第3話 降臨の赤

「あ、シャー芯なくなった」


 夜8時頃。

 家の自室で勉強をしていた俺は、いつの間にか補充用のシャー芯がなくなっていたことに気づいた。

 自称真面目を貫いている俺としては、1日の勉強時間を削がれるのはあまり良い気分にはなれない。


「時間は……まだ8時か」


 時計を見てまだ余裕があるか確認する。

 確認したところ夜遅くでなければ問題ないと考えた俺は、こんな時間で少し距離があって面倒なのだが、最寄りのコンビニに向かうことにした。


「姉ちゃんもまだ帰ってこないし、動けるのは自分だけ、か」


 いつもなら姉に頼み気味になってしまう俺だが、今回はそうはいかないようだ。

 俺は少しの金とスマホを持ち、徒歩10分ほどのコンビニへと向かった。




 ↓




「ありがとうございました」


 夜シフトのバイトの人は頭を下げる。

 俺はそれに対して何も言わず、ほとんど無視してコンビニを出た。

 買ったのは無くなってしまったシャー芯と、口内に刺激が欲しくなったのでプラスで炭酸飲料。合計して500円に満たなかったが、もう少し先にあるドラッグストアならもっと安く済んだのではと思うと、少し悔しかった。


 コンビニを出た後、俺は自宅へと足を進めた。

 他に用事もないので寄るところもなく、加えて最近聞くようになった事件などもあるので、少し早足で夜の中を進む。


 事件か……でも時間的にはまだ8時だし、死亡推定時刻は深夜帯だって言うし、考えが甘いけどこの時間なら問題ないでしょ。家まで後少し、2、300メートルといったところだし、ここまで特に何も起きずに神様に感謝感謝っと。


 そう思った時だった。



 ノシ、ノシ、ノシ……



 背後から重い音が聞こえてきた。そして音と音の間には一定の間が生じていた。


「……」


 ……またなのか?


 俺はその時疑うことをしなかった。もうこのシチュエーションは何度も経験してしまった俺には、この音はストーカー神崎 式乃のものだと脳内で確信していたからだ。



            ノシ、ノシ、ノシ……



 懲りないなぁあの子。こんな俺の何が目的なんだってんだよ。マジで分からない。

 流石の俺でもここまでしつこいのは頭に来てしまった。



                       ノシ、ノシ、ノシ……



 故に夕方のあの時に言い切れなかったことを今度こそはと思い、恐れることなく振り返る。


 ……その瞬間だった。


「あのさぁ、こんな時間まで君は———え?」



 間抜けな声が、漏れた。

                       不思議と目が、見開かれた。

 体から熱が、抜けた。



「ア、ア———————」



 次に呼吸が、止まった。

                       鳥肌が全身を、覆った。

 同時に脳が、こんな結論を出した。



              ワカラナイ



 理解不能だと。俺の持ちうる知識《常識》が、目の前に映るを識別することができないと。

 それもそうだろう。目の前にいたのはあのストーカー後輩ではなく、闇よりも暗い““であったのだから。


「ハ、ウゥ——————」


 黒、黒、黒……!


 ハッキリ言ってそう捉えるので限界だった。だがどうにか無理をしてその姿を認識する。

 見たところ人型、しかし巨大。高さ3メートルはあり、マネキンのように体や頭に毛が存在しない。

 肌の色は黒。それも、闇世の中で目立つくらい。漆黒と表現していいだろう。

 顔は……認識不能。そもそも目や耳すら存在していない。だが、口元には口角を上げ不気味に微笑む口と、そこから覗かせる白い歯がある。

 


 結論。これはヒトではない。バケモノ、ダ。



 黒い人型は恐怖で動けずにいる俺を、ありもしない目で眺める。

 そして口角を一度下ろしたかと思うと、寧ろそれを上回るほどの笑みを作り上げ、嗤う。


 ああ、コイツ、殺す気だ。


 まだ何もされてないし、言われてもいないし、されたことといえば嗤われただけだ。

 でも分かる。分かってしまう。コイツは、俺を、殺す……!


 ……次の瞬間、俺の予想が当たってしまう。


「ッ⁈」


 黒い人型は、膝まで伸びたその巨大な腕を振り上げた。

 腕は月輝く夜空に目一杯突き上げられると、そこで一瞬止まる。

 そして、この次に何が起こるかなんてのは想像に難くなかった。


「ッ、ガァッ!」


 固まる脚に力を無理矢理込めさせ、膝のバネを使って後ろに飛んだ。

 瞬間、さっき立っていた地面のコンクリートが振り下ろされた黒い腕に粉砕された。

 その衝撃は凄まじく、回避した俺の体を数メートル吹き飛ばしてコンクリート塀に叩きつけた。


「グアッ!」


 叩きつけられた体は、崩れるように地面に転がる。

 背中が熱い。痛みのあまり錯覚してしまっているようだ。


 ……ダメだ。立ち上がることもままならない。


「クッソッ、があァ」


 逃げなきゃならないのに、動いてくれない。まずい、あんなの食らったら……


 黒い質量に粉砕された地面に目をやる。案の定、コンクリートは粉々に砕け散り、クレーターのようになっている。


 ダメだ! 考えるな! 気をしっかり保て!


