第3話 新しい家族

 秋風が吹き始めた10月、静の前に清常が座った。


「静殿。産後の身も健やかと聞きました。それでという訳ではないが、鎌倉殿のお許しが出た。ここを解き放ちになる。……これは北条ほうじょう政子まさこさまからの餞別せんべつだ」


 清常が静の前に宋銭と反物を置いた。旅の無事を祈ると書いた政子直筆の手紙も添えてある。


「京に帰ったところで愛しい方はおりません」


 赤子の墓所の近くにいたいと告げると、清常は意外なことを言った。


「静殿の処遇は公文所の中原殿が決められた。傀儡子の力蔵という者に預けられるらしい。その者が、近く御身を引取りにくる。どこに向かうかはその者次第」


 どういうことだ?……静は困惑した。


「白拍子の私が……、何故なのです?」


「中原殿が決めたことだ。それがしにはわからん」


「母は……。磯禅師はいかがなります?」


「磯禅師殿は、大和やまとの実家に戻るそうだ」


「……そうですか。母は大和に……」


 別れ別れになるのだとわかっても寂しくはなかった。むしろ、心のどこかでホッとしていた。


 安堵したのも束の間、不安が頭をもたげた。傀儡子の力蔵とは、どんな男なのか……。まさか、女を無理やり自分のものにするような男では……、と胸が騒ぐ。


 三日後、力蔵が妻の白女しらめと息子の勝蔵など九名を連れて静のもとを訪れた。


「お初にお目にかかります。静殿には、ご機嫌うるわしゅう。何の因果か……、否。公文所別当、中原殿から、静殿の面倒を見よと仰せつかりました。我が党、40と余名、今日より家族となります。よろしいな」


 両手を床につきながらも、彼は静の顔を凝視ぎょうしした。後ろに並んだ家族の者たちも、好奇に満ちた眼で彼女を観察していた。


 静は、目の前に並んだ者たちの顔かたちを見比べた。兄弟、親子と聞いたが、顔は似ていない。が、どの表情も精悍せいかんで、瞳がギラギラと光を放っている。その眼が、自分のみさおを狙っているように感じた。そして、そうなるように仕向けているのが頼朝に違いない。


 振られた腹いせにこんなことをするとは、なんと陰険な男だろう。……静は鶴岡八幡宮で対面した時の頼朝の能面のような顔を思い出した。


 力蔵が、自分たちの集団は血のつながっている者もいるが、罪を犯して村を追われた者や子供ができなかったために離縁された者、戦いで夫や両親を失った者など、血のつながらない雑多な人間が集まってできていると話した。


「……血が繋がらないのは夫婦と同じ。皆、家族だ。遠慮はいらないし、我々も遠慮はしない。よろしいな」


 彼が念を押す。


「はい。よろしくお願いします」


 素直に応じると、傀儡子たちの緊張が解けるのを感じた。自分が恐れているように、彼らも私を恐れていたのだ、と気づいた。


 清常の屋敷を出る時、門前に悄然しょうぜんとした磯禅師の姿があった。


「見送り、ありがとうございます。お別れでございます」


 静は深く頭を垂れた。


「静には、舞は教えたが人の在り方を教えなかった。それが母の悔いです。……今だから申しましょう。義経さまは武将として優れたお方。ですが、心から女を愛せない未熟な男です。この世には、違った男が星の数ほどいる。それらをじっと見定めてはいかがか……」


 その言葉は静を怒らせた。無礼だとわかっていながら、言葉を遮るように「これを……」と、小さな紙包みを差し出した。直前に髪の一部を切って包んだものだ。

磯禅師がそれに視線を落とす。


「それは?」


「髪でございます。私はもう死んだものと思い、大和に帰られたら墓に納めてください」


「そこまでせずとも……」


 磯野禅師が悲しみと憤りの混じった表情を浮かべた。


「けじめと思います」


 押し切るように言って紙包みを胸元に押し付けると、彼女は渋々受け取った。


「では、お達者で……」


「静もなぁ」


 母娘は小さく頭を下げて別れた。


 静は市女笠いちめがさをかぶり、傀儡子たちに挟まれて通りに歩み出す。しばらく歩いてから振り返った。その時には、母親の姿は見えなくなっていた。1人だ……、という思いが静を襲った。それは自由であり、不安であり、孤独でもある。


 鎌倉に来てからの短い月日が脳裏をよぎった。ここに来てからというもの、自分に代わって母が坂東武者に酒を注ぎ、謡い踊って辱めを一身に受け止めていた。嫌われると知りながら赤ん坊を取り上げたのも、私の命を守るためだった。何と深い親の愛だろう。そして私は、何と親不孝なのだろう。思うと涙がこぼれた。


「静さま、何を泣く?」


 何も知らない梅香うめかが声をかけた。小ぶりの市女笠を手にし、うちぎを頭にすっぽりとかぶる被衣かづきという旅装束たびしょうぞくだ。他の傀儡女も同じ姿をしている。


「いえ、何も……」


 静は顔を伏せ、小指でそっと涙を拭いた。彼女の装束は貴族風の虫垂衣むしたれぎぬ。大きな市女笠の周囲をカラムシという繊維で織った薄い布を垂らし、顔を見せないようにしたものだ。


 静の笠の中を覗く男がいる。力蔵の弟、熊蔵くまぞうだ。彼は陽気で力自慢。獣のように遠慮がなく、他人の心の中にもヅカヅカと踏みこんでいく。


「ならば面白い話を聞かせてやろう。義経という男、どうやら奥州平泉に向かっているらしい」


「えっ、義経さまが!」


 彼の話で母への思いがどこかへ吹き飛んだ。自分でも驚くほど声が