第2話 生き抜くための選択

 ルナリアは、リヒャルト殿下とリーリエ・ソルアが会話しながら門をくぐっていく様子を見つめていた。

 二人が門の向こうに消えたことを確認してから、やっと馬車を降りる。


 「お気をつけて、いってらっしゃいませ」


 ルナリアは、御者の声音がいつもと違う気がした。

 そんなに酷い顔をしているのだろうかと、頬を触る。

 ついでにそのまま頬をつねってみるが、痛かった。


 「現実に、なってしまいますのね」


 リーリエ・ソルアは夢の中の通りに現れた。

 あれは、物語の一番最初に起きる『イベント』だ。

 ヒロインは登校中に緊張から転んでしまって、リヒャルト殿下に手を差し伸べられる。


 そう、その時のスチルは。

 出来得る限りの大きなサイズに引き伸ばして、この国で最高峰の作家に作らせた額縁で彩って。

 そうして部屋の壁に飾っては毎日拝み倒したくなるほどに、とても素晴らしいものだった。

 なんだったら学校や教会、各家々に配って歩きたい。

 まるで宗教画のような美しさのあのスチルを、全人類に見て欲しい。

 はあ、あの神々しさを真正面から受けたヒロインが羨ましい限りですわ……。


 違う、今はそんなことを考えている場合じゃない。


 ルナリアは、ふるふると首を振って思考を戻す。


 ともかく、ゲーム通りのことが現実に起きている。

 転入生は、本当に現れた。


 このままゲーム通りに進むのならば。


 いずれルナリアは、婚約者を奪われ。

 いずれルナリアは、大衆に笑い者にされ。

 いずれルナリアは、破滅するのだ。


 「うう、なんで、わたくしがそんな目に……」


 そんなことをいくら考えたって「ゲームの悪役令嬢だから」と頭の奥で何かが笑ってくるだけだ。


 ルナリアは、一人ゆっくりと階段を登る。

 今頃リーリエ・ソルアは、殿下と談笑しながら教室に向かっている。

 前世の記憶が、そう教えてくれる。


 ルナリアは万が一にも二人にも出くわさないように、いつもよりゆっくりと階段を登る。

 幸いなことに、二人とルナリアは教室が違う。

 この学園は、校舎の真ん中に大階段がある。

 その階段を挟んで真逆の位置に、それぞれの教室があるのだ。


 殿下と教室が離れてしまったのは、とても寂しいですけれども。


 そこにヒロインもいる以上、幸いと思うしかなかった。


 そういえば、とルナリアはゲームの記憶を思い起こす。

 教室は真逆で随分離れているのに、ルナリアは毎日ヒロインのいる教室に現れた。

 毎日現れては、談笑する殿下とリーリエ・ソルアの間に割るように入ってきた。

 そうして、リーリエ・ソルアに向かって嫌味を言ったり睨みつけたりとしていたのだ。


 ああ、そうだ。


 私は、平民のくせに何一つ弁えないあの女が煩わしくて仕方なかった。

 自分の希少性を笠に着て、殿下と軽々しく話している姿が気に食わなかった。


 どれだけ無礼なことをしているのか。

 面と向かって教えて差し上げなければ、そんなこともわからないのか。

 平民とはこんなにマナーのなっていないものなのかと、そう思っていた。


 それは規律の模範である王族の殿下も、規律を守る他の貴族の方々も当然同じ気持ちだと思っていたのに。


 全く、そんなことはなくて。

 ただルナリアは嫉妬に狂った女としか見られていなかったのだ。

 嫉妬に狂って嫌がらせをするような浅はかな女でしかなかったのだ。

 なんという、侮辱だろうか。


 それはまだ来ていない未来のことのはずなのに。

 まるで既に起きた過去のことのように、その時の感覚が湧き上がってくる。


 悔しい。

 妬ましい。

 憎らしい。


 ルナリアは二人を見かけることなく、教室へ辿り着く。

 それでも、笑い合っている光景を『識って』いるから、怒りと悔しさが湧き上がってくる。


 そのお隣は、私だけに許された特別な場所であったのに。


 ぽこんっと、心の中に黒い泡が湧き上がるような感覚があった。

 そこでルナリアは、ある設定を思い出す。


 悪役令嬢は、その心を『闇の帝王』へと捧げる。


 『闇の帝王』への捧げもの。


 それは、妬みや嫉み。

 それは、怒りや悔しさ。

 それは、悲しみや苦しさ。


 そういった、負の感情に染まった心。


 一年の間に真っ黒に染まったルナリア・エスルガルテの心は、最高の贄として『闇の帝王』に捧げられるのだ。

 正規ルートであることも相まってか、リヒャルト殿下ルートは他のルートよりも『闇の帝王』が強い状態で復活することを思い出す。


 これってもしかして、とルナリアは考える。

 リーリエ・ソルアが殿下と仲良くなるほど、ルナリアの心は黒く染まっていく。

 ルナリアがリーリエ・ソルアのことを考えれば考える程、闇落ちレベルが上がるということではないか、と。


 ルナリアは、頭が痛くなった。

 記憶をなぞるだけでこんなにも憎らしいのに、実際に顔を合わせたらどうなってしまうのか。

 確実に、罵ってしまう自信があった。

 だってもう既に、張り倒したくて仕方がないのだ。


 ゲームの中のリーリエ・ソルアを思うだけで、苛々としてくる。

 殿下に馴れ馴れしすぎるところを一旦横に置いたとしても、だ。

 彼女は今後、様々な貴族の殿方と親密になっていく。


 己の希少性を盾に、礼儀知らずにも幅を利かせていくところが捨て置けない。


 王族を頂点に、貴族が秩序を守り、民草を従えるからこそ、我らが国は安定しているのだ。

 その秩序を乱すなど、愚の骨頂。

 国のためにも、平民の身分で貴族の殿方へすり寄っていくことは看過できない。

 立場を弁えた行動を心掛けるべきであるし、誰かがそれを教えるべきなのだ。


 と、そこまで考えてルナリアは思い出す。


 ああ、いえ、そうやって負の感情を募らせて国を滅ぼしかけるのは私なのでしたわね……。


 ルナリアは、遠い目をした。

 そうして、頭を抱える。


 彼女と顔を合わせたら、何をしでかすかわかったものではありませんわ……!


