第26話 宝物のようなひととき

 会議室から、隣の資料室へと移動する。

 小さな部屋の中に、棚が置かれている。

 資料は、その棚の中へ箱詰めされて保管されていた。


 ヴィーセンが、武芸大会とラベリングされている箱を棚から下ろす。


 「この中に、過去の資料が入っております」

 「そう、見させてもらうわね」


 ルナリアは、箱の中から資料を取り出す。

 簡易的に束ねられたそれを、ペラペラと捲ってみる。

 書いてあるのは、議事録とその年の1位から4位の選手の名前だった。


 他の年度のものも目を通してみる。

 書かれている内容は、大差ない。

 ただ、書記を担当した人の性格によって、どこまで書いてあるかが異なった。


 5年分の資料をざっと読む。

 武芸大会のルールは、過去5年では変更はないようだ。

 注釈として、殿下が入学した年に、王族は不参加ということが再確認されている。


 武芸大会は、競技場で行われる。

 観覧席に囲まれた、催事用の施設だ。

 競技場の中央に、試合を行う場が設けられている。

 観覧席と試合場の間には、不可視のシールドが張られている。

 よって、試合場で魔法を使ってもその余波は観覧席には届かない。

 安全に観覧できるようになっている。


 また、試合場へは2か所のゲートを通って入場する。

 このゲートの裏は、控え室があり、そこには救護スペースが備え付けられている。

 学園の治癒師が1名または2名控えることになっている。


 とは言っても、怪我人が出たという記録はない。

 最低でも過去5年は、怪我人はゼロのようだ。


 「あまり、変わったことは書いてないだろう?」

 「っ、殿下」


 ルナリアが資料に夢中になっていると、背後から殿下に話し掛けられた。

 耳に息が掛かってしまうような、そんな近い位置から話しかけられて動揺する。


 「伝統行事だし、安全対策も万全だからね」

 「あ、あの殿下……」

 「時代に合わせた見直しというのは大切だけれど」

 「で、殿下、あの……」

 「少なくとも今のところは、改善点が見つかっていないかな」

 「殿下!」

 「ん?」

 「少し、距離が、ですね……!」

 「あ……」


 殿下が、体を引いていく。

 ルナリアに覆い被さるような体勢になっていた影が消える。

 ドキドキと、耳の奥まで自分の鼓動でうるさい。


 早く静まってくださいまし……!


 絶対に顔も赤くなっている自信がある。

 こんなはしたない姿、とても殿下にはお見せ出来ない。

 いや、もう見られて呆れられてしまっただろうか。

 ちらりと、殿下の方を見る。


 すると、何故か殿下の頬がやんわりと赤らんでいた。


 「すまない。資料を覗くことに集中してしまっていた」

 「い、いえ、私こそ大きな声を出してしまって……」


 こういう時、なんと言えばいいのかわからない。

 どうすれば、この空気をいつも通りに戻せるのかわからない。

 だってそんなもの、誰にも教わっていない。


 「殿下、ルナリア嬢。そろそろ部屋を出ないと間に合わないのではないでしょうか」

 「あ、ああ、ヴィーセン。本当だね、戻ろうか」

 「ええ、午後の授業に遅れてしまっては、問題ですものね」


 ヴィーセンが横から話に入ってくる。

 今までは、折角殿下とお話していたのに横やりを入れて、と思っていた。

 しかし今回は、そんなヴィーセンに助けられた。


 落ち着かない空気は、もうすっかりなくなっていた。

 それから、殿下といつも通りの他愛もない話をして、それぞれの教室に戻る。

 午後の授業には、もちろん間に合った。





 「普段は凛々しくて、格好良いを体現したようなお方なのですけど」


 ルナリアは、ベルーナに髪へ香油をつけてもらいながら話をする。


 「あの時のお顔は、殿方に使うのは失礼かもしれませんけれど、可愛らしいと思ってしまいましてね」


 頬をやんわりと赤らめた殿下を思い出す。


 「殿下の新たな一面が見られて、私もう、胸がいっぱいですわ」


 これが前世でいうところの推しとか萌えとかいうやつなのでしょうか。

 詳しくないのでわからないけれども。


 ルナリアはうっとりと、何度も何度もあの時の殿下の顔を思い出す。

 脳裏にしっかりと焼き付けなくてはと、何度も思い出す。

 記憶を一欠けらも欠如させてはいけない。

 あの瞬間を、一枚の絵のように完璧に。

 脳裏に焼き付けて、いつでも思い出せるようにしておきたい。


 前世の写真だとかスクショだとか言われていたものが、羨ましいですわ。


 その機能、今世でも発明されないだろうか。

 しかし残念ながら、その予兆はまるでない。


 原理なんかもうろ覚えで、とてもルナリアに作れるようなものではない。


 前世の私がもっと博識であれば……!


