第23話 期待

 フィルは一時帰宅していた故郷の村から、精霊管理局に戻ってきた。

「あっ、帰ってきた!」

 その姿を遠くから見つけるやいなや、ジュールはにたりと笑顔を浮かべる。

 そして夕食をとり終えるとすぐに、男子寮の一室であるフィルの部屋のインターフォンを鳴らした。

「おかえり、フィル! で、どうだった?」

 そのドアが開くと、ジュールは開口一番にそう言った。

「もう来たのか……まあいい、とりあえず中に入れ」

 ジュールの笑顔を見たフィルは小さくため息を吐き、ジュールに部屋の中へ入るよう促す。

 ジュールは管理局に入局してから、しょっちゅうフィルの部屋に遊びに来ていた。

 散らかっているジュールの部屋と違い、フィルの部屋は綺麗に整理整頓されている。

「おっじゃましまぁす……で、どうだった?」

 ドスンとソファに腰掛け、ジュールは再度フィルに訊ねた。

「……お前の期待通り、フィーナ姉さんには大反対されたぞ」

 ジュールがなぜ笑顔なのかを言い当て、フィルはにこりともせずに問に答える。

「おぉ、やっぱりかぁ!」

 ジュールはその返答にますます嬉しそうに笑った。

 フィルは二人分のコーヒーをテーブルに置き、ジュールの対面に腰掛けた。

 コーヒーの香りが、白い湯気と共に部屋中に広がっていく。

「そうなることは最初からわかっていたことだから、大したことじゃない。そもそも、私の人生の判断にフィーナ姉さんの許可は必要ないからな」

 温かなコーヒーカップを手に取り、フィルはきっぱりと言い切った。

 その水色の瞳は、じっとジュールの碧色の瞳を見つめている。

「まあ、そりゃそうだけどさ……」

 ジュールはつまらなさそうに呟いた。

 フィルとジュールは同じ村で生まれ育った幼なじみだ。フィルとその姉達との力関係はよく見知っている。

「あのおっかない姉さん達に反対されて、少しはヘコんでるかと思ったのにな……」

「それは残念だったな……あいにく私はまったく気にしていない」

 フィルは憮然とした表情でコーヒーを口にした。

「なんだかフィルばっかり幸せになっちゃってさ……僕は置いてけぼりをくってる気がしてしょうがないよ」

 ジュールは大きいため息を吐きながらぼやいた。

「そう言われてもな……あぁ、そういえば、向こうでお前の父親に聞かれたことがある」

「えっ、なに?」

 ジュールは嫌そうに眉間に皺を寄せる。

「お前に合いそうなが、精霊管理局にいるかって」

「あーあ、予想的中……お前がリアンさんを連れて行ったら、やっぱりそうくるよねぇ」

 ジュールは半開きの目で天を仰ぎ、やがて気を取り直したようにフィルに向き直った。

「僕だってさ、頑張ってるんだよ! 図書室の彼女とか、体力トレーナーの彼女とか、お掃除係の彼女とかに声かけてるんだから!」

 ジュールは自分がいかに努力しているのかを、フィルに懸命に訴えた。

 だが、その表情はすぐに暗いものに変わる。

「でもさあ……僕が声掛けても、みーんなにこにこ笑ってやんわり断って来るんだよね……なんでなのかなあ」

 ちなみにジュールが声をかけたのは、どの娘もスタイルが良い美人であった。

 性格が少々控えめなところも共通している。

「お前……そんなことしていたのか」

 フィルは呆れたような眼差しをジュールに向けた。

「仕事はちゃんとしてるんだから、別にいいだろ?  それよりさ、僕のなにが悪いんだと思う?」

 ジュールはフィルの態度など微塵も気にせず、深刻な表情で身を乗り出した。

「さあな……そういうことは私に聞くよりリアンに聞いてみたらどうだ? リアンが、お前にアドバイスしてもいいような事を言っていたし」

「えっ、本当に?」

 思いがけないフィルの言葉に、ジュールは瞳を輝かせた。

「リアンは魔族だから、人間の心理については私達より詳しいだろうしな。どうしたら良いのか、一度聞いてみるといい」

「そうだよね、やったあ! で、リアンさんにはいつ会えるの?」

