第37話 落ち武者

 大鳥城と厚樫山の防塁の攻防戦は、ほぼ三日間で終わった。迂回した鎌倉軍の一部が防塁の背後と城の搦手からめて門を突いたためだ。奥州藤原氏の内部分裂の影響もあった。すべてが頼朝の策略通りに進んだのだ。


 勝之介さまはどうしたろう? 三郎太さまは生きておられるだろうか?……雉女は案じたが、それを確認する手段はなかった。


 城と防塁が落ちても信夫庄の戦いが終わったわけではない。庶民の戦いは、むしろそれからだった。食料や薪を得るためには田畑で働き、山や森に入らなければならないが、あちらこちらに落ち武者狩りの坂東武者がいて金品や食料を要求してくるからだ。頼朝の命令も、彼が北へ移動すると忘れ去られたようだ。


 落ち武者狩りは、数人で隊を作って集落を巡り歩き、時には山に登り、草原を薙ぎ払って隠れた敗残兵を捜していた。腹が減れば百姓から食料を奪い、若い女を見つけては犯した。


 ――ドンドンドン……。夜中に板戸を叩く音がして、雉女とサトは目覚めた。


「床下に……」雉女はサトを納戸の床下に隠した。もし落武者刈りなら、幼いサトまで犯されかねない。


 板戸を開けると、目の前にいたのは若い落武者だった。すでに鎧は身に着けておらず、手にした背丈ほどの槍と腰の刀だけが、彼が武士である証だった。


「何か、食べ物はないか……」


 血と泥に汚れた唇から細い声が漏れた。


「お入りなさい」


 雉女は彼を土間に入れた。身体から煙と汗のすれた臭いがする。顔や腕の至る所に小さな傷があったが、どれも瘡蓋かさぶたができて出血は止まっていた。顔は疲れ切っていて瞳は死人のようだ。見れば槍の穂先は綺麗なままで人を殺した形跡はない。臆病なのか運がないのか、戦場に出ても功績は上げられなかったのだろう。


「槍をお預かりしましょう」


 戦を忘れさせようと思って言った。


「ならん」


 盗られるとでも思ったのか、彼はそれを抱え込んだ。


「そんなものを持っていたら、すぐに落武者だとばれて殺されますよ」


 話しながら水甕から飲み水を汲んでやり、濡らした布で顔を拭いてやる。


「ここにはろくな食べ物がないのです。大概のものは鎌倉の者たちに取られてしまって……。今はこれぐらいです」


 床板を外して、隠しておいた干し肉とふきの煮たものを出してやった。


「薄い肉だな……」


 よほど腹が減っているのだろう。不思議がりながらも落武者はそれにかぶりついた。


「何の肉だ?」


 食い終わってから訊いた。


「蛇ですよ。私には、それくらいしか獲れなくて……」


「そ、そうか……」


「皆様が戦をすると、私たちの口には、そんなものしか入らないのです」


 落武者は黙った。


「これからどこに行くのですか?」


「頼朝を捜して討ち果たす」


 ひと心地着いたからか、あるいは食べ物をめぐんでもらった負い目からか、虚勢を張っているように見えた。


「勇ましいのですね」


「武士だからな」


「ご両親が心配なさるでしょうに」


「おらん」


 彼は歯を食いしばった。


「そうですか……。名前は何というのです? 私は雉女と申します」


「……弁才天といわれる雉女殿か?」


 それまで濁っていた落武者の瞳に、雉女は光を認めた。てっきり願い事をされるのだと思った。


「そう言う方もおりますが、弁才天などではありません」


「俺は佐原太郎という者」


「佐原……」聞き覚えのある苗字に心が震えた。


「もしかすると、佐原平祐さまの身内の方ですか?」


「知っているのか? 私は佐原平祐の息子です」


  まさか!……まじまじと若者の顔を見つめた。首桶から覗いた髷を思い出す。彼の魂が、息子を助けてやってくれと、太郎を自分の元へ導いたのだろうか?……息をのみ、平静を取り繕う。


