第31話

 そのとき、校舎の3階にある化学実験室の窓から、多数の光るものが飛び出した。青く澄み渡った初夏の空の中を、赤、青、白、黄、紫、ピンク・・・とさまざまな色の小さなものがグランドをめがけて一斉に飛んできたのだ。凍ったスキャンティーだ。『スキャンティー紙飛行機大会』が始まったのだ。


 あれっ、おかしいぞ・・・


 オレは疑問を感じた。牧田は確か、化学実験室の窓から参加者に一人ずつ凍ったスキャンティーを順番に飛ばしてもらうと言っていた。それなのに、どうして、こんなに多数のスキャンティーが一度に飛んでくるのだ。これじゃあ、誰が飛ばしたスキャンティーが一番遠くに行ったか、分からないじゃないか!


 オレはグランドにいたので分からなかったのだが、実はこのとき、3階の化学実験室は大混乱になっていたのだ。


 以下はオレが後で夏美から聞いた話だ。


※※※※※※※※※※※※※※※※


 3階の化学実験室の前から1階の廊下まで行列を作っている男たちは、一種の『群衆』を形成していると言っていい。群集心理というものは恐ろしい。何かのきっかけで群衆全体がとんでもない行動を取ってしまうことがあるのだ。このときもそうだった。


 牧田が『スキャンティー生放送』をパソコンから流した後で、行列の男たちに「これから、みなさんに凍ったスキャンティーを配ります」と声を掛けた。その声で夏美が冷凍庫の扉を開けた。すると、行列の後方にいた誰かが声を挙げたのだ。


 「これから倉持が一週間も履き続けたスキャンティーを配るんだそうだ」


 もちろん、牧田はそんなことは一言ひとことも言っていない。誰かが何か勘違いして、そう叫んだだけなのだ。しかし、その声で『早く行列の前に行かないと、誰かに夏美の履いたスキャンティーを取られてしまう』という恐れが男たちの心に湧き上がったのだ。


 行列が一斉に動いた。せっかく並んでいたのに・・・誰もが我先に前方に殺到した。行列の先頭に並んでいた校長の加治と『地歴の香田』が後ろから押し寄せた群衆に押されて、弾丸のように前方に飛んでいった。そして二人は夏美が扉を開けた冷凍庫の中に頭から突っ込んでいったのだ。


 冷凍庫の中にはドライアイスで凍らせたスキャンティーがいっぱい吊るしてあった。加治が手足を広げた大の字になって、吊るしてあるスキャンティーを頭でかき分けながら、冷凍庫の奥に突っ込んでいった。そして、冷凍庫の奥の壁に大の字のまま激突した。加治は大の字のまま「ウ〜ン」と唸って冷凍庫の中に仰向けになってひっくり返ってしまった。


 そのすぐ後に、香田が冷凍庫の中に頭から突っ込んでいって、倒れている加治の身体を踏んづけてしまった。加治が大の字のまま再び「ウ〜ン」とうめいた。香田は加治の身体で足を滑らせて、マット運動の前転をするような格好をして、冷凍庫の中で身体を大きく一回転させた。香田の回転する足が、冷凍庫の中に吊るしてあった、凍ったスキャンティーを見事に蹴散らしてしまった。凍った大量のスキャンティーが、化学実験室の床に撒き散らされた。


 加治と香田の後から化学実験室の中に押し寄せた群衆の中から、また声が上がった。


 「これが倉持が一週間履いたスキャンティーだぞう」


 またも誰かの勘違いだ。しかし、その声で化学実験室に押し寄せた群衆が我先に床に散らばったスキャンティーを拾い始めたのだ。


 牧田が「違う。違う」と言ったが、誰も聞いていなかった。群衆の中でまた誰かが声を挙げた。群集心理が働いて、うっかり願望が口に出てしまったようだ。


 「これを窓から投げて一番遠くに飛ばした者に倉持がキスしてくれるそうだ」


 その声で、今度はスキャンティーを拾った群衆が化学実験室の窓に押し寄せて、またも我先に窓から凍ったスキャンティーを投げ出したのだ。そうこうしているうちに、さらに化学実験室の中に行列の後ろにいた群衆が押し寄せてきた。


 化学実験室の中では、行列の後方から殺到する者、床のスキャンティーを拾う者、それを持って窓に殺到する者、窓からグランドにスキャンティーを投げる者、スキャンティーを一度投げて、再び床にスキャンティーを拾いに行く者・・・これらの群衆が前後左右に入り乱れて大変な騒ぎだ。


