01-006 少女

(…………)

 暗い海底から浮上するように、ケイイチのうすぼんやりした意識が、少しずつ合焦していく。


 えっと、鉄柵が壊れてビルから落ちて……

 女の子がいて……

 女の子……?

 ……あの女の子はどうなった……!?


 ケイイチが慌てて目を開けると、予想外に白髪交じりのダンディなおじさんの顔がそこにあった。

「……??」

「お、気づいたか」

「え……と……」

「大丈夫か? 痛むところとか」

 痛むところ……は……

「肩と……手が少し」

「OK。名前と年齢と住所は」

「東畑ケイイチ、17歳、北区、です」

「おし、意識のほうも大丈夫そうだな」

 この人はお医者さんか何かかな……と考えつつ、ケイイチはどうやら助かったらしい事を理解した。


 そろりそろりと体を動かしてみると、先ほど自己申告した肩と手の甲以外、特に痛むところはない。麻痺で動かないとか感覚が無いとかいった事もなさそうだ。

 あの高さから落ちてほとんど無傷とは……。

 ネットで見た通り、AIたちの人命保護力がすごいという事なのか、それとも何か別の力が働いたのか。


 ……って、そんな事は今はどうでもいい。

 気がかりなのは――

「あの……女の子は……」

「女の子……? ああ、あいつの事か。ほれ」


 おじさんが親指で差した方向を見ようとケイイチが半身を起こすと、落ちる時に目が合った気がした、あの黒髪の少女の無事な姿が視界に入った。

 少女は地面に倒れたアンドロイドらしきものの横にしゃがみ込み、その手足を触りながら何かをしている。見た感じ怪我などはなさそうだ。


(よかった……)

 ケイイチは、ほっと胸を撫で下ろす。

 人様に迷惑をかけないために死のうとしていたのに、見ず知らずの他人を巻き込んでしまったとあっては死んでも死にきれない。

 そんな最悪の事態が現実にならなかっただけでも、本当によかった。

 ……まさか自分までほとんど無傷で生還することになるとは思わなかったけれど。

 ケイイチは最悪の事態から救ってくれたのであろう、AIたちに心の底から感謝した。


 それにしても――

 この元旦にこんなビジネス街の片隅で、この子は何をしていたんだろう。


 キャンディーを咥えてアンドロイドに触れるその横顔は、どう高く見積もっても中学生になりたてくらいの年齢にしか見えない。身に纏うオーバーサイズの白衣のような服がその幼さを多少は打ち消してはいるが、それでもどう見たって中学生の妹よりは下に見える。

 そんな年端の行かない女の子が、元旦にこんな場所にいる理由がまるで想像つかない。

 このあたりに初詣に行くような神社はないし、営業しているお店などもない。

 周辺に居住用の建物はないので、お出かけの途中という事も考えづらい。


 何か関係ありそうなものといえば、彼女が触れているあのアンドロイドくらいだろうか。

 おかしな倒れ方をしていて、体のそこかしこに焼け焦げた痕があり、そして何より、首から上がない。

 あんな壊れ方をしたアンドロイドを見るのは初めてだけど――


 そんなケイイチの視線に気づいたのだろう。

 少女はおもむろにケイイチのほうに首を向けた。

 そして――

「場所とタイミングを選べクソガキ」

 その口が、やたらと切っ先の鋭い暴言を紡いだ。


「…………?」

 それを聞いたケイイチの脳は、瞬時に混乱の中にたたき落とされる。

 だって、少女の姿はどう見たって自分の妹より年下の、小さく愛いらしい女の子なのだ。

 その口から出てきた言葉の中身と声色が、少女の外見とあまりにかみ合わず、ケイイチは一瞬別の誰かが喋ったのかと思った。


 だが、周囲を見回しても彼女以外には先ほどのダンディなおじさんしかいない。

 改めて見直してみれば、少女の表情には――ややわかりにくいが――鋭い怒気が含まれている。


「えっと……ごめんね。お嬢ちゃんは……」

 とりあえず何かすごく怒っているようだし、その原因は自分にあるようだ。

 ケイイチは反射的に謝ろうと言葉をなんとか捻り出す。が、その言葉の終わらないうちに、

「ボクは16」

 先ほどの暴言と同じ声にさらに鋭利さを上乗せした声がそう言った。


「へ……?」

 16――というのは何の数字だろう?

 話の流れからいくと、やはり年齢だろうか。

 いやいやまさか。この外見で自分とほぼ同い年……はさすがにあり得ない気がするのだけど。

 外見から実際の年齢が全く推測不能な人は世に多くいるが、それは大人の場合の話だ。整形など、外見を大きく変えるような事がまだ許されない未成年でそういうことは滅多にない。


 ケイイチが激しく混乱していると、

「確かにちょっと若く見られやすいけど」

 少女の口がそう紡ぐ。


 あ……やっぱり年齢で合ってるんですね……。

 衝撃のあまりケイイチは思わず「ちょっとどころじゃ……」と口走ってしまい、「何か言った?」と少女に睨まれた。怖い。その顔に張り付いた怒気を孕んだ笑顔が怖い。


「た、多分僕の人生経験があまりに薄いせいで年齢とかそういうのを見誤っただけだと思います!」

「わかればいい」

 どうやらその辺りの話題には地雷が沢山埋まっているようだ。

 慌てて取り繕いながら、この件には二度と触れまいとケイイチは心に誓う。


 一方、少女はアンドロイドのそばでしゃがんだ姿勢から立ち上がると、ケイイチの方に向き直った。そして腰に手をあて、汚いものを見るような目でケイイチを見下ろしつつ、言う。