「さあ……リアンは神出鬼没だし、こちらから来てほしいと伝える方法がないから、なんとも言えんな……」

「そっかあ……でもまあ、楽しみにしてるよ! その日が来るのをね!」

 にっこりと笑ってジュールはコーヒーを一気に飲み干した。

「これで僕にも彼女ができるぞぉ!」

 ジュールは喜び、一人ガッツポーズをとる。

 そううまく行くのだろうか……

 すっかり上機嫌のジュールを見て、フィルはなぜか一抹の不安にかられていたのだった。


 ジリリリリリ……

 翌朝のジュールの部屋である。

「あー……今日も一日が始まっちゃうなあ……」

 耳元で鳴るアラームを叩くようにして止め、ジュールは心底嫌そうに呟いた。

 そしてげんなりとした様子でベッドから降り、だらだらと洗面所に向かう。

 呆っとした寝ぼけ眼で鏡を見た途端、ジュールは飛び上がった。

「うわあ! リアン! ……さん」

 バッと振り返ると、そこには笑顔のリアンが立っている。

「おはよう、ジュール」

 リアンは爽やかに朝の挨拶を口にした。

「お、驚かさないでよ……」

 ジュールはドキドキする胸の辺りに手を当て、大きく息を吐いた。

「それはすまないことをしたな。しかし善は急げというし、忘れる前にやると言ったことはやっておこうと思ってな」

 にっこりと微笑んで、リアンは言った。

「え? 善? あっ、もしかして僕にアドバイスしてくれるっていう話のこと?」

 フィルとは昨晩その話をしたばかりだ。

「やったあ! もう来たあ!」

 ジュールは両手を挙げてはしゃぐ。

「うん。で、早速だが私からのアドバイスだ」

 喜ぶジュールに、リアンは張り付いた笑みを浮かべた。

「部屋が汚い。片付けろ。特に脱いだ服、裏返したままの靴下、汚れた食器、溜まったゴミ……そういっただらしなさは、黙っていても身から滲み出るものだぞ」

「うっ……」

 リアンから矢継ぎ早に指摘され、ジュールは言葉に詰まる。

「こっ、これでも身だしなみには気を使ってるんだけどな」

 苦し紛れに頬をひきつらせ、ジュールは言う。

「見た目の問題ではない、中身の問題だ。どちらにしても先々女と共に暮らすようになれば、全てバレるのだぞ」

 ピシャリとリアンは言った。

 なんだこれは、今すぐ片付けろ!

 精霊管理局の寮に入ったばかりの頃、すぐに散らかり放題になったジュールの部屋を見て、眉をひそめ たフィルにそう言われた事をジュールは思い出した。

 しかし一向に変わる気配のないジュールの部屋の有様に、いつからかフィルは諦めたようにため息を吐くだけになっていたのだが。

 まさかそれを、リアンから指摘されるとは……

「そ、それはそうだけど……」

「けど?」

 上目遣いで反論しかけるジュールに、リアンの片方の眉尻がピクリと動く。

 ジュールは慌てて口をつぐんだ。

「あっ……いや、えっと、今日の仕事が終わったら片付けます……」

 ここで異を唱えて、肝心の恋愛に関するアドバイスを貰えなくなっては元も子もない。

「よし。では明日の朝、ちゃんと片付いているかどうかチェックしに来るからな」

 リアンはにやりと口元を歪めた。

「えぇぇ……はい……わかりました……あっ、やばい、支度しないと間に合わないっ!」

 ジュールは慌てて寝癖だらけの髪と格闘をし始める。

「時間に余裕を持つのも、大事なところだぞ」

 リアンは言うが、もはやジュールに受け答えをする余裕はない。

 時計の針は八時十五分になろうとしていた。

「もう整髪料でごまかすしかない! 朝ごはん食べそこねちゃう!」

「朝食は八時半までだったか……」

 顎に手を当て、リアンは呟いた。

「そうだよ! リアンさん、悪いけどまた後でね!」

 言うが早いか、ジュールは洗面所から出ていく。

「せわしないな……」

 その後ろ姿を見送りながら、リアンはなにやら考えこんでいたのだった。

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