第3話 古羊洋子はビクビクしている

「――大神よ、この間ホームルームで決めた2年A組ウチの学級目標を言ってみろ?」



 職員室にヤマキティーチャーの静かな声音が小さく反響する。


 ほんと良く通る声だなぁ、なんて柄にもなく感心しながら、ふんぞり返って座っている筋肉ダルマの問いに元気よく答えてやった。



「はいっ! 周りに迷惑をかけないことです!」

「その通りだ」



 ヤマキティーチャーは満足そうに大きく息を吐き出すと、ピッ! と俺に向かって人差し指を向けてきた。



「『ベストのB組』『普通のC組』『デンジャラスのD組』『特別エクストラなE組』『ファンタジスタなF組』『グレートなG組』……その中でもおまえ達は先生たちの独断と強い要望により作為抽出(さくいちゅうしゅつ)されて作られた――『アホのA組』だ」



 酷い言われようだ。


 あまりにもあんまりな言い分に、流石にカチンと来た俺は、反論するように小さく口をひらいた。



「その言い方はあんまりです先生っ! せめて『選び抜かれた』とか言ってくださいよっ!」

「……逆に悲しくならないか、ソレ?」



 何故か残念な子を見るような瞳を向けられる俺。


 ちょっと先生? その視線、すっげぇ不愉快なんですけど? ハレ晴レ不愉快なんですけど? 魔法以上の不愉快なんですけど?


 思わず俺の意志に反して中指が勃起しそうになるのを必死に抑えていると、ヤマキティーチャーは至極真面目な口調で「さてっ」といやらしく俺を見つめてきた。



「今日の大神の罰掃除はどこがいいかなぁ。どこの男子トイレが適任か、迷うなぁ。なぁ大神? おまえはどこの男子トイレを掃除したい?」

「先生、なんで男子トイレ限定なんですか? というか俺、先週も男子トイレを掃除したばっかりですよ? もうトイレは嫌ですよっ!」

「嫌がらないと罰掃除にならないだろうが。それに人の嫌がる雑事を率先してやることで、人間的成長が期待できるというものだ。そもそもお前は――」



 と、お説教モードに突入したヤマキティーチャーに「うへぇ……」と思わず顔をしかめてしまう。


 こうなると長いんだよなぁ、この人。


 あとどうでもいいけど、昔、トイレにはそうはもう綺麗な女神さまが居て、トイレ掃除をすると自分も女神さまみたいに綺麗になれるといった歌が流行ったらしい。


 ソレを聞いた当時のモテない男達は『お掃除フ●ラすると綺麗になれるらしいぜ?』とか戯言ざれごとをほざいて女の子たちをナンパしていたらしい。


 まったく、モテない男たちの飽くなき探究心にはいつも脱帽させられるぜ。


 もはや変態を通り越して英雄である。



「おいっ、ちゃんと先生の話しを聞いているのか大神? まったく、これだから最近の若者は落ち着きがないと――」  

「し、失礼します。あ、あのっ! にゃま……山崎先生は居られますか……?」



 ヤマキティーチャーのお説教が第2部に突入しようとしたその時だった。


 俺の背後から妙にオドオドした女子生徒の声音が鼓膜を撫でたのは。


 その初めてデリヘルを呼んだ男子大学生のようにガチガチに緊張した声を前に、何故か俺の中で男の嗜虐心しぎゃくしんがムクムクと膨張していくのを感じる。


 そんな自分自身の変化に思わず戸惑いを隠せない。


 な、なんだこの声? 


 何というか……妙に興奮する。


 例えるなら、丸々と太った美味しそうな羊が無防備な姿で目の前にいるような、そんな感じの声。


 本能を刺激する、甘い声。



「おっ、来たか。おーい古羊。コッチだ、コッチ」

「あっ、ひゃい! ……はい。失礼します」



 ヤマキティーチャーが俺の背後に向かって軽く手をあげると、ビックリしたような女の子の声が肌を叩いた。


 俺は街灯に群がる羽虫のように、そのポワポワした声に惹かれる形で後ろへと振り返り……息を飲んだ。


 俺の視線の先、そこには我が心のマイ・ワイフ、羊飼芽衣に匹敵するほどの派手な格好をした美少女が居た。



「あ、あのっ! こ、今週末の地域清掃ボランティアの参加者名簿を持って来ました」



 そう言って亜麻色の髪をした派手な少女は、緊張気味にヤマキティーチャーに数枚のプリントを手渡した。


 そんな彼女の横顔を眺めながら、俺は改めて彼女の全身を視界に納める。


 俺はこの子を知っている。


 いわゆる白ギャルと言われる派手な格好をし、着崩した制服からのぞき見える谷間やふとももは目を惹くほどムチムチ……なクセに、ウェストはキュッ! と絞られて奇跡のダイナマイトボディを実現していた。


 この男の欲情を誘うような、えちえちボディをした女子生徒の名前は『古羊洋子こひつじようこ』。


 俺と同じ2年にして、羊飼さんと同じく学校の話題をさらっている生徒会の白ギャルだ。


 思わず古羊の身体を舐めまわすように観察している俺を横目に、ヤマキティーチャーは難しそうな顔で白ギャルとお話していた。



「ありがとう古羊。……ふむ、どうやら今年の清掃ボランティアはかなり人数が居るようだな」

「は、はい。おそらくゴミ袋は生徒会の方で人数分用意できると思いますが、その……軍手の方がたぶんちょっと足りないです」



 そう言って申し訳なさそうに身を縮める古羊。


 途端に制服の上からでも分かるほどの彼女の巨峰きょほうがこれみよがしに強調された。


 おかげでにゅうトン先生の万乳引力ばんにゅういんりょくの法則に従って、俺の視線も彼女の谷間に惹きつけられる。


 瞬間、とても豊かな肌色の渓谷けいこくが目の前に飛び込んできた。



「……ふぅ」



 やれやれだぜ。


 気がつくと俺はアメリカの通販番組の司会者のように肩をすくめていた。


 まったく、もし俺に生涯の伴侶(予定)である羊飼さんが居なければ、今頃彼女に告白してフラれているところだぞ?


 ほんと気をつけてほしいものだ。


 と、心の中で警告していると、古羊が生まれたての小鹿のようにビクビクした様子で俺に声をかけてきた。



「あ、あの? ど、どうしたの? そ、そんなにジッとコッチを見て……? ぼ、ボクの顔に何かついてたかな?」



 そう言って、いつでもその場から逃走出来るように腰を引きながら、プルプルと大人のオモチャのように小刻みに震える古羊同級生。


 その挙動は男の嗜虐心をこれでもかと逆撫でしてきて……思わず息子がS極に目覚めるかと思った。


 おいおい、マジかよこの? 


 天然でここまで『イジメてください!』オーラを出せるだなんて……将来はどんな偉人になるというのだろうか?



「お、オオカミくん? め、目が怖いよ……?」



 俺を映すその子犬のようなつぶらな瞳は、若干の恐怖で強ばっているように見えて……ふむ。なるほどな。


 もしかしたら惚れられたかもしれない。


 俺は「なんでもないよ♪」と彼女を安心させるべく、ニコッ☆ と爽やかに微笑む……のだが、何故か俺の笑顔を見てビクッ!? と肩を震わせる古羊。


 どうやら俺がイケメン過ぎて驚いてしまったらしい。


 みんなっ! イケメンは用法・用量を守って正しくお使いください、お兄さんとの約束ダゾ☆



「足りない分の軍手は先生が用意しよう」

「あ、ありがとうございますっ!」

「ついでと言ったらあれだが、あとは火ばさみもコチラで用意しておくから気にしないでくれ」

「えっ? で、でも先生、流石に荷物が多くて1人で持って行くのは大変なんじゃ……」



 心配そうな声をあげる古羊に、先生は「大丈夫だ」と、俺には見せたことのない笑みで応えた。



「確かに1人じゃ大変だが、ちょっと荷物持ちには宛てがある。なっ、大神?」

「はい?」

「せ、先生!? そ、それって……っ!?」



 まさかっ!? と言わんばかりに目を見開く古羊を無視してヤマキティーチャーが嘘くさい笑みを俺に向けてきた。


 ……なんかすっげぇ嫌な予感がする。



「大神、おまえの罰掃除なんだがな? やはりトイレ掃除はしなくていい」

「えっ、マジすか? やった!」



 ヨッシャーッ! なんか知らんがトイレ掃除をしなくて済んだぞ!


 ラッキー、と思ったのも束の間、ヤマキティーチャーは机の上に置いてあった1枚の紙切れを手にし、俺の方へ突き出してきた。


 ん? なんだコレ?


「代わりと言ってはなんだが、おまえにはコレに参加してもらう」



 ヤマキティーチャーが差し出してきた紙には『地域清掃ボランティア参加用紙』と書かれていた。



「……なんすかコレ?」

「そのまんまの意味だ。おまえには今週末の日曜日、地域清掃ボランティアに参加してもらう。場所は森実海浜公園。そこでトイレ掃除の代わりに浜辺に落ちているゴミなどを拾ってもらう。もちろんおまえ以外にも生徒は来るが、おまえには先生と一緒にボランティア道具の準備を手伝ってもらうぞ」



 もちろん道具の準備だけではなく、ゴミもきちんと拾ってもらうがな! と上機嫌にその薄汚うすぎたねぇ口から世迷言を繰り出すヤマキティーチャー。


 おいおいマッスル、冗談はその肉体だけにしてくれよ?


 なんでせっかくの休日に好きこのんでゴミなんぞ拾わにゃならんのだ?


 気がつくと俺の唇が歌うように断りの文句を口にし――



「あっ、すいません先生。実は今週末、アレがソレでして……。本当に申し訳ないんですけど、ボランティアに参加する時間が――」

「ちなみに生徒会主導だから羊飼も来るぞ?」

「ボランティアに参加する時間が――あまりに余って困っていた所ですよぉ~♪」



 口にし……ようとしたが、やはり男たるもの困っている人を見過ごすワケにはいかないと思い直し、首を縦に振った。


 決して『もしかしたら羊飼さんの水着姿が見れるかもしれない!? ひゃっほーっ!』とか思ったからではない。断じてない。


 ……ほんとだよ?


 ほ、ほんとなんだってばっ!



「それじゃボランティア、参加してくれるな?」

「当たり前じゃないですかっ! 万難を排してでも参加させていただく所存ですよっ!」



 まったく、英国紳士も裸足で逃げ出すであろう自分の紳士っぷりが怖くて仕方がないねっ!


 ほんと俺って心が富士の雪解け水のように透き通っているよなぁ。


 昨今なかなか見ないぞ、こんな好青年?


 俺は爽やかな笑みを添えてヤマキティーチャーの言葉にしっかりと頷いた。


 途端に捨てられた子犬の如く「ひぅっ!?」と恐ろしいモノでも見るかのような瞳で俺を見てくる古羊。



「せ、先生? お、オオカミくんも来るんですか……?」

「言いたいことは分かるが、安心してくれ。このケダモノは先生がキッチリ責任を持って監督するから」



 俺がヨロシコ♪ と心の中で縦ピースをキメている傍らで、青い顔をした古羊とヤマキティーチャーが何やらワケの分からないことを言っていた。


 が、そんなこと今は些末さまつな問題でしかない。


 問題、そうここでも問題はただ1つ。


 俺の心のマイハニー、羊飼さんが今週末、水着姿になるということだっ!


 羊飼さん、どんな水着を着て来てくれるんだろうか?


 ビキニ? ワンピース? そ、それともまさかのスク水とかっ!?


 ……いや、落ち着けシロウ・オオカミ。


 そうだ、姿かたちは問題じゃない。あの羊飼さんが薄布1枚で俺の前に立つ、それだけでPriceプライス lessレス。お金では買えない価値がある。



「ふひっ♪」

「……何を気持ち悪くて笑っているんだ大神?」

「ひぃぃっ!?」

「ふひひひひっ♪」



 ヤバいお薬でもキメているかのような人を見る目で、不気味そうに俺を見てくるヤマキティーチャーと古羊同級生。


 そんな2人の視線を肌で感じながら、俺は今週末のボランティア清掃に思いをせた。























 ……そう、このときの俺は知らなかったのだ。





 この何となしに参加させられた行事が、まさか俺と彼女の運命を変える大きな事件になることなんて。


 このときの俺は、知るよしもなかったんだ。

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