 化学実験室の中は、てんやわんやの大騒動に陥った。


 以上が、オレが後から夏美に聞いた顛末だ。


※※※※※※※※※※※※※※※※


 オレが見たのは、このとき最初に窓から投げられたスキャンティーの一群だったのだ。


 さて、当初の牧田の計画とは全く違って、一斉に窓から投げられたスキャンティーは、初夏の明るい太陽の光を反射しながらグランドの上空に飛んでいった。そして、ゆっくり揺れながらグランドを埋めた大勢の女性たちの頭上に落下していった。まるで原色にいろどられた美しい蝶がゆっくりと羽ばたきながら、ゆらゆらと降りてくるようだ。


 グランドを埋めた女性たちが頭上を見上げた。女性たちから一斉に声が上がった。


 「これ、なあに?」、「何が落ちてきたの?」、「これって、スキャンティーじゃないの?」、「どうしてスキャンティーが空から降ってきたの?」、「うわ〜。このスキャンティー、かわいい」、「私、このスキャンティー、もらったわ」、「まだまだ空から落ちてくるわよ」、「早く拾いましょう」、「早い者勝ちよ」・・・


 女性たちが我先に空から落ちてくるスキャンティーを拾い始めた。女子生徒だけではない。女性の教師たちも我先にスキャンティーを拾い集めている。数学の教師で、安賀多ダンスリーグの指導を行っている、あの御木本までもが周りの女性を押しのけて、空から落ちてくるスキャンティーを我先に奪い取っているではないか! さらによく見ると、女子生徒や女性教師たちに混じって、あのいつもの掃除のおばちゃんまでもがスキャンティーを拾い集めているのだ!


 オレは呆然と彼女たちを見ながら思った。


 もしも、当初の牧田の計画通り、スキャンティーが一枚ずつ飛んできたのなら、女性たちは誰もスキャンティーには気づかなかっただろう。たまたま、化学実験室の大騒動で何枚ものスキャンティーが一斉に空を飛んできたので、女性たちが気づいたというわけだ。


 それに、女性たちが手にしているスキャンティーは中古品で、本来は汚れてシミが浮いていたり、ほつれていたりしている製品だ。しかし、このときは、スキャンティーの布地に染み込んだ水がカチカチに凍って氷になっていて、その氷が太陽の光を反射してキラキラと光っていた。このため、女性たちにはスキャンティーの汚れ、シミ、ほつれといったものが全く見えなくなっていたのだ。誰が見ても、空から降ってくるのはキレイな新品のスキャンティーにしか見えなかったというわけだ。


 山西は朝礼台の上でスタンドマイクを使って演説をしていたが、突然、空から降ってきたスキャンティーに驚いて、呆然と上空を見上げている。すると、一枚のピンクのスキャンティーがふんわりと空から降りてきて、山西の頭の上に乗っかった。オレはびっくりしてしまった。あれは牧田が一週間履いていたスキャンティーじゃないか! 3階の化学実験室の大混乱の中で、誰かが優勝賞品のスキャンティーを凍らせて、窓から投げたようだ。


 山西がピンクのスキャンティーを手にとって眼をしばたたいている。洗濯もせずに、牧田が一週間も履き続けたスキャンティーなのだ。きっと、その異臭で眼がチカチカするのだろう。このため、山西の演説が一瞬ではあるが中断した。


 オレの頭にひらめくものがあった。


 今だ・・・オレは咄嗟とっさに朝礼台の上に駆け上がった。山西の横に立つと、スタンドマイクを使って、大声で眼の前でスキャンティーを拾う女性たちに声を掛けた。


 「女性のみなさん、この空から落ちてくるスキャンティーは・・・実は『スキャンティー部』から女性のみなさんへのプレゼントなんです。『スキャンティー部』は女性のみなさんに無料でスキャンティーを提供することを目的として設立されたクラブです。決して、女性のスキャンティーをもて遊んだりするクラブではありません。まして、女性蔑視のクラブなど・・・とんでもない誤解です。みなさん、どうか『スキャンティー部』への誤解を解いてください。そして、これからも『スキャンティー部』はさまざまなスキャンティーをみなさんに提供していきます。女性の皆さん、引き続いて、『スキャンティー部』がみなさんにお届けするスキャンティーを楽しんでください」


 すると、なんと、オレの眼の前の女性たちから拍手が湧き上がったのだ。たちまち、拍手がうなりとなって、女性たちを包み込んだ。オレの眼の前の女性の大群全体が拍手をしている。グランドが女性たちの大拍手で揺らいだ。


