第15話 殺人

「これが、その殺人事件?」


「ええ。その一件目ですわね。殺されたのは当時十七歳の女子高生だった村上優子ゆうこさん」


「村上って」


 以前聞いた苗字だった。


「あのキザキが話していた村上刑事の娘さんですわ。昔からキザキとは交友があったようですわね。一つ年上の幼馴染の女友達、と言う所でしょう。どこまでの関係だったのかは、あれこれ推察する事しか出来ませんが、キザキに取ってかけがえのない人間だった事は確かです」


 そう言ってイーリスは別の画像を出した。


 今度はちゃんとした新聞記事の切り抜きらしい。

 女子高生が林の中で他殺死体で見付かった、と言う簡単な記事だ。日付は八年前。


「犯人は地元の少年三人。ソロキャンプをしていた所で目を付けられ、性的暴行を受けた挙句に勢い余って殺されてしまった。まあ良くある悲劇ですわね」


 イーリスは涼しい顔で言う。

 私は手を握りしめたまま、それでも黙って聞いていた。確かに、どんな国でも一定数凶悪な事件は必ず起こる。その意味では良くある事件だ。


「犯人達はただのバカでしたからすぐに逮捕されましたが、逮捕後、警察に対して言い逃れの証言を行いました。自分達は彼女を襲ったのではなく、彼女の方から売春を持ちかけて来たからそれに応じただけだ。殺してしまったのは、彼女が行為後、自分達の財布を盗もうとしたのを止めようとしてやり過ぎてしまっただけの過剰防衛だった、と」


「そんな無茶な言い逃れ、通る訳ないじゃない」


 私は怒りと嫌悪感と呆れを混ぜて言った。勝手な欲望のために人を殺しただけでなく、言い逃れのためにさらに相手を貶める事までしたのか。


「ええ。普通はそうでしょうね」


 イーリスは首を横に振った。


「でも犯人の一人はこの地元最大の有力者である国会議員の息子でした。その男は何とか致命的なスキャンダルになる事を避けようと、あらゆる手を尽くしました。優秀な弁護士を雇い、地元警察に圧力を掛け、被害者家族や友人に嫌がらせを行い、息子たちの言い分を通すためにマスコミや地元の人間を使って村上優子さんに対するネガティブ・キャンペーンを行って世論の支持を得ようとしました。先のスポーツ新聞の見出しはその一環ですね」


 私は言葉に詰まった。


 イーリスはその私の様子を見て皮肉げに笑う。

 クーデターで国を追われている最中のあなたが、その程度の権力の誤用に言葉を失うのか、と嗤われているようだった。


「おかげで村上優子さんは以前から数多の男と売春を繰り返していた不良女子高生と言うレッテルを張られ、様々な方向からの捜査妨害もあって犯人達の言い分は通り、未成年と言う事もあって結局彼らは実質ほとんどお咎めなしになりました。村上刑事も被害者が自分の娘、と言う事を理由にされては、自由に動く事は出来なかったようですね」


「そんな、事が……」


 吐き気がするような話だった。

 人間はそこまで邪悪に、厚顔無恥な振る舞いが出来るのか。


「と、これが一件目の殺人事件。残り三件はその犯人達が後日、立て続けに何者かに殺された、と言う事件です」


 私は、瞑目した。


 誰がやったのか。ここまでの話でも予想するのは容易かった。


 大切な人間を無残に殺され、死後にさらに侮辱を受けて貶められ、犯人達はそのまま権力に守られて逃げ延びた。

 その時キザキが抱いたであろう怒りの激しさと大きさは、私には少し想像が付かない。


「犯人達は未成年者でしたから、当然氏名や住所などは一般には公開されていません。警察内部の誰かが情報を漏らしたのでしょうね。被害者側も、一度苦労して『終わらせた』事件を蒸し返されたくなかったのか、あまり熱心に追及を行わなかったようで真相は闇の中。ですが、まあ何が起こったのかは想像するに難くありませんね」


 イーリスが一度言葉を区切ってティーカップを傾けた。


「その事件の後、どう言う経緯でキザキが海外に渡り、どう過ごしていたのかはワタクシも知りません。ただ事件から三年後、ワタクシがメキシコであの男と初めて出会った時には、キザキはすでにあの土地でこれ以上無いと言うほどの技術を持った一流の殺し屋かつ傭兵でした。私が把握しているだけでもあの男がここまで殺した人間の数は三桁は下りませんね。堅気の人間を手に掛けた事がほぼ無いのがまだ救いですが」


