第25話 後に引けない

「ほう、頑張ったな。やればできるじゃないか……部屋は片付いているし、髪の毛の乱れも今日はちゃんと直してある」

 前日の朝に予告した通り、リアンは再びジュールの部屋に姿を現わした。

 時刻は午前六時半を過ぎたところである。

「うん、やればできる男だからね、僕は」

 ジュールはふふんと得意気に笑ってみせた。

「ではこの状態を毎日キープしつつ、メンタル改善と行こう」

 リアンは腕を組み満足気に頷くと、爽やかな笑顔を浮かべた。

「キープかあ……できるかなあ……いや、僕はやるんだ!」

 ジュールは自分自身を励ますかのように小さく叫んだ。

「おっ、やる気があるじゃないか。その意気だ」

「うん! 僕は頑張って、素敵な彼女を作るんだ!」

「そうそう、その意気……で、お前の言う素敵な彼女とはどういった娘のことなんだ?」

 リアンに問われ、ジュールは頭に図書室の彼女を思い浮かべた。

「えっと……スタイルが良くて、美人で、性格はおとなしめがいいかな……こう、守ってあげたくなるようなさ……ねぇ、どうやったらそういう人とお付き合いができる?」

 ジュールは指折り数えてリアンに問う。

「……お前は、自分の性格を客観的に考えてみた事があるのか?」

 リアンは冷静な声音で問い返した。

「え……ないけど? あっ、でもこの間、エンカに安心感がないって言われたような……」

 ジュールは先日のエンカとの会話を思いだす。

「相手に安心感を抱かせる、信用や好感を得る、それにはどうしたらいいか……内面を磨くしかない」

「……具体的には?」

「規則正しい生活をし、身辺及び周囲への気配りをする。手本は、ほら、お前のすぐ傍にいるだろう」

「……それって、フィルのことだよね……でも僕は、根本的にあいつとは性格が違うからな……」

 ジュールは表情を曇らせる。

「なにも性格をどうにかしろとは言っていない。とりあえず、フィルがやっていて自分がやっていないことはなにか、それを把握して紙に書け。そして自分ができる範囲でそれを真似するんだ」

「……わかった、やってみる」

 ジュールは神妙な面持ちで言った。

「ジュール、今朝と昨日の朝とを比べてみろ。部屋は片付いているし、早起きして身綺麗にして、朝食も余裕をもって食べられる。この後の仕事にも余裕をもって取り組めて、良いことだらけだ」