 山西がキョトンとした顔でその大拍手を聞いている。「スキャンティー部、最高!」、「スキャンティー、大好き!」、「もっと、スキャンティーを頂戴!」、「スキャンティー部、いいわよぉ~」・・・といった声が大拍手の中から聞こえてきた。


 そのとき、スピーカーから偽の夏美の「みなさん、『スキャンティー安来節(やぶし)』で踊ってますか?」という声が聞こえた。


 オレの身体が勝手に動いた。


 オレは朝礼台の上で中腰になった。腰にドジョウ柄のスキャンティーを履いて、頭に同じスキャンティーを被っているだけだ。ほとんど全裸と言っていい。オレはその格好で・・・両手で竹のザルを持って、前に突き出した。ザルを数回揺すって、上にはね上げる。ザルを左手で持って、ザルの中のドジョウを右手でつかむ。その右手を腰の魚篭びくに持っていって、ドジョウを魚篭に入れる格好をする・・・


 オレの踊りは止まらない。


 オレは中腰のままで・・・両手で竹のザルを前に突き出した。そのザルの中に、何枚ものスキャンティーが空から落下した。竹ザルが赤、青、黄・・にいろどられる。オレは竹ザルを数回揺すって、上にはね上げた。竹ザルの中のスキャンティーが、朝礼台の前の女性の群れの頭上に飛んで行った。女性たちが「キャー、スキャンティーが飛んできたわよぉ」、「これ、もらうわ」、「このスキャンティー、素敵!」・・・と歓声を上げて、オレが投げたスキャンティーに群がった。


 オレは中腰のままで、両手で竹のザルを前に突き出す。その竹ザルの中に、再び何枚ものスキャンティーが空から落下した。オレは竹ザルを数回揺すって、上にはね上げる。スキャンティーが女性陣の頭上に舞った。その度に、女性陣から大歓声が上がる・・・オレのドジョウすくいは続く。オレの周りを大歓声を上げながら女性たちが取り巻いて、スキャンティーをつかんでいる・・・


 女性陣の中から再び「スキャンティー部って最高!」という声が聞こえた。その声に対して、もう一度大きな拍手が女性の群れから湧き上がった。


 『スキャンティー部』に起因した、安賀多高校の女性と男性の対立はなんとかうまく収まったようだ。


*********


 それからの『スキャンティー部』の顛末を簡単に紹介すると次のようになる。


 こうして、牧田の設立した『スキャンティー部』は正式なクラブとして、学校の中で認識されることになった。ただし、その目的は「安賀多高校の女性教師と女子生徒に新しいスキャンティーを定期的に供給すること」に限定されてしまった。このため、月に一回、校内で『スキャンティー紙飛行機大会』が開催されることになったのだ。当日は男性たちが化学実験室の窓から凍ったスキャンティーをグランドに投げて、グランドに集まった女性たちがそれを拾うのだ。


 こうして、『スキャンティー紙飛行機大会』は安賀多高校の新しい名物行事になった。


 オレと夏美は、それからも『スキャンティー部』の部員のような、部員でないような状態が続いている。ダンス部顧問の山西はオレたちに「『スキャンティー部』に入ってもいい」とは言わないが・・・「『スキャンティー部』に入ってはいけない」とも言わなくなった。


 さて、その『スキャンティー部』だが・・・『スキャンティー部』が学校に認識されたと言っても、相変わらず部員は誰もおらず、顧問の牧田だけという有様だった。


 実は『第一回 スキャンティー紙飛行機大会』の優勝賞品は、夏美が一週間も履き続けたスキャンティーではなくて、牧田が一週間履いたスキャンティーだったという噂が学校内に流れて、誰もが『スキャンティー部』に入ることを敬遠したのだ。


 どうも、あのとき、化学実験室に押し寄せた群集の一人が、箱に入った『優勝賞品』を見つけたらしいのだが・・・中に入っているスキャンティーの、あまりの異臭に辟易へきえきして・・・冷凍庫で凍らせて窓から投げ捨てたらしい。それが、山西の頭の上に落ちてきたというわけだ。


 こうして、優勝賞品は牧田が履いていたスキャンテーだったという”真実”が噂として流れて、『スキャンティー部』への入部希望者がゼロになってしまったというわけだ。


 それで、安賀多高校の新しい名物行事になった『スキャンティー紙飛行機大会』のときは山西の許可をもらって、オレと夏美が牧田を手伝っている。


 そして、今回の『第一回 スキャンティー紙飛行機大会』の翌日、オレと夏美は、山西からダンス部の練習後に部室に残っているように言われた・・・


 

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