 大切な人間を失った事から来る抑えがたい怒りに任せて、三人の人間を殺した。

 それが、キザキの中の何を変えたのか。人を殺す以外の生き方が出来ない人間になる事を、自分で選んだのか。


 人を殺し続ける事で、何か得られる物があると信じているのか。


「一度だけ、キザキがほとんど酔い潰れるほどにワタクシの前で飲んだ事があります。その時、うわ言のように言っていた事がありました」


「何て?」


「自分は優子の顔が見たい、しかしそれがどうしても見えない、と」


「優子さんの、顔」


「どう言う意味なのかはキザキ本人にも分からない事かも知れませんけどね。ただはっきりしているのは、あの男にとって八年前の事件は犯人達を殺した事では終わらなかったと言う事です。そしてあの男が殺しを生業にしているのも、権力の横暴と言う物に酷く反発しているのも、恐らくは今回あなたをらしくも無く助けたのも、全て八年前の事件を自分の中で終わらせようともがいている結果なのでしょう」


 私は、俯いた。


 淡々と語るイーリスの口調が、却ってキザキが抱える心の闇の深さを物語っている気がした。

迂闊に、私などが触れていい事では無かったのかも知れない。


「聞いて後悔しているのなら、忘れてしまう事をお勧めしますわ。半端な興味や優しさであの男と深く関わるべきではありません。互いに傷付く事になるでしょうし、下手をすればあの男の中の一番狂暴な部分を引き出してしまうかも知れません」


「イーリス自身はどうなの?」


「どう、とは?」


「二人は、どう言う関係なのって事?キザキは、腐れ縁だって言ってたけど」


「ワタクシはワタクシでキザキとは別の所で色々と屈折していますから」


 私の質問のイーリスは妖艶にほほ笑んだ。


「ワタクシがあの男に引っ付いているのはとても歪んだ感情からですわ。それを今語る気にはなれませんが、ワタクシにあの男を救う事は出来ませんね、恐らく」


「好きなの?キザキの事」


「実は恋焦がれていますわね。でも、愛してはいません」


「分からない、な」


「乙女心ですから」


 イーリスは冗談のような口調だった。今語る気になれない、と言うのは本当らしい。


「ワタクシが何故、あなたにここまで語ったか、分かりますかソルヤ?」


「それも、分からない」


「あんな事を言っておいてなんですが、ワタクシは少しだけあなたに期待しているのですよ。もしあなたが半端な興味や優しさ以上の感情でキザキと向き合ってくれるのなら、あの男を救ってくれるのではないか、とね」


「私が、キザキを?」


「あの男がたまたま出会った人間を気紛れで救うのは稀にある事ですが、他人の気持ちに慮って敵を殺す事を控えようとするなんてワタクシが知る限り初めてですから。あなたの何かがあの男を特別に動かしたのですよ」


「私の、何が?」


「さあ、それはワタクシには分からない事です」


 イーリスに言われた事を、自分の中で考えてみた。


 キザキは実質私の命の恩人だ。感謝はしている。何かの形で恩を返せるのなら返したいと思っている。

 好意を抱いているのかと言われれば、良く分からない。今の私の置かれた立場を思えば、そんな浮付いた事を考えている暇など無い、と言う気もする。


 私には今のイーリスの話を聞いて、それでもキザキの抱える心の闇と向き合う覚悟や理由があるのだろうか。


「長話をし過ぎましたね」


 イーリスはそう言って視線を別の方向に向けた。屋上へと通じる階段の方から人の気配がする。


「聞いた内容に責任を持て、とは言いませんわ。忘れて頂けるのならそちらの方がワタクシも気楽かもしれません、ひょっとしたら。仮にも一国の王女にあんなどうしようもない人殺しを救ってくれ、と頼むのも無茶な話ですしね」


 それからイーリスが人差し指を唇の前で立ててほほ笑んだ。同性の私すらぞくりとするほどの美しさと色気がにじみ出る動作だ。


「ワタクシからこんな話を聞いたと言う事はくれぐれも内密に」


「それは情報屋としての信用に関わるから?」


「いえ、単にワタクシがキザキの過去にここまでこだわって調べているなんて知られるのは癪に障るので。まああの男は自分に向けられる恋愛感情に関してはクソボケなので多分何か勘違いして終わるでしょうけど」


 自分に向けられる殺気には異常に敏感なんですけどね、と付け足し、イーリスは今度は楽しそうに笑った。


 キザキが、部屋に戻って来た。

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