味に、視線を逸らした。旧式の《人形》らしからぬその反応をウォルフは訝る。

 が――彼がその疑問を形にするより、フレドリカが再び口を開く方が早かった。


「どうぞこちらへ。ただ――ウォルフ様のご要望に沿うのは、困難であろうと存じます」


「? ああ……」


 先を行くフレドリカの後に続いて、屋敷の中を進む。

 広い廊下を進むうち、吹き抜けになった玄関ホールへと出た。

 左右の廊下から続く階段の先にある中二階。そこの壁には、一枚の大きな肖像画がかかっている。


 夫婦の肖像だった。

 美しい刺繍をあしらった長衣ガウンを身につけた貴婦人が正面を向いて立ち、その傍らの椅子には彼女の夫らしき人物――口ひげを整えた身なりのいい紳士が腰かけていた。

 

「エルフェルズ女伯、ドロティア・ランヒルド・リア・レーフグレーン様。ならびにその夫君、ブレスク・ボーメオン・セオ・ガンドロア・レーフグレーン様の肖像でございます」


「……立派なご当主でいらっしゃるようだ」


 目元の険が強く、いかにも『やり手』の雰囲気を身にまとった女伯爵だった。

 細身だが、背筋を伸ばして立つ様はさながら鋼のようで、肖像画越しでもその堅牢な気骨が伝わってくるようだった。

 隣で椅子に座る夫は、女伯と対照的に気弱そうな顔つきをした猫背の男で、その姿はいっそ悲しいほどの落差となって、隣に立つ女伯爵の風格を引き立てていた。


「ウォルフ様」


「ん? ああ……すまない」


 中二階の踊り場から、両開きの玄関扉と正対する階段を下りて一階へ。

 てっきり玄関から外へ――そうでなければ車置場ガレージにでも向かうものと思っていたが、そうではなかった。一階へ降りたフレドリカの足は玄関とは真逆、屋敷の奥へと向かっていた。


「失礼なようだが、フレドリカ。俺達は一体どこへ向かっているんだ?」


「温室です」


「温室……?」


「このような土地ですので。当邸宅には雪の季節でも人の目を楽しませる、温室が設えられています」


 不意に、胸の奥が陰るのを覚えた。

 それは、自分の推測は的外れの勘違いではなかったかと――そう疑う、ある種の予感じみた感覚だった。


 果たして、それは正鵠を射た。


 ガラス張りの温室。壁にも天井にも雪のかけらすら寄せ付けず、そのうちに暖かな空気を閉じ込めた温室。

 いつの季節のものかさえ判然としない、色とりどりの花が咲き誇るちいさな庭園の奥に、それはあった。


「…………これは」


 ホールの肖像画、その構図をそのまま落とし込んだかのように、二つ並んだ――それは、墓石だった。


 肩の力が、急速に抜け落ちるようだった。

 予感の正体はこれだった。主のいない館。その理由。

 墓石を中心に少しだけ開けた芝の空間で、二つ並んだ墓を背に、フレドリカは言った。


「エルフェルズ女伯、ドロティア・ランヒルド・リア・レーフグレーン様。ならびにその夫君、ブレスク・ボーメオン・セオ・ガンドロア・レーフグレーン様でございます」


「……亡くなられていたのか」


イエス


 よどみなく、フレドリカは首肯する。


「ブレスク様は三年前に、機主マスター二月ふたつき前に――それぞれの御命をまっとうされました」


 ――現在の当機は機主マスターの最終命令に基づく行動規範に則る、待機運用中の《機甲人形オートマタ・スレイヴ》です。


 あの言葉はそういう意味だった。

 もはや彼女へかける言葉も浮かばず、ウォルフは墓石の前で立ち尽くす。

 いや――


(いや……落ち着け、ウォルフ・ハーケイン。あれは女のなりをしているだけの人形だ。相手は《機甲人形オートマタ》なんだぞ……?)


 かける言葉も何もない。

 いくら何でも、感傷的になりすぎている――体が弱っていたせいだろうか。

 ぴしゃりとてのひらで顔を叩いて自分に言い聞かせながら、埒もない罪悪感を払うようにかぶりを振る。


「……なるほど。確かにこれでは、話などできそうもない」


 冷静になれ。

 己にそう言い聞かせながら、ウォルフは唸った。


「なぜ不可能だと言ってくれなかった? 最初からそう訊かされていれば」


「不可能と断定するだけの要素はありませんでした。たとえばウォルフ様が死霊魔術ネクロマンシーないし交霊魔術チャネリングの達人でいらした場合」


「そんな訳があるか」


 動きの鈍い頭をてのひらで抑えながら、ウォルフは唸る。もっと早く気づいて然るべき事態だったかもしれないが、現状は完全に予測の外だ。

 いかなる形であれ、エルフェルズ辺境伯の力を借り受けることは叶わない。

 逃走の手立ては、一から考え直さなければならな――


「ウォルフ様。私からもひとつ、お願いをしてもよろしいでしょうか」


「…………? 何だと?」


 怪訝に眉をひそめる。今、この《人形》は何と言った?

 お願い、と言ったか。フレドリカは。


機主マスターは仰られました。『私が死んだ後は何も構うことはありません。新しい機主マスターを見定め、しかる後に貴女の使命を続けなさい』。以上がドロティア様より登録された、当機の最終命令です――ウォルフ様」


 フレドリカは墓石の傍らから、ウォルフの前へと進み出た。

 豊かな胸元に白い繊手をあてがい、人形の娘は楚々として願い出た。


「――お願い申し上げます。どうかフレドリカの、新たなマスターになってください」


 傅く誓いを捧げるように。フレドリカは深く首を垂れる。


「然る後、私は従順なる貴方さまの《人形ドール・スレイヴ》。

 役目を解かれるいつかの日まで。私は当機の全機能をもって、貴方さまにお仕えすることを約束します――」

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