クリンショー曰く、ダヌヴェ人の総力は一万足らず──この点から、総人口はホルスロンドの五分の一、三万人ほどと推定した。


 部隊は大きく二つに分かれ、一つは沿岸で略奪を働き、もう一つは首都ウィートヒル陥落を狙っているという。

 島の南部は妖精山を覗けば平坦な地形で、穀物地帯として開けているのもまたダヌヴェ人にとって都合がいい。馬を走らせるに適しているためである。


 女王は各集落の住民を西部へ避難させ、首長と彼らの私有兵を援軍として動かしたとクリンショーは語る。


 また女王は堀や落とし穴を掘ることでダヌヴェ人騎兵らの動きを制限し、防衛ラインを死守するつもりらしい。しかし騎射を得手とする彼らは火や毒の矢を遠方から放ち、一部集落を火の海にしているという。


「尋常ならざる勢い故、女王も苦戦しておられます」

「持久戦だと破壊力で圧しきられる。ならば、やはり的たるわたしが出て短期決着を狙うしかないか」

 ダヌヴェ人の移動速度は、速く見積もって一日四三マイル七十キロメートルだろう。


 これは港町から中央区ウィートヒルを往復した程度の距離である。女王の足止めがあるとはいえ、今日中に黒き山脈まで来る可能性がある。ならばわたしから直接打って出るしかない。


「レイフ。女王にはダヌヴェ人の目的などを伝えてある。お前には通訳を務めてもらいたい。本当は危険な目に遭わせたくないが、言葉の壁はどうしょうもない。いざとなったら、わたしが盾になる」

 クリンショーから剣を留めておくための帯を授かり、レイフとともに中央へと向かった。彼の小さな肩に、ヘビのナジオンが巻き付いている。


 なお彼はダヌヴェ人の攻勢を止めるためには流血の覚悟だけではなく、アーサリン女王の決断にもよく耳を傾けてほしいと話していた。 


 わたしたちが中央区に着いた頃にはいくつもの櫓が軒を連ね、迫るダヌヴェ騎兵に備えていた。


 一方で蹄の音は聞こえず、代わりに地響きが聞こえてくる。落とし穴や堀に気付いて徒歩に切り替えたならば都合がいい。


 兵の一人に状況を尋ねると、ダヌヴェ人の一人が交渉を申し出て来たという。曰くその人のイルミン語──ホルスロンドの言語は拙かったとも。外に出ることがかなわないホルスロンドの民はほとんどダヌヴェ人の言葉を解せないのは当然のことであろう。

 しかしダヌヴェ人や先生は違う。


 わたしは礼を言ってから、女王のところへ駆け出した。

 彼女は北東の集落でダヌヴェ人と向き合っていた。彼女はいつもの子グマの姿ではなく、初めて会ったときのような巨大なクマの姿で鎮座していた。そばにはラルフの他十人ほどの兵が控えている。

 更に手前には王と思しき恰幅の良いダヌヴェ人と、先生。彼らの背後に更に十三人の騎兵があぐらをかいている。


 裕福なホルスロンド兵は──我らサクソン人のものと似た──目と口元だけを出した兜を被り、チュニック状の鎖帷子を着ている。

 一方ダヌヴェ騎兵は我々の世界で言うスキタイ人のものと似ている。耳から下を鱗のような鎖帷子で覆い、頭には円錐形の兜を装備している。まさに鉄のトカゲという表現が相応しい。


「先生」

 まっすぐ呼びかけると、先生はこちらを向いた。アーサリン女王らも振り向いたが、すぐに視線を戻す。はじめに口を開いたのはやはり先生だった。


「お前が来ることは分かっていた。そこに座れ」

 その言葉を聞き、わたしはアーサリン女王に目を遣る。従うべきか逡巡したが、実のところ、イーゴリ先生の教え子として双方に顔を向けたいところであった。騎座に掛けていた綿の敷物を外し、雨上がりの青草に乗せて腰を下ろす。二人は何も言わなかった。


 湿気を含んだ風が土の臭いを運んでくる。女王の召使いの一人が、アカシアに編ませたウルヴァの毛皮を肩に被せてきた。わたしがそれに腕を通すと夏の水のように生温い熱が神経に這い入る。アカシアはわたしの体型をよく理解しているため、腕も袖も正しい形が取られている。


 改めて双方を一瞥すると、先に女王が口を開いた。


「今し方彼らの目的を改めて聞いたところよ。貴女を生贄に自分たちの土地を守ること。貴女はその理不尽な所以を既に知っている。そして遺憾なことに、私たちにできることは限られている。なんて悲しいことなのかしら!」

 彼女は刹那顔を伏せたが、すぐに頭を振って面を上げる。ラルフも今は、慰めなかった。


「ユーリーよ」

 次に口を開いたのは壮年のダヌヴェ人首長である。


 彼は曇天の海のような濁った碧眼と、獅子のような威圧感のある声を持つ男であった。胡服を覆う蔦の刺繍はユーリーのそれよりも繊細。胸から襟にかけて、世界樹を表現しているようである。


「つまるところ此奴が命を捧げるほかない。そうだろうユーリー。汝は女神の裔なる小娘を殺せば救われると説いた。故に我々は彼奴きゃつを追って渡島したのだ」

 先生は首長を一瞥すると、やおら口を開く。左頬を覆う母斑に地割れのような皺が入るさまは、一種の凶兆に思えた。


「先ほど、琥珀色の夢を以てむすめの心を尋ねたところ。結論から述べよう。要するはその小娘の血と──我々の命である」

 大風から顔を守るようなごく自然な所作のあと、首長の首に一閃の赤い線が走った。


 首は胴を離れ、鈍い音とともに地に落ちた。次の瞬間には首長の身体も崩れ落ち、小柄な草たちをふわり揺らす。


 わたしは小さなレイフの目を覆い、じっと、道を失った血管を見ていた。

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