第30話 継承

 夜は更け、辺りはしんと静まり返っている。

 日中はフィジー達がいた為賑やかだったが、彼らが帰った後は静かな空気が漂っていた。

 リアンは気配を感じ、ふと瞑っていた瞼を開く。そして、ゆっくりと体を起こした。

 出産で血液を失った直後の体は、いつもより重い。

「リアン様……」

 双子を抱いた侍女二人が、リアンに歩み寄った。

 リアンはルイ、メアーと名付けられた二人の子を交互に見つめる。

 そして小さくため息を吐くと、赤い紐を手首に巻いたメアーをその腕に抱いた。

「あたたかいな……」

 その重みとぬくもりとに、命の存在を感じる。

「リアン……」

 若々しく凛とした男の声が、ゆったりとした調子で暗闇から響いてきた。

 侍女二人はすぐさま、その人物に対し畏まる。

「父上……」

 暗闇からぬらりと姿を現わしたのは、リアンの父とその第一秘書だ。

 その姿は魔族本来の姿ではなく、まるで人間のように見える。

「名は決まったか?」

 王たる父が、穏やかな口調で娘リアンに訊ねる。

「はい。兄がルイ、妹……この子がメアーです」

 リアンは父に真っ直ぐな視線を向け、答えた。

「そうか……どれ、儀式の前に二人の顔を見ておきたい」

 父王は言うと、赤子を抱いている方の侍女に歩み寄り、その腕から手首に青い紐を巻いた赤子を抱きとった。そして、相好を崩す。

「そうだね……聞いていた通り、ルイは父親に似たようだ……人として生き、人として生涯を閉じるだろう……父親と同じように」

 その額に、王は己の額をつける。

 たとえ人間寄りとはいえ、ルイも愛しい娘の子、愛しい孫なのだ。

 穏やかな笑みを浮かべたまま、王は侍女にルイを預けた。そしてそのまま視線を侍女に合わせ、王は微笑む。

「二人共、いつもありがとう……これからも、三人をよろしく頼むよ」

「はっ」

 二人の侍女は、深々と主に頭を下げた。

「では、メアーを……」

 言い、王はリアンに歩み寄る。

「本当に、良いのだな?」

 リアンの前でピタリと足を止め、父王は確認する。一度王位継承権を移す儀式を行ってしまえば、もう元には戻せないからだ。

「王位を譲ったからとて、お前はフィルより長い時を生きなければならんのだぞ」

 それは、リアンとてよくわかっていた。

「私は遠くから、フィルの血が続いていくのを見守ると決めました。一族の先頭に立ち、その言葉を聞き、治める王の役目は私には向いていません……父上……」

 リアンは淡々と言い、父に向けた黒い双眸を潤ませた。

「今まで育ててくれたのに……こんな形になってごめんなさい」

 その言葉は、彼女の教育係の男に対しても向けられたものだった。

「なにを言うかと思えば……」

 にこにこと笑って、父王はメアーごとリアンを抱きしめた。

「お前は、私のかわいい、たった一人の娘だよ……どんな道を歩もうと、それは永遠に変わらない」

「はい……」

 教育係の男は、無表情のまま二人を見つめている。

 彼の思いは、主たる王と同じだった。

「では、メアーを……」

 王はリアンを抱く力を緩め、その腕の中のメアーをじっと見つめた。

「なるほど、資質は十分だ……あとは、これが漏れ出さないように封じておかねばならないね……二十年ほどで良いかな……」

 それは、二十年後にメアーはこの世界を離れることを意味している。

 それまでは、なにがあってもこの子を守る。

 リアンは目を伏せ、その決意をさらに固くした。

「では、始めよう」

 王はすっとリアンの額に指を乗せた。

 赤と黒の光り輝く炎がリアンの白い肌に浮かび上がり、王の指先に吸い込まれていく。

 リアンの血に刻まれた王位継承の約定を、その娘であるメアーに移すのだ。

 王はリアンの額から離した指を、メアーの額に乗せた。

 つい先ほどリアンの額から吸い上げた赤と黒の炎が、王の指先からメアーの額に移される。

 それは王位継承の約定であり、メアーの体内の血液へ流れ、その血に刻まれていく。

 ほんの短い儀式ではあったが、リアンは息をするのを忘れて父王とメアーとを見つめていた。

「終わった……」

 そしてメアーの中に炎が全て吸い込まれると、リアンは小さく息を吐いた。

「さあ、二十年後が楽しみだ……なあ、じぃ?」

 儀式を終えた王が、にっこりと微笑んで第一秘書を振り返る。

「やれやれ、この老いぼれをまだこき使うおつもりですか?」

 微かに額を曇らせ、男は不服そうに言った。

「次代の王の教育を任せられる者など、そうそういないからね……よろしく頼むよ」

「確かに仰る通りです……では、仕方ありませんな」

 男は渋るが王からの依頼は拒否できない。

「ではリアン……えっと、今度はいつ遊びに来ようかな?」

「二十年後で良いではありませんか」

 首を傾げる王に、リアンはそう提案した。

「えっ……それじゃあ、私はこの子達のかわいい盛りを見られないではないか」

 その案に、王は不満げな表情を浮かべる。

「陛下、ご安心を……水晶球越しに、いつでも見られるように致しますゆえ」

 第一秘書がそんな主に解決策を打ち出す。

「そりゃあ、あの人達の気に触りたくはないけど……あーあ、なんだ、つまらんなあ」

 王はハァとため息を吐いて天を仰いだ。

 王の言うあの人達とは、自身の弟妹とその息子達のことだ。

「仕方ないから、我慢するよ。かわいい娘と孫達の為だからね」

「ありがとう、父上」

 にっこりと微笑んで、リアンは父をじっと見つめた。

「では、そろそろ帰ろう。リアン、体を大事にするんだよ……それから、フィルによろしく伝えておいておくれ」

 笑顔と言葉を残し、王は暗闇に姿を消した。

 リアンは教育係の男と視線を交わし、頷く。

 少しでもおかしな動きがあれば知らせるように、と。

 男は深々と頭を下げ、姿を消した。

 途端に、ルイが泣き声をあげ始める。

「どれ、ミルクは私が作ろう」

 リアンは言い、腕の中のメアーを侍女に託した。

 フィルが戻ってきたら、家族四人での平和な暮らしが始められるんだ……

 あまり力が入らない体でミルクを温めながら、リアンはその日を頭に思い描き、微笑んだのだった。

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