 どうすれば破滅を回避できるのかと一生懸命に考えを巡らせる。

 『光の巫女』がなんだというのでしょう。

 どれほど素晴らしい存在なのだとしても。

 いえ、そういう存在であるからこそ、模範となるべきなのだ。

 やはり彼女には指導が必要ですわよ。

 でもそんなことをしたら破滅エンドまっしぐらですわ。

 顔を合わせたら、まず張り手の一発もお見舞いしたいですもの。


 そう、顔を合わせたら。


 あら、そうですわ。

 ここで、ルナリアに天啓が舞い降りる。


 顔を合わせたら、何をしでかすかわからない。

 顔を合わせたら、引っぱたきたい。

 

 で、あるならば。


 そう、簡単なことだ。

 一切、顔を合わせずにいれば良いのだ。

 リーリエ・ソルアと、出会わなければ良いのだ。


 顔を合わせないのだから、彼女に嫌がらせはできない。

 嫌がらせをしなければ、ルナリア・エスルガルテが婚約破棄されることはない。

 婚約破棄されないのであれば、怒りと嫉妬に狂って『闇の帝王』に心を捧げることはない。

 『闇の巫女』となって『闇の帝王』を復活させるということはなくなる。


 つまり、破滅することもなくなるのだ。


 まあ、なんて天才的な考えなのでしょうか。

 ルナリアは、その閃きに高揚するのを感じた。


 「この一年、リーリエ・ソルアから逃げ切ってみせますわよ!」





 そうと決まれば、話は早いもの。

 何故なら、ルナリアは全てのルート、全てのイベントの記憶を持っている。

 イベント発生時にその場に近付かなければいいだけのことなのだ。


 勝ったも同然ですわね。

 やり込んだ前世の私、ナイスでございますわ。


 ルナリアは意気揚々と移動する。


 初日である今日は、授業はない。

 そして今は昼食の時間だ。

 自宅へ帰って食事をするもよし。

 学園で食事をするもよしだ。


 今頃リーリエ・ソルアが何をしているか。

 シナリオ通りなら、リヒャルト殿下が学園の案内を申し出て、それを厚顔無恥にも快諾している頃だろう。

 あらまあ、憎らしいですこと。


 そして、二人は昼食を共に取る。

 その時に、殿下の傍仕えをしているヴィーセン・モルガルテ侯爵子息との出会いイベントが発生する。

 ヴィーセンの父親は宰相を務めており、ヴィーセン自身もその聡明さから次期宰相と名高い。

 そんな彼との出会いイベントの発生場所は、中庭だ。


 昨年までであれば、殿下とルナリアが昼食を共にしていた、学園の中庭だ。

 

 ルナリアは、肩を落とす。

 本当は、殿下と昼食をご一緒したい。

 一秒でも長く、殿下と同じ時を共に過ごしたい。


 しかし彼を追い掛ければそこには確実に、リーリエ・ソルアがいる。


 つまり、逃げ切ると決めたルナリアに出来ることはただ一つ。


 殿下と食べるためにと持参したシェフの弁当を、一人で食べることだ。


 ああ、そうですわ。

 明日からはお弁当を持参するのではなく、学園の食堂を利用しましょう。

 その方が人目がありますから、私とリーリエ・ソルアが接触していないことが一目瞭然ですわ。

 第三者からの証拠というものは、とても大切ですわよね。


 そうだ、それがいい。

 とても良い案だ。

 先程から、天才的な閃きばかりだ。


 流石、エスルガルテ公爵家の一人娘にして殿下の婚約者、ルナリアですわ。


 ルナリアは、ぎゅっとお弁当箱を抱き締めた。





 校舎外のベンチに一人腰掛けて、お弁当を開く。

 当たり前だが、一人で食べきれる量ではない。


 シェフには申し訳ないですわね。


 しかし、食べきれないものは仕方がない。

 諦めて、食べられる分だけを美味しく有難くいただきましょう。

 食べ終わる頃には迎えの馬車も到着しているでしょうから、そうしたらさっさと屋敷へ帰りましょう。

 万が一にもリーリエ・ソルアに出くわさないように、さっさと学園から離れましょう。


 ルナリアは、食べやすいサンドイッチを齧る。

 学園内の中庭以外で食べるのも、一人で食べるのも初めてだ。


 さわさわと風が通り過ぎていく。


 中庭ほどではないですが、ここも気持ち良いですわね。


 空を見上げる。

 小鳥のさえずりが聞こえた。

 葉が風に擦れる音が聞こえた。


 静かな時間を、目を閉じて堪能する。


 しかし、その時間は短かった。

 静寂を破る声が降ってきたのだ。


 「あれ、こんなところで一人なんて珍しいね。今日は殿下いいの?」

 「……レーヘルン様」


 ルナリアに話しかけてきたのは、オレンジの髪の男だった。


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