 まさか来世でそんな知識が必要になるとは、思っていなかっただろう。

 そもそも、来世を信じていなかっただろう。

 ルナリアが悔やんだところで、前世の自分には届かない。

 それに、今更どうしようもない。


 ルナリアはそういう機械のない世界に生まれたのだから。

 その中で、最大限に殿下の素晴らしさを噛み締めて生きていくしかない。


 「胸がいっぱいという割には、本日のお食事はしっかり召し上がっておりましたね」

 「胸とお腹は別問題でしてよ!」

 「胸がいっぱいと評する場合、食欲も落ちる方が大多数を占めておりますが、お嬢様の場合は……」

 「ええデザートまでしっかり完食いたしましたけど!」


 それの何が悪いのだ。

 うちのシェフは、栄養バランスをしっかりと考えて料理を作ってくれている。

 当主であるルナリアの父が「健康が最大の宝」と考えているからだ。


 「しっかりと召し上がられる健康的なお方でようございました」

 「……私って太っている部類ですの……?」


 おそるおそる、ベルーナに聞いてみる。


 「いえ、ドレスを綺麗に着こなせる理想的な体形でいらっしゃると思います」

 「それはちゃんと本音でしょうね?」

 「私はお嬢様に嘘は言いませんよ、嘘は」

 「なんなら言うのよ」

 「含みを持たせた言葉なら言います」

 「今回はどっちですの!?」

 「素直に褒めておりますよ。何も含ませようがないでしょう」

 「ベルと話していると、気が抜けすぎてしまいますわ……」


 ルナリアがため息をつく。

 そんな様子を見て、ベルーナがくすりっと笑った。

 ベルーナが感情を出すなんて、珍しい。


 「お嬢様がリラックスできているのなら、侍女冥利に尽きるというものです」


 ベルーナの手が、ルナリアの髪から離れていく。


 「はい、本日のお手入れは終わりましたよ」

 「ねえベル、お願いがあるのだけど」

 「よく眠れるハーブティーをご所望ですか?」

 「ふふ、その通りよ。流石ベルね」

 「それでは、ご用意いたします」


 ベルーナが一礼して、部屋を出ていく。


 部屋で1人になったルナリアは、ぐっと体を伸ばす。

 初めての委員会。

 久しぶりに殿下と過ごした時間。

 1つ1つを丁寧に、思い出す。

 ベルーナが戻ってくる前に、日記を書き始めてしまおうか。


 宝物のような、大切な時間を過ごした。


 嬉しい。

 楽しい。


 心の中で、暖かい気持ちが広がっていく。


 嫌なことばかり考えていれば、心はどんどん負の感情を募らせていく。

 もちろん、鉢合わせないように細心の注意は必要だ。

 しかし、必要以上にあの女のことを考えない方がいいみたいだ。

 少し前は、苛立ちを抑えるのに必死だったのに。

 今は、こんなにも心が穏やかで暖かい。


 それとも、殿下のなせるわざなのかしら。


 大好きな人のことを考えているから、こんなにも心が暖かいのだろうか。

 大好きな人のことを考えているから、こんなにも心が穏やかなのだろうか。


 殿下は、いつでも私を照らしてくださいますわ。


 あんな素敵な人の婚約者になれるなんて、なんて幸福な人生だろう。


 この幸福を、手放したくない。


 そのためにも、闇落ちも破滅も回避しなくては。


 ルナリアは、しっかりと日記にしたためた。





 「ルナリア様、本日のお昼は共にできますか?」


 1回目の会議があった翌日の昼休み。

 カナリエたちが、ルナリアの教室までやってきた。


 「ええ、もちろん。お誘いいただけて嬉しいですわ」


 4人で行動することにも、すっかりと慣れてきた。


 あら、私とても学園生活を謳歌しているのではなくて?


 委員会に参加して、婚約者や友人と他愛もない時間を過ごす。

 これぞ学園生活の醍醐味というやつではないか。

 最終学年になってようやく実感するとは、少し遅い気もするが。

 しかし気が付けただけ良いだろう。


 殿下とだけ時間を共にできれば、それで良いと思っていた。

 学園はあくまで学ぶためのところである。

 それだって、ルナリアは先立って学習済みだ。

 殿下が学園に通わなければ、ルナリアとて通うことはなかっただろう。

 子女との交流だって、社交の場で学べばいい。


 でも、それとは違う交流の仕方がありますのね。


 それを、ルナリアは最近になって知った。


 どこそこのスイーツが美味しいだとか。

 新作のアクセサリーが綺麗だとか。

 先生のこういうところが好きじゃないとか。

 逆に、好ましい先生の話だとか。


 婚約者への愚痴や惚気だって。


 社交の場では、発言の1つで家の未来に影響する。

 一切の気は抜けない。


 しかし学園の中ならば。


 もちろん、まったく責任が伴わないかというとそれは違うけれど。

 それでも社交の場よりは軽い気持ちで、会話をできる。


 ルナリアが殿下との嬉しかった話をすれば、3人も自分事のように喜んでくれる。

 逆に、他の子が婚約者との嬉しかった話をすれば、ルナリアも喜べる。


 婚約者の許せない発言に、皆で怒ることができる。

 怒りを共有して、溜飲を下げることができる。


 そんな関係性を、貴族である自分が誰かと結べるなんて。

 そんな関係性を、王太子の婚約者である自分が誰かと結べるなんて。


 いらないものだと思っていた。


 自分は、王太子殿下だけを見ていればいいのだと。

 自分は、国の行く末だけを見ていればいいのだと。


 そう思っていた。


 学園で学ぶことって、案外たくさんありますのね。


 ねえ、殿下。


 殿下は、今頃どこで昼食を取っているのだろうか。

 中庭だろうか。

 それとも、生徒会室だろうか。


 ルナリアと昼食を別にするようになって、どのように感じているのだろうか。


 聞いてみたいけれど、聞いたところで今の自分の学園生活を崩す気にもなれない。

 ならば、聞くだけ無駄だろう。


 ねえ、殿下。

 殿下は、リーリエ・ソルアに学園生活を楽しんでもらいたいと仰っていましたね。


 いつかの2人きりのお茶会での殿下の発言を思い返す。


 私の学園生活も気にしてほしいなんて、あの時は思いましたけれど。

 でも、私は存外、自分で楽しい学園生活を手に出来たようです。


 ねえ、殿下。

 殿下は、学園生活を楽しめておりますか?


 共に楽しめたら、幸いです。


 食堂から見える青い空に、祈りを込めた。


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