「で、どう責任取ってくれるの?」

 その一言に、ケイイチの心臓がドキッと跳ねる。

「責任……とおっしゃいますと……?」

 見たところ、彼女は五体満足で無事なように見えるが……やはり落ちる時に何かやらかしてしまったのだろうか。いや、何も起こらなかったほうが不思議な状況ではあるのだけど……。


 そんなケイイチの疑問に答えるように、少女は先ほど触れていた首なしのアンドロイドを指さした。

「キミが落っこちてきたお陰で、この子壊れた」

「……へ?」

 言われてみればこのアンドロイド、首が無いだけでなく、凹みや焼け焦げた痕もあり、体のところどころで復旧不能な故障を示す赤いランプが明滅している。

「これを……僕が?」

「ん」

「まじですか」

「ん」

 ケイイチの顔面が蒼白になる。

 これをケイイチが壊していたとして、責任100%だった場合――

 細かく計算するまでもなく、そこそこ長い間つつましやかに暮らす事になる程度の賠償金支払いの義務が課せられることになるだろう。


 だが――

「いやでもこれ……僕が落ちてきたくらいで壊れるようなアンドロイドでは……」

 このタイプなら、かなりの強度と柔軟性があり、ちょっとやそっとで壊れるようなものではないはずだ。ケイイチが落ちてきた程度の衝撃で壊れるとは思えないし、壊れるほどの衝撃があったのだとしたら、ケイイチの体の方が無事では済まないはず――

「何か?」

 少女はつかつかと歩み寄ってきて、顔をずいと寄せながらそう言った。

「いえ……その……このタイプの機体は、そんな簡単に壊れたりは……」

「ボクが嘘を言ってると?」

「いえ……その……」

 この少女が嘘を言っているとは思えないし、そう思いたくはない。

 しかしケイイチには、アンドロイドについてはそんじょそこらの人には負けないだけの知識を持っているという自負がある。


 というのも、ケイイチは人様の役に立つ人間になるため、何かの参考にならないかとアンドロイドの仕組みや構造を調べていた時期があり、その時に何を間違えたかアンドロイドというものにすっかり惚れ込んでしまい、それ以来アンドロイドに関する情報の蒐集が趣味の一つになっている。

 要するにケイイチは重度のアンドロイドおたくなのだ。


「えっと、このアンドロイドは、多分R型のバージョン12あたりの機体だと思うんですが、この機体に採用されてる筋繊維パーツM12は32F仕様なので僕が落ちる程度の衝撃でステータスレッドまで行く事は理論上あり得なくて……」

「キミが何を言ってるのかはよく分からないけど」

「えぇ……」

 説明が何も伝わらなかった事に衝撃を受けるケイイチ。

 この人はもしかして、コンピュータが壊れた時に「何もしてないのに壊れた」とか言い出すタイプの人だろうか――などと思う一方、自分の説明がやたら早口で、重度のおたく同士でもなければ伝わるはずのない、界隈でしか通用しない用語にまみれている事にはまるで気づいていない。


「とにかく、キミが落ちてきた事で、この子は壊れた」

「…………」

「キミのせいで壊れた以上、キミには責任がある。わかる?」

「……は……い」

 人様の役に立たんと色々な人を相手にサポセンの真似事をしてきた経験からわかる。これはYES以外の返答をしてはいけないやつ――


「どう責任取ってくれるのかな?」

「……な、何でもしますから、賠償とかそういうのだけは……」

 金銭的な話になるのは親にも迷惑がかかるし避けたい……とケイイチは慌てて答える。すると少女は

「何でもしてくれるんだ」

 と、目を細めた。


 これは何か危ないスイッチを押したか……? とケイイチは慌てる。が、どうも悪い事を考えてるような表情には見えない……というか、全体的にこの少女は表情の変化が薄味で、感情が読み取りづらい。

 ならば変化球を投げて様子を見てみるべきか――ケイイチに全くもって無駄な好奇心が芽生える。


「……え、えっちなのとかはナシですよ?」

「そんな面白くない冗談が言えるって事は、よほど大変な目にあいたいと思ってるっていう事でいい?」

「よ……くないです」

 氷でもここまで冷たくないんじゃないか、という冷え冷えとした少女の声に、ケイイチは己の無駄な好奇心を呪う。行動が全て見事に裏目に出る。それがケイイチという人間である。


「じゃあどうしてくれる?」

「…………」


 一体何と答えたらいいんだろう。

 何と答えるのが正解なんだろう。

 何もわからない。

 少女の視線がただただ痛い。

 痛いのだが――どう見ても幼女にしか見えない同世代の少女に近距離で詰問され、心の奥で新しい何かの扉が開きそうになる。これが吊り橋効果というやつだろうか? いや間違いなく違う。


 それにしても――

 この少女の言う事が本当なら、僕はまた人様に迷惑をかけたわけか。

 賠償云々を抜きにしても……凹む。

 人のために死のうとして、それすらロクに完遂できず、死ぬのをやめれば落っこちてまた人様に迷惑をかける。本当に自分は生きている価値のないゴミクズだ。いや、ゴミクズにはリサイクルできる可能性があるのだし、おおよそリサイクルなどできそうにない自分はゴミクズにすら劣る。ゴミ以下のゴミオブゴミ。


 ケイイチがそうやってただただひたすらに凹んでいると、

「嬢ちゃんよ……俺のいる目の前で偽証とか脅迫めいた事はやめてもらえるか」

 先ほどのダンディなおじさんの声が、路地裏に朗々と響いた。


「いいじゃんこれくらい。迷惑料」

 そう言ってぷくーっとふくれる少女の姿はなんともかわいらしい。が――

「いいわけあるか」

 どうやらこれをかわいいとは思わない方がよさそうだ――

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