 にこにこと笑顔を浮かべ、リアンは言った。

「これを続けていたら、周りの目もきっと違ってくるはずだ! さあ、行って来い!」

「そんなに簡単に変わるかな……でもまあ、とりあえず行ってくるね」

 時刻は丁度七時になるところだ。朝食時の食堂利用開始時間である。

「そっか……時間に余裕があるから、あわてて食堂に駆け込まなくていいんだ……あ、フィル! ノイ! おはよう!」

 ジュールは食堂へ向かう途中で、同じ局長であるフィルとノイとに出くわした。

 ジュールを振り返った二人は驚き、目を丸くする。

「えっ……今、何時だっけ?」

 ノイが慌てて腕時計を確認する。

「どうしたんだジュール……悪い夢でも見たのか?」

 フィルは心配そうな視線をジュールに向けた。

「やだなあ、二人共……僕は自分の生活リズムをちょっと見直そうと思って、行動しているだけだよ」

 なかなかどうして、ジュールは気分が良かった。ふふん、と得意気な笑みを浮かべる。

「それは……一体どういう風の吹き回しだい?」

 腑に落ちない、とノイが首を傾げる。

「……リアンが来たのか?」

 フィルの言葉に、ジュールはどきりとした。

「いやっ、ほら、僕も少しは局長らしく振る舞わなきゃって、前から考えていたんだよ」

「そうだったのか……いやあ、全然気がつかなかったなあ」

 ノイはため息混じりに言う。

「継続することが大事だぞ、ジュール」

「もちろんだよ!」

 フィルの言葉にそう返してから、ジュールはしまったと思った。

 これでもう、後に引けなくなってしまった。明日から元に戻ってしまったら、それ見たことかと言われてしまう。

 うぅ、それだけは避けたい……

「うわあ、ジュールがいる……目の錯覚か?」

 食堂で三人と合流したエンカは、朝の挨拶も抜きでそう言うとゴシゴシと瞼を擦った。

「どうやら自己改革中らしいぞ、ジュールは」

 思わずノイは苦笑し、エンカに言った。

「自己改革だって? それってもしかして、彼女欲しさにかい?」

 朝食を木製の盆に移しながら、エンカは眉をひそめた。

「いや、違う。局長らしくなろうと思ったからだ……そうだよな、ジュール?」

 ノイもエンカに続いて、朝食を盆に移しながら隣のジュールを見る。

「そ、そうだよ……僕だって、いつまでも子供じみたままじゃいけないって思ってたんだから」

 若干引きつった笑みを浮かべ、ジュールは言った。

「へぇ……そう……そりゃ、いつまで持つか見ものだ。なあ、フィル?」

 エンカは、ジュールの隣に並ぶフィルに視線を向けた。

「……大丈夫だ、ジュールならできる」

 フィルがエンカに返した意外な言葉に、ジュールは一瞬体を硬直させた。

 これは……ますます後に引けなくなった……

 ジュールは内心で少し青くなっている。

「フィルは優しいなあ……私は三日坊主の方に賭けるね!」

 エンカはにやにやと笑って言い、席に向かって歩きだした。

「……悔しかったら、行動で示せ」

 ジュールの隣で、ボソリとフィルが言う。

「……うん、わかってる……見てろよぉ……」

 低い声で呟いたジュールの碧色の瞳が、静かな闘志に燃えていたのだった。


「きょ、局長がいる!」

「なんでいるの!」

 朝食を載せた盆を手にしたアンとケイトが、口々に叫んだ。

 副長は書紀が記入した資料のチェックを書紀と共に行う為、一緒に朝食をとることが多い。

「今日は地面から竜巻でも発生するんじゃないか」

 頬を引きつらせ、ケイトは言った。

「失礼だなあ……とは言っても仕方ないか、今までが今までだからなあ……二人共、朝のお務めご苦労さん」

「!」

「!」

 ジュールが笑顔で発した言葉に、二人は同時に顔を見合わせた。

 局長が部下を労うとは……こんな日が来るとは思わなかった。

「フィルさん、うちの局長になにか食べさせました? フィルさんの爪の垢とか」

 ケイトはジュールの隣で食事しているフィルに話しかけた。

 思わず、フィルは苦笑する。

「私は何もしていないよ。ジュールが、自分で自分を変えようと努力した結果だ」

「えぇ? 局長、なにが目的なの?」

 ケイトは疑わしい視線をジュールに向ける。

「なにって……そりゃ、局長になってからけっこう時間経つし、それなりに気をつけなきゃって思ったからだよ」

 内心ケイトの鋭さに汗をかきながら、ジュールは笑顔を浮かべた。

「……なんか、納得いかないんだよな……」

「ケイト、ご飯冷めちゃうから早く食べよう」

 ぶつぶつとこぼすケイトを促し、アンはジュールとフィルに会釈をして立ち去った。

「ケイト、子供なのに鋭いな……気をつけよう……」

 ジュールはぽつりと呟いた。その隣のフィルは早々に朝食をとり終え、席を立つ。

 食器を下げた後、フィルは食堂に置かれている大きなホワイトボードに向かった。ジュールは朝食を口に運びながら、その背を目で追う。

 ホワイトボードには、世界地図が貼り付けてあった。その日のデータを、副長が書き記すルールになっている。

 丁度水の副長であるシェールが、ボードに書き込みをしているところだった。

「代わりに記入しておくから、二人共朝食を食べておいで」

 フィルはシェールとその隣にいるシェーンに穏やかな笑みを向けた。

「はい、ありがとうございます」

 二人はパッと表情を輝かせて、頭を下げる。フィルは、シェールからファイルを受け取り、ボードに数値を記入し始めた。

「……メモしとこう……」

 ジュールは呟き、白衣のポケットから小さなメモとペンを取り出しメモをとる。

「フィルさん、おはようございます!」

「おはよう、リュー」

 今度は火炎担当の書紀である少年、リューがフィルの元にやってきた。

 リューはエンカと同郷で、癖のある黒髪に黒い瞳をしていた。その丸くて大きな瞳は、常にエネルギッシュに輝いている。

「これ! 見てください!」

 リューは嬉しそうににこにこと笑って、手にしたファイルをフィルに突きだした。

 フィルは手にしていたファイルを近くのテーブルに置き、リューからファイルを受け取ってページをめくる。

「……うん、文字も数字も大分うまくなったな」

「でしょう! フィルさんがコツを教えてくれたからですよ!」

「いや、コツを掴んで努力して、自分のものにしたのはリューだよ。よく頑張ったね」

 フィルは微笑を浮かべ、リューにファイルを渡す。

それを受け取るリューは、えへへと照れたように笑った。

「……フィルのやつ、誰にでも手を貸すんだよな……あっと、メモメモ……」

 そう呟きながら、ジュールは再びメモ用紙に文字を書き込んだのだった。

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