第3話

 夏美はオレをダンス部の部室に連れて行った。


 横の体育館から「プリエを一回・・・プリエをもう一回・・・そうそう・・・手を大きくまわして・・・」という声がCDのピアノ曲に合わせて聞こえてくる。ダンス部がバレエのバーレッスンをしているのだ。夏美は文化祭の実行委員会があるので、今日は部活を休んでいた。安賀多あがた高校のダンス部は女子しかいない。


 オレはダンス部の部室に初めて入った。50㎡ほどの大きな部屋だ。誰もいなかった。みんな練習に行っているのだ。フローリングの床を殺風景な壁が取り囲んでいる。壁の片方に四角い棚がいっぱい並んでいた。棚の中にダンス部員の荷物や脱いだ制服やタオルなどがところせましと突っ込んである。汗のにおいがした。奥の壁にはキャスター付きのホワイトボードと大型ミラーが無造作に置かれていた。中央には机と折りたたみイスが4脚置いてある。オレと夏美はイスに座って向かい合った。


 オレが「すき」という言葉で踊りだすという秘密は今まで誰にも話していなかったが・・・さすがにもう限界のようだ。今日は文化祭の実行委員会で踊りだしてしまったが、おそらく今後も同じようなことがたびたびあるにちがいない。それだったら変なダンスを踊ってしまって周囲を驚かすよりも、地味で動きの少ないダンスを踊るように工夫して、無難に事態をやり過ごす方法を選んだ方が賢いじゃないか。秘密にしているよりも、誰かに打ち明けて協力してもらった方がいい。オレはそう決心した。


 ダンス部の部室で、オレは夏美にすべてを打ち明けた。オレの秘密を人に話すのは生まれて初めてのことだ。すべて話し終わると、オレはなんだか頭の上のおもりがなくなったような開放感を感じた。胸のつかえが下りたような、すっきりした気分だ。


 夏美は驚いて聞いていた。


 「へーえ。そんなことがあるんだ。『』と聞こえたら踊り出すわけね」


 オレは立ち上がった。両手を頭の上に上げた。横をキッとにらむ。足を踏み鳴らした。顔の横でパチンと手を打った。


 「オーレ」


 夏美が口を開けてオレを見ていた。オレはイスに倒れこんだ。


 「助けてくれよ。倉持。毎回、フラメンコを踊らされたら身体が持たないよ」


 「わかったわ。私が協力するわ。私がむらさき君を助けてあげる」


 夏美は腕を組んで考え込んだ。


 「しかし、声が出なくて動きの少ないダンスねえ・・・何がいいかな」


 やがて、夏美は何か思いついたようだ。オレに明るく言った。


 「そうだ。『窓ふきダンス』がいいな。これだったらステップがないから、その場で簡単にできるわよ」


 夏美は部室の奥からキャスター付きのミラーを持ってきて、その前に立った。


 「小紫君。いい。よく見ててね。リズムで動きを覚えるのよ。いくわよ」


 夏美が両手をそろえて手の平を前に突き出した。指を大きく広げている。雑巾を窓ガラスに当てているしぐさだ。両手をそろえたままで、大きく四角を描くように動かす。まるで窓ガラスに額縁を描いて、額縁の中に窓の外の景色を切り取っているようだ。口でリズムをとる。


 ♪タンタタ、タンタタ、タンタタタン♪

 ♪タンタタ、タンタタ、タンタタタン♪


 今度は左右の手を交互に上下に動かした。ときおり顔を突き出して、フーと窓に息を吹きかける。額縁の中にある、切り取った窓ガラスに息を吹きかけて、雑巾で拭くしぐさだ。


 ♪タタッタ、タタッタ、タタッタ、タン、フー♪

 ♪タタッタ、タタッタ、タタッタ、タン、フー♪


 「簡単でしょ。小紫君。やってみて」


 オレはダンス部の部室で、夏美に窓ふきダンスを何度も練習させられた。


 そのとき、声がした。


 「倉持さん。いるの?」


 メガネを掛けた小柄な女性が部室に入ってきた。ダンス部顧問の山西裕子だ。現代文の教師でもある。山西の授業は一切の妥協を許さない。生徒の間では厳しい教師として有名だ。いつもミディアムロングの髪を肩に流して、きっちりした紺のツーピースを着こなしている。


 山西は女子だけのダンス部の部室に男子生徒がいるので驚いたようだ。オレと夏美の二人を見つめる山西の眼が、不審者を見るような眼つきになっている。不順異性公遊といった言葉がオレの頭に浮かんだ。


 山西が詰問口調でオレたちに聞いた。


 「あなたは2年1組の小紫君ね。あなた、ダンス部の部室で何をやってるの?」


 山西の勢いに押されて、夏美が下手な言い訳をした。


 「あっ、先生。実は小紫君はダンス部への入部希望者なんです」


 「入部希望者ですって? 小紫君。あなた、ダンスがだったの?」


 いかん。まただ。オレの身体が勝手に動いた。


 オレは山西の前に立った。


 オレは指を大きく広げ、両手をそろえて前に出した。手の平を山西の顔の前に突き出した格好だ。そして両手をそろえたままで、山西の顔を中心にして、顔の周りに大きく四角を描くように手を動かした。なんだか山西の顔の周りに、四角い遺影の額縁を描いているようだ。オレの口からリズムがでた。


 ♪タンタタ、タンタタ、タンタタタン♪

 ♪タンタタ、タンタタ、タンタタタン♪


 額縁の中にある山西の遺影の顔が茫然とオレを見つめている。あんぐりと口を開けたままだ。


 続いて、オレは山西の顔の前で左右の手を交互に上下に動かした。今度は窓ガラスを雑巾で拭くしぐさだ。まるで遺影の額縁の中にある山西の顔写真を雑巾で拭いているかのようだ。額縁の中で、遺影の山西が何ごとかと眼をしばたたいている。


 ♪タタッタ、タタッタ、タタッタ、タン♪


 顔を突き出して遺影の山西の顔に息を吹きかける。♪フー♪


 雑巾を上下に動かして遺影の山西の顔を拭く・・・♪タタッタ、タタッタ、タタッタ、タン♪・・・遺影の山西の顔に息を吹きかける。♪フー♪


 額縁の中で、遺影の山西の顔がみるみる真っ赤になっていった。突然、遺影から大声が出て、ダンス部の部室に響き渡った。


 「いいかげんにしなさい!」


 

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