「ご立派な息子さまがおられたのですねぇ。いくつになられたのです?」


「十六です」


「そうですか……」


 自分が鎌倉にいた時分だ、と感慨深いものがある。あれから人生が変わったのだ。そして彼も……。


「おいでなさい」


 雉女は命じるように言って立った。土間に下り、外の気配を窺って板戸を開ける。


「さあ……」


「どこへ行くのです?」


「頼朝を倒すまで生きていたいでしょう。ならば、私の言うことをお聞きなさい」


 土手に続く細道は何篇歩いたかわからない。その起伏も曲がり角も身に沁みついていて、星月のない暗闇の中でも歩くことができた。


 低い土手の上に巨石がある。


「ここは?」


「佐原平祐さまの首塚です。来たことはありませんか?」


「首塚?」


 太郎が振り返る。


「水天神として、私がお祀りしています」


「どうしてこんなところに……。父が腹を切った後、私は叔父に引き取られた。首も、胴と共に墓にあるものと……」


 太郎は膝を折り、槍を置いて呆然と巨石を見つめた。


「佐藤三郎太さまは教えて下さらなかったのですか?」


「俺は、口もきいたことがありません」


 太郎の返事を聞きながら、三郎太さまらしくない、と彼の人懐こい顔を思い出した。あの人は今頃どこにいるのだろう?……振り返ると、灰色の空に岑越山の黒々とした影があった。その峰から空に昇ったのだろうか……。


「佐藤さまは傀儡女には優しくしてくれたのですが……。佐原さまは、あなたが生きていることをお喜びでしょう。そしてこれからも生きていてほしいと願っているはず。そうは思いませんか?」


「……はい。怖い父でしたが、俺は好きでした」


 太郎が巨石に向かって両手を合わせた。


「ならば、こんなものを持っていてはいけません」


 雉女は、太郎が置いた槍を取ると逢隈川の河原に駆け下りた。


「何をする!」


 太郎が慌てて雉女を追った。


 雉女はぴしゃぴしゃと足を濡らして膝まで流れに入り、「エイッ」と槍を流れの中央めがけて投げ捨てた。


「な、なんと……」


 槍を拾おうと、太郎が流れに飛び込む。腰まで浸かって探しても、何分暗闇の中のこと……。槍が何処に沈んだか、投げた雉女にさえわからない。


「太郎さまも、身体をお洗いなさい」


 雉女が背中を強く押すと、太郎は転んで水に沈んだ。もがくように両手をばたつかせてバシャバシャと水しぶきを上げる。彼は5メートルほど流されて立った。


「ナ、何をする!」


 荒い息をしながら抗議した。


「もう良いでしょう。髪の中にまで染みついた戦の臭いも流れ落ちたはず」


「それならそうと言ってくれ」


「身体を洗えと言いました」


「いきなり後ろから押すことはないだろう」


「頭に血が上っていたようなので、言葉が通じないかと……」


「あなたが大切な槍を勝手に捨てたからだ」


「そうでもしなければ、手放せなかったでしょう」


「決めつけるな!」


 口喧嘩のようなことをしながら二人は岸にあがった。


「お聞きなさい……」雉女は、主君の家を再興するために野に潜み、人さらいをした黒須永俊の話をして聞かせた。


「やりかたは汚い。けれど、忠君愛国の心は立派なものです。太郎さまも今は耐えて時期を待つのです。それは恥ずかしいことではありません。面子めんつを守って命を捨てるより、生きて父上の遺志を継ぐことを考えなさい」


 雉女は勝蔵の死を知った夜のことを思い出していた。あの時は自分を見失い、勝蔵を生き返らせようとし、敵を取ろうと夢中だった。しかし、平祐の首を手に入れても、恨みや悲しみから逃れることはなかった。心が癒されることもなかった。そんな思いを平祐の息子にさせたくなかった。もっとも雉女自身、あの当時に同じことを言われても納得できなかったと思うから、しつこくは言わない。どう聞き、どう行動するかは太郎次第だ。


 家に戻ると太郎の直垂を脱がせて勝之介の水干を着せた。兜をかぶるために解いていた髪も結い直して傀儡子に仕立てた。武士の姿よりも幼く見えた。


「これならどこから見ても傀儡子ですよ。もう逃げ回る必要はありません」


「ありがとう。……でも、変な感じだ」


 太郎は傀儡子風に結い直された自分の髪に手を添え、困惑の表情をつくった。


「太郎さま。大鳥城に入った五十辺集落の男たちがどうなったか知りませんか? 弓の部隊だと思うのですが……」


 雉女は勝之介の生死を知りたかった。隣では、やはり父親を案じるサトが不安の眼を太郎に向けている。


「俺は徒歩かち隊だから、他のことは知らない……」


 龍之介が泣き、話しが途切れた。


 雉女が乳をあげていると太郎が言った。


「その者たちがどこにいるかは知らないが、死体置き場ならわかる」


「近づけますか?」


「近在の百姓たちが家族を捜しに来ていたようだから、大丈夫だろう」


 考えた末、太郎に案内させて勝之介を捜しに行くことにした。


 翌早朝、正装して家を出た。頼朝からもらった手紙と笏を懐に入れたのは、念のための用意だった。途中、サトの実家に立ち寄り、サトと子供を預けた。サトの母親に夫と息子も捜してほしいと頼まれ、引き受けた。

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