第28話 野望と、本能と



 そのころ、宰相のマードック・ノアは王城内の宰相執務室で書類を眺めていた。


「あの、閣下」


 書類を持参した文官が、恐る恐る口を開く。


「なんだ」

「その……いつまで待てば……」


 書類から顔を上げないままに、もったいぶった口調でもって、マードックはそれに答える。


「ふむ」


 それからゆっくりと書類を机に置き、袖を整えてから、改めて肘を突き手を組んでその上に顎を乗せる。

 文官はそれら一連の所作を、微動だにせず期待を込めて見つめている。


「せっかくソピアの王太子がのだぞ。それを待つのも良いではないか。世界を人間の手に取り戻すには、絶好の機会。だろう?」

「!」

「焦るな、と皆へ伝えよ」

「ははあ!」


 彼はたちまちひざまずいて両手を挙げ、宙に祈る姿勢を取る。

 それから再度立ち上がり、深々と頭を下げてから、輝く表情で部屋を退室した。


「くっくっく。人間の手に、ね」


 マードックは、組んだ手をほどいて手のひらを見つめる。


「人間が残っていればいいが、な」


 グルルル、と喉をふるわせる宰相の指先に、黒紫の炎が灯るや、その炎は全身を覆いやがて黒い獣毛に変わった。

 エメラルドグリーンの瞳が、楽しそうにクルクルと動く。


「さて、セルはうまくやったかな」


 マードック・は、思わず独りごちる。


「精霊の子、半郷の子、人の子、全てまわしい。嗚呼、忌まわしい」

 

 半郷出身のマードックが黒豹の侯爵令嬢と密通して作った子は、ほぼ獣であったからして母親に引き取られた――セル・ノアは、自身に人間の血が入っていることなど知らない。

 半分黒豹であるマードックは、父親としてそのことを話す必要性など感じていない。むしろ人間は邪悪であると正しく理解していて良い、と思っている。

 

 人への恨みを募らせながらも人である自分は、人も獣も半郷には到底馴染めず、『いにしえの魔術師団』で魔法を学ぶ。人の血は彼に魔力をもたらし、獣はを潜めた。それでも――

 

「人とは、なんて醜い生き物なのだろうな」


 ソピアで財力に物を言わせ『人の宰相』として高位に上り詰めたマードック。

 家人の密告でもって、セル・ノアの誘拐を試み目をえぐったのは、他でもない強欲にかられたの貴族だ。

 バラされたくなければ財産を寄越せ、と詰め寄られたマードックは、了承しその場を去り――翌朝、その貴族は自邸でに襲われ死んでいたのを発見される。

 マードックの屋敷にも、不幸なことにが入り込んだらしい。メイドも侍従も巨大な爪で引き裂かれ、全員亡くなっていた。

 

 

 人の業を魔王として滅し、獣に戻ることこそマードックの願い。


 

「人にくみしようとする獣人もまた、醜い」


 人間と仲良くなる獣人が増えてきたことに、マードックは危機感を覚えていた。

 特に、あの国境警備隊のは、わざわざ国王レーウへ報告しようとしていたから――消した。

 それからも、人の仕業しわざと思わせるように何人か殺したし、国境に近づかないよう人間も複数殺した。



「獣こそ、至高だ」



 荒ぶる本能を持て余し、マードックは口の端から、涎をだらだらと垂らす。



「ああ人間……引き裂きたい……銀狼、貴様もな……」



 机の上の書類をびりびりと引き裂きながら、気を静める努力をするが、無駄に終わった。

 

 

 ――狩りたい、狩りたい、狩りたい。


 

 膨れ上がる本能が、マードックの脳をおかしていく。

 待てと言ったものの、魔王として動き出すまで、恐らくそれほど時間はかからない……


 

 

 ◇ ◇ ◇



 

「それで? おめおめと帰国したと、そう言うのか?」


 獣人王国の国王であるレーウは、再び金のたてがみの質量を増さざるを得なかった。

 騎士団の面々に直接話を聞こうと特別に謁見を許したが、話を聞けば聞くほどその情けなさに怒りがわいてくる。


「情けない」


 それ以外に表現しようもない。

 副団長のブーイに踊らされて、そうとは知らず団長討伐に加わったばかりか、エルフの里で暴れて拘束され、それを置いて帰国。

 

 何度聞いても、

「情けないっ!」

 しか出てこない。

 

「エルフの里長から、貴様らが破壊したものの弁償、副団長解任、向こう十年エルフの里への出入り禁止を通達されたぞ」

 

 騎士団員全員、項垂うなだれたまま何も発しない。

 怒れる獅子に対して、反論できる者などいないのだ。


 ふー、とレーウは大きく息を吐き、質問を変える。 

「貴様らから見て、どうだった」

 全員が、その質問の意図を即座に汲むことができず、顔を上げる。

「人間とは、邪悪だったか?」


 レーウは、ガウルとリリに絶対の信頼を置いている。

 その二人が寄り添っている人間に、非常に興味がある。


「自由に申してみよ」


 促すと、虎の獣人が口火を切った。

 

「っ、人間、なんてっ!」

「……なんて、なんだ?」

「必要ないです! 毛皮も牙もないっ、弱い生き物だ。それなのにずる賢い! 害悪だ!」

「具体的に何をされたか言うてみよ」


 虎の獣人は、エルフに贔屓されている小さな人間がいて、ガウルが肩入れしすぎている、騙されている、と主張した。

 

 すると――


「その方は、精霊の子でいらっしゃいます」

 今度はウサギの獣人が、震えながら前に一歩進み出る。

「なんだと!」

 彼の言葉に、レーウは驚愕の声を上げた。獣人王国にもその名と役割は伝わっているからだ。

「伝承の通り、エルフ語も、獣人の言葉も全て理解し話すことができます。精霊の子の他の人間には、リリ隊長がついていらっしゃいました……仲良い様子です。皆様、私のことも優しく気遣ってくださいました」


 そう言って、ウサギの獣人は手首に巻かれた包帯を撫でる。


「はたしてリリ隊長が、騙されるでしょうか?」


 彼は、潤んだ瞳で虎の獣人を見やる。


「弱いというなら、私もです。牙もありません。私は、価値のない存在なのですか?」

「っ……」


 ウサギはその敏捷さと耳の良さで、斥候せっこうとして貴重な役目を担っている。もちろん、虎に反論の材料はない――獣人たちの根底に肉食獣こそ上位、という差別意識があるにしろ、それを表立って言うことは許されない。まして国王の前ならなおさらだ。


「……時代は、変わりゆくものだ。新たなものを受け入れられない生き物は、いずれ淘汰されていく」


 レーウは、虎の獣人に静かに語りかける。彼はグルグル喉を鳴らし不機嫌さを隠そうともしない。聞く耳も、恐らく持っていない。それでも国王として、告げなければならない。


「毛皮も牙もないが……奴らには魔力があるぞ」

「!」

「よくよく、考えよ。話は終わりだ」

 


 ――本能から脱却できなければ、あるいは我らは滅びるかもしれんな……



 レーウは、無性にガウルに会いたくなった。

 

 

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