第6話 何者

 普段ヌードを描くときは、当然ながら写真や空想を元にしている。リアルな女性の裸体モデルにする機会なんてないから、そうする他ない。

 そんなことだから、実際にモデルがいることと、写真を使って描くことの違いなんて知らなかった。さほど変わりもしないような気がしていた。カメラが生まれる前ならモデルが目の前にいることも重要だっただろうけれど、現代においては無価値ではないかとも思っていた。描きたいポーズの写真を一枚撮って、それを元に描けばいいのにとも思っていた。

 けど、違った。

 生身の身体には、写真にはない圧倒的な存在感がある。今まで感じたことのない様々な感情が呼び起こされて、確実に表現するものが変わる。

 朱那の写真をもとに描いていたら、俺はきっと、ただただその美しさをより強く表現しようとしただろう。俺はいつもそういう絵を描いていたのだが、それは色々なものが不足していたのだと、今はわかる。


 目の前にモデルとなる人物がいると、自分の奥底にある何かが活性化するというか、目覚めるというか。決して、ただ性欲を掻き立てられているという話ではなくて、自分の中にあるとも知らなかった何かが、溢れ出してくる。

 大袈裟に言えば、不思議な力に覚醒するような感覚。今まで描いてきたものが、途端に陳腐に感じられてしまう。


 絵に没頭すること、三十分程。下腹部辺りで両手の指を絡める姿勢を保ち、じっと立っていた朱那が声をかけてくる。


「……ごめん、少し休憩していい?」

「あ……ごめん。そうだな。写真じゃないんだから、合間に休憩が必要だ。休んでくれ」

「ん」


 写真なら、何時間ぶっ続けで描いたって構わない。しかし、リアルにモデルがいるのなら、都度休憩を挟まないといけない。そんなことも失念していたとは。


「んーっ、絵のモデルをやるって、結構きついねー!」


 朱那が大きく伸びをしたり、肩をぐるぐる回したりする。ちらちら覗く脇がセクシー……。


「……ごめん。モデルがいるときの描き方とか、知らなくて」

「いいよいいよ、わたしが無理矢理お願いしたんだし。それで、どう? いい感じに描けてる?」

「……ああ。俺としては、今までで一番、かな……」

「それは楽しみ。今すぐ見たいけど……完成してからのお楽しみにしておこうかな」


 休憩中であっても、朱那は服を着ない。いちいち脱ぎ着するのは面倒臭いもんな。


「ねぇ、絵を描いているときって、興奮とかしないの?」


 その視線が俺の下半身に向いている気がするが……まぁいい。


「……そういうの、ほとんどない。描くことに集中して、他のことはだいたい全部忘れてる」

「へぇ、知識としては知ってたけど、本当にそんなもんなんだね」

「みたいだ」

「悠飛はさ、いつからヌード描いてるの?」

「……たしか、小学三年生くらいから」

「わぁお、性の目覚め、早すぎじゃない?」

「性の目覚めって……。まぁ、早かったのかも。けど、何かやらしいものというより、ただ綺麗だと思ったから、自分でも描きたくなったんだ」

「モデルはどうしたの? スマホで検索?」

「そのときは漫画。兄が買ってる漫画雑誌のお色気シーンとか模写してた」

「なるほど。小三からだと、ヌード描き歴は七年以上か。なかなかのものだね」

「どーも」

「わたしは、小四から」

「……何が?」

「ヌードの自撮り」

「は!? ヌードの自撮りしてるのかよ! しかも、小四から!?」

「小四のとき、スマホを買ってもらってさ。もっと前からヌードの自撮りには興味があったけど、実際に始めたのは小四」

「……そんな歳から興味を持つとはね」

「悠飛だって人のこと言えないでしょ?」

「確かに」

「わたしの場合、物心ついたころから自分は可愛いって思っててさ」

「物心ついた頃からの、生粋のナルシストか」

「うん。そう。どやぁ! なんてね。それでね、いつも思ってたんだ。わたしは可愛くて、この裸はとっても綺麗だから、写真にしてずっと残したいって」

「とんでもない小学生……いや、物心ついた頃なら、幼稚園児?」

「幼稚園児だね」

「すごいな……」

「幼稚園児の頃からそんなこと思ってたから、小四から自撮り始めたときは、すごく楽しかったなぁ。ネットにアップしない程度の良識は持ってたけど、たぶん万単位でヌードの自撮りが残ってる」

「……児童ポルノだ」

「自分の自撮りを持ってるだけだもん、他人に文句を言われる筋合いはないよ」

「まぁ、そうかもな」

「今度、見せてあげるね。何歳のときのを見たい?」

「いや、それは……見せなくていい……」

「我慢しなくていいのに。わたしの前では、素直になっていいよ」

「……本当に、いいから」

「ふむ。まだ心を開いてくれてないなぁ」

「そういう問題か」

「わたしは、悠飛の全部を知りたいな。我慢もしてない、意地も張らない、欲にまみれた表情も。

 そして……同じように、悠飛にはわたしの全部を知ってほしい。よそでは決して見せられない、愚かしいわたしも」


 まだ交流を始めてそう時間も経っていないけれど、朱那が世間の常識からするとめちゃくちゃな人であることはわかった。

 それでも、何か強い芯があるのを感じて、その力強さには、憧れさえも抱いてしまう。


「精神面でも脱ぎたがりか……。朱那は、本当にどうかしてる。そして……何故かとてもかっこよくて、美しい」

「ありがと。そんな風に言ってくれたのは、悠飛が初めてだよ」

「俺以外に、そこまで強烈な素の顔を見せたことはないんだろ?」

「まぁね」

「朱那に比べれば、俺は本当に普通の人だよ。ヌードを描くのは、もしかしたら多少上手いのかもしれない。でも、それだけ。朱那ほど強い意志や個性があるわけじゃなく、ふわふわしてて、頼りない」

「……わたしだって、本当はそうだよ」


 朱那には似合わない、儚げな声音。


「え……?」

「わたしだって、深いところではすごく弱いよ。自信があるように見えているかもしれないけど、一人になると思うことがある。わたし、今のままでいいのかな? 単に思い上がってるだけの愚かな女の子なんじゃないかな? なんて」

「……意外だな」

「そんなもんだよ。人には色んな面があるし、心は日々移ろっていく」

「……うん」

「でも、それが面白いじゃない? 多面性があって、ときに矛盾もして、善とも悪ともつかないような曖昧な部分ある。それが人間の魅力だよ」

「……そうかも」

「わたしはたまに弱気にもなる。でも、そんな自分も嫌いじゃない。それがわたしの魅力の一つだから。

 ……えっと、そろそろ休憩終わりでいいよ。続き、お願い」

「ああ、わかった」


 気持ちを切り替える。軽く息を吐き、描くことに意識を集中させる。

 気持ちを高める俺に、朱那が言う。


「わたしにもふわふわしてる部分があって、まだ何者にもなれてない。ただのヌード自撮りが好きな女の子にすぎない。

 何者かになりたいとは思うけど、同時に、まだ何者にもなりたくないとも思う。

 だって、何者かになりたくて、必死にあがいてる自分が、きっと一番面白い」

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