 想像、予測、考察。その全てを中止し、自分を喪失してしまわないようにする。そして死んでたまるかと内で叫ぶ。

 奴は見逃すということを知らないようで、すぐにそのデカい図体をノシノシ動かして接近してくる。今度は逃さないと、殺してやると、行動で訴えかけてくるようだった。

 しかし残念なことに、俺にはこの状況をどうにかする手立てがない。

 それ以前に、動こうにも体が利かない。いわゆる詰みの状態だ。


「クッ!」


 ここ、まで? 嘘だろ? いや、そんなんこと認めない、認めないぞ!


 心で叫んでもその声は届かず、闇に現れることもない。

 どれだけ抗おうとしても体が動かないんじゃあどうしようもない。体はそのことを分かっている筈。


 でも、それでも、生きたいじゃないか! 生きていたいじゃないか!


 心で願ってもその願いは届かず、闇に消える運命。

 どれだけ強く、どれだけ見苦しく、どれだけ必死にしたところでそれは変わらない。頭ではそれを分かっている筈。


 でも、それでも叫ぶんだ! 願うんだ! そうでもしなきゃ、生きさせてくれないだろ! 運命って奴は!


 それでも、と。俺は抗う。

 たとえ無意味でも、どうしようもなくても、それが運命を変えてくれると信じて……
























 ……そして、運命は答えてくれた。


「……え?」


 ザシュッ、と。


 肉を抉るグロい音。

 金属の鋭い音色。

 その2つが、この夜の世界に響き渡った。


 その音に反応したのは俺だけじゃなく、たった今俺を叩き潰そうと腕を振り上げていた黒い人型も同じであった。

 奴は振り上げていた腕をゆっくりと膝に下ろし、自身の背中に手を伸ばした。

 そして何かを掴むと、それを自身の顔の前に持ってくる。


「……剣?」


 それは……、だった。


 次の瞬間、先程と同じ音がもう一度同じく背中から響いた。

 そして2回目が鳴ったかと思うとさらにもう一度、もう一度、もう一度。

 気がつくと毎秒10回のペースでその音が鳴り続けていた。

 恐らく奴の背中に先程の剣のような刃物が何本も何本も背中に刺し込まれて続けている、それこそ

 その証拠に、奴の背中から外れた剣は地面に衝突し、刀身を砕け散らせていっている。

 俺がその剣の雨を回避できているのは、黒い人型が盾になってくれているお陰だ。


 やがて、その音は鳴り止み、剣も降ってくることはなくなった。

 黒い人型は脚を止めたまま降り注いでくる剣を一身に受け続けるだけであったが、剣が降らなくなったのと同時に奴はまるでダメージが全く入っていないかのようにすぐに動き出す。やはり、俺には理解できないバケモノのようだ。

 奴は背後に振り返り、辺りを見渡し攻撃してきた存在を探した。

 もはや奴は標的を俺から移し替えているようで、既に俺は眼中にないようであった。目無いけど。


 だが、黒い人型は標的を探し終える前にその活動を終えることとなる。


 奴は自身を攻撃したものを探していた。恐らく復讐、報復したいがためなのだろう。目が無いので分からないが、その中身は今は血眼状態の筈だ。

 しかし、どれだけ探しても一向に見つからない。コンクリートの地面を見渡しても、剣の降り注いできた夜空を見上げても、何も、誰かのいた痕跡すら見当たらない。

 それは俺も同じであり、こんなみたいなことやった存在を見つけることができなかった。


「どういうことなんだ……ッ!」


 そして瞬間、黒い人型の顔の前で赤い花が狂い咲いた。

 咲いた花はかなり巨大であり、風に吹かれたかのように優雅に回っていた。そしてそれが、人型であると認識するまで一瞬程しか掛からなかった。

 その赤い人型は、その小柄な体型を活かし素早く奴の頭上に飛び乗り、手に持っていた得物《刀》でその脳天を突き刺した。


『グォッ』


 怪物は初めて声のような断末魔のようなものを一瞬上げる。

 そして先程まで動かしていた体を静止させ、固まる。

 その間ほんの数秒。時間が経つとその体をドロドロに溶かしていった。

 トドメを刺した赤い人型は溶け出す体から飛び降り、その黒い体に身を隠す。

 やがて、溶けていく体がカーテンのような役割をしだし、その赤い人型はその正体を徐々に表していった。


 そこには、刀を手に持った銀髪の少女がいた。

 少女はまるでコスプレイヤーのようなドレスを着こなしており、黒いタイツにヒールブーツ、リボン、おまけに顔に軽く化粧までしていた。

 瞳の色は赤く、意外と小柄でまるで人形のようで可愛らしい。

 そう、その姿はまるでアニメや漫画に出てくる魔法少女そのもの……あれ、ちょっと待って。この子、どこかで……


 頭の中で勝手に記憶が遡る。どうやら無理矢理にでも思い出そうとしているらしい。

 そして遡ることコンマ数秒、その記憶の中で彼女に一番近しい人物がいた。


「君……もしかして、神崎 式乃、さん?」


 ————そう、それは下校の時も今日の夕方も俺をストーカーしまくっていた後輩、神崎 式乃その人だった。

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