第18話

 「どじょうすくいのようなアドリブのダンスじゃなくて、基本的なダンスのステップをきちんと覚えるといいわよ。お上品なダンスだったら、私がポップコーンステップを教えてあげるわ。いい、小紫君。私の動きをよく見ているのよ」


 夏美がオレに言った。警察が来た翌日だ。ダンス部の部室だった。部室の中はオレと夏美だけだった。いつものように、ダンス部の練習前のひとときだ。


 昨日、オレはまたしても、どじょうすくいで山西にさんざん絞られてしまった。お説教の後で山西がオレに言った。


 「小紫君のどじょうすくいはなんて下品なんでしょう。上品な安賀多高校ダンス部にそぐわないわ。倉持さんから、もっと上品なステップを教えてもらいなさい」


 それで、夏美がオレに上品なステップを教えてくれることになったのだ。夏美はいつものようにキャスター付きの大型ミラーを部室の中央に出してきた。


 ミラーの前で夏美は足を開いて立った。右足、左足と交互に二度踏みケンケンをする。夏美の口から声が出た。イチニ、イチニ、イチニ、イチニ。


 リズムが身体になじんでくる。


 「前にキック」


 夏美が『ニ』で宙にある方の足を前に蹴る。右左。右左。イチニ、イチニ、イチニ。


 「横にキック」


 『ニ』で宙にある方の足を横に蹴る。右左。右左。イチニ、イチニ、イチニ。


 「後ろにキック」


 今度は『ニ』で宙にある方の足を後ろに蹴る。右左。右左。イチニ、イチニ、イチニ。


 右足を大きく上げて、左足を軸にその場でくるっとまわって・・・「はい、ポーズ」


 「小紫君。簡単でしょ」


 それから、オレは部室で夏美にたっぷりとポップコーンステップを練習させられた。


 昨日、オレが警部の股間をつかんだ後、警察がいろいろと女子トイレを調べたが、結局トイレの個室から女が消えたトリックは見つからなかった。捜査中ということで問題の個室には『立ち入り禁止』のテープが張られていた。


 実はオレには気になることが一つあった。それで昨日、オレは八十八騎とどろき警部に連絡を取ったのだ。


 夏美とポップコーンステップを練習した翌日の放課後、オレと夏美は問題の女子トイレに行った。トイレの入り口で八十八騎警部が待っていた。オレには調べてみたいことがあったのだ。重要なことだから、八十八騎警部にも立ち会ってもらわないといけない。それで、オレが警部を呼んだのだ。


 しかし、オレと八十八騎警部の男二人で女子トイレの中をうろうろするわけにはいかない。いくら捜査でも周囲の女子生徒から冷ややかな眼で見られるのは間違いない。それで夏美に一緒に女子トイレにきてもらったのだった。


 『立ち入り禁止』のテープをいったん外して、オレは問題の個室のドアを開けた。


 「小紫君。何が気になるの?」


 夏美がオレの後ろから個室をのぞきこむ。八十八騎警部も夏美の後ろから中をのぞき込んだ。個室の中には、いつもと同じようにピンクの便器があるだけだ。異常なところは何も見当たらない。


 オレは個室の中を見まわしながら、二人に言った。


 「実はこの前、『おくねさん』がここに入って消えたとき、水を流す音が二回重なって聞こえたような気がしたんだ」


 八十八騎警部が確認する。


 「何だって、小紫君。水洗の音が二回重なって聞こえた? それは間違いないのかね?」


 「ええ、そうなんです・・・こんなふうに」


 オレは便器のフタを開けた。水洗タンクの前にある水洗のレバーを下げた。ジャーと水洗の音がしてピンクの便器の中に勢いよく水が流れた。オレは続けてもう一回レバーを下げた。しかし・・・今度は便器の中にチョロチョロと水が流れただけだった。なぜか、二回続けてジャーという水洗の音はしなかった。あれ? どうして?


 「あれっ、おかしいな?」


 夏美がオレに言った。


 「水洗の音は一回だけじゃない。最初にレバーを下げたときにしか、音はしないじゃないの?」


 「・・・・・」


 「小紫君、あなた聞き間違えたんじゃないの?」


 「いや、そんなはずは・・絶対にないんだけどなぁ・・どうしてだろう?」


 オレは首をひねった。


 オレは数分してから、試しにもう一度レバーを下げてみた。今度はジャーと水洗の音がして、便器の中に勢いよく水が流れた。


 どういうことだ?


 八十八騎警部が個室の中に入ってきた。


 「小紫君。続けて水洗のレバーを下げても水洗の音はしないよ。水洗のタンクには水が一定の量たまっているんだ。それで、レバーを一回下げるとレバーとつながったフロートバルブが持ち上がって、タンクの中の水が便器に一気に勢いよく流れるんだ。このときに、ジャーという水洗の音がするわけだね。


 それで、タンクの水が便器に流れてしまうと、タンクの水位が下がるのを検知して、蛇口から水が出てタンクの中に水をためるんだよ。だけど、続けてレバーを下げても、タンクの中にはまだ充分に水がたまっていないから、水は便器の中には少ししか流れないんだ。それで、ジャーという水洗の音はしないんだよ。


 そうして3分くらい時間がたって、タンクの中に水が十分にたまると、また水が勢いよく便器の中に流れるので、ジャーという水洗の音がするんだ」


 警部が説明した。


 そうか、そうだったのか。それで、水洗のレバーを二回続けて押し下げても、最初にレバーを押し下げたときにだけ水が勢いよく流れて、二回目の時は少ししか水が流れないのか・・・つまり、水洗のジャーという音は最初にレバーを押し下げたときにしかしないわけだ。


 オレはそんなことは何も知らなかった。しかし、オレは首をひねった。


 「おかしいなあ? この前は確かに水洗の音が二回重なって聞こえたんだけどなあ。そうすると、倉持が言うように、オレが聞いた水洗の音はやっぱり聞き間違いだったのかなあ? 『おくねさん』が消えたときに、オレが聞いた二回の水洗の音はいったい何だったんだろう?」

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