【陸】『のろい』も『まじない』も紙一重
熱風に思わず顔を背け、目を瞑った。
蒼い炎が小銭から燃え上がり、酢漿さんを包み込んでいる。
そっと目を開き、まず目に入ったのは白銀の毛並み。同じ色の、長い後ろ髪。
目元には朱い隈取が入っていた。
あれは。あの姿は――。
「……在り得ネえ……手前、何しやがッた!?」
そう、在り得ない。
「狗が狐に成る筈ガねエ!!」
あの隈取と妖術は、確かに狐型の特徴に一致する。
だが、狗型が他の物ノ怪に化ける等、聞いた事が無い。
狸型なら変化能力を使えるが、見目のみ。他の物ノ怪の能力までは模倣出来ない。
酢漿さんは『まじない』と云っていたが、手にしている小銭は篝さんの手と同じ類の《呪具》のように見える。
「狐を見るのは初めてか?」
ちゃりん、と弾き鳴らした小銭から、小さな狐火が現れる。
物ノ怪の脚が、がくがくと震えている。
病の症状か、酢漿さんの姿を見た所為か。或いは、両方か。
「狐も狸もイヌ科だ。先祖が同じなら、それぞれの物ノ怪の能力を扱う事も難しくない」
「それでも! そんな《呪具》が存在するなんて聞いた事がありません!」
「当たり前だろ。これは爺ちゃんが創ったものだから。創り終えてから呪詛の瘴気で死んじまったけどな」
父さんの形見ではなく、爺ちゃんの形見。小さな嘘だが、確かに物部様の云う通りだった。
蒼い炎が、また掌で揺らめく。
「夜は狸の変化能力を使って、朝まで人間の姿を保てばいい。天満月には気付かれなかったけど、多分物部さんには気付かれてただろうなあ。――だから」
掌の小銭を握り、炎を消す。
青白く光っていた周囲が、また仄かな月明りのみになる。
「天満月。今晩で、さよならだ」
酢漿さんの表情が、見えない。
あまりにも声色が穏やか過ぎて、何を考えているのか、分からない。
「嗚呼、そうだよナあ……。自在に変化する危険な物ノ怪も、そりゃ駆除されンだろうナあ……」
炎が消え、辺りが暗くなる瞬間を狙っていた物ノ怪が動いた。
ダンッと壁を蹴り、宙に浮く。力の入らない右腕が重力の向きに従い、放り出される。左手を鳴らし、鋭い爪を露わにした。
「呪イだの何ダの……死ネ!! 化物ォォオオオオ!!」
「俺からすれば、女性達を傷付けて喰ってきたアンタの方が化物だけどな」
不機嫌そうに訂正し、右手を振り上げ、小銭で空を切る。
物ノ怪の爪が、酢漿さんの首を捕らえようとする。
ほとんど動いていない酢漿さんの足元に、ごとりと、左腕が落ちる。
無くなった左腕と、麻痺したまま動かない右腕。身体を支える事が出来ない物ノ怪は、腕から血を流しながら、地面に叩き付けられた。
振り返って物ノ怪を見下ろす酢漿さんを睨み付け、威嚇をする。
「あまり怒らない方が良い。先に襲い掛かってきたのはそっちからだし、これは『まじない』だから。自分で呪詛を注ぎ込む『のろい』と違って、『まじない』は外から受ける呪詛の強さで力が変わる」
ちゃりん、と小銭を鳴らす。
「
先程の炎の刃とは違い、一際大きな蒼い炎が物ノ怪のみを包み込んでいく。
まるで生き物のように、逃げるなど断じて許さないと蠢き、捕らえる。
私は思わず着物の袖で口元を覆い、顔を背けた。
「ア……ぁぁアアアアああ!! アアアアぁぁああああッ!!」
「女性達を――天満月を、散々傷付けた
炎に包まれた物ノ怪が、じりじりと酢漿さんに向かい、這ってくる。
喉を焼かれ、もう呻き声すら上げなかった。
触れるか、触れないか。
あと少しの処で物ノ怪の動きが止まり、炎が消える。
辛うじて、人の形らしき真っ黒に焼け焦げた死体が一体、横たわっている。
私は動かなくなった物ノ怪を見詰めている酢漿さんの背後へ、静かに近寄った。
「そこから、動かないでください」
少し間があり、振り向かず、カチリと小銭を耳飾りに戻し、両手を上げる。
もう、《呪具》は使わないという意思表示。
「黙ってて、ごめん」
「……違います。謝らないでください」
血は止まったものの、呪詛が強過ぎた為か《反転邪視》は未だ解けない。
だが、これで最期なのだから、と眩暈を堪えて告げる。
私の、捨てた過去の一部を、彼に聞いてもらいたかった。
「昔、狐の物ノ怪をこの眼で殺してしまいました。その方は一族の主様で、処刑されかけた処を物部様に買われたのです。……本来ならば人間に危害を加える《邪視》とは違い、物ノ怪のみを発狂させ自害に追い込む《反転邪視》を駆除に使う為でした」
酢漿さんは動かず、只、黙って聞いていた。
未だ、夜は明けていない。
未だ、間に合う。
「私の瞳を視てしまうと酢漿さんも死んでしまう。だから、こちらを振り返らずに、逃げてください」
狸の変化能力が使えるならば、きっと、何処ででも生きていけるだろう。
「その後、天満月はどうするの?」
「……私は……」
あの店では、物部様の命令は絶対だ。その命令を破れば、相応の罰が与えられる。目には目を歯には歯を。他者の処分を拒めば、己が処分の対象となる。
けれど、酢漿さんが生きていてくれるのならば、死など怖くない。
大して使う事もなく溜めていた給料は、酢漿さんの借金に充てればいい。
貴方との思い出を忘れない内に。
「この瞳の呪いと共に、店に戻ります」
「……天満月は『呪い』と云ってるけどさ、俺は違うと思う」
急に振り返り、急いで俯いて顔を隠そうとしたが、腕を掴まれた。
「酢漿さん、離してくださ……っ」
「初めて会った時、俺は『呪い』を使ってなかった」
はっとし、当時の事を思い返す。
あの時、確かに酢漿さんは人間だった。
あの日は満月で、未だ夜明け前だった。
眼が合った時、私は《反転邪視》のままだった。
――だから、私は酢漿さんの正体に気付かなかった。
それは、つまり。
「云っただろう? 天満月の眼は、綺麗な眼だって」
頬に手が添えられ、顔を上げられる。
眼が合った酢漿さんは、笑っていた。
綺麗な白金色の髪の毛が黒く染まり、隈取りが消えていく。
私の腕を掴んでいた手にはもう、鋭い爪は無かった。
「その瞳は誰かを傷付けるだけのものじゃない。『のろい』も『まじない』も紙一重――扱う者の
《反転邪視》が解けていく。
ほろり、ほろりと、熱い雫がこぼれ落ちる。
「……そんな風に云ってくれたのは……、貴方が、初めてです……」
哀しくも辛くもない涙を流すと、こんなにも胸が熱くなる事を初めて知った。
煌々と世界が輝いていく。
薄暗かった夜が開けていくのを感じながら、私は意識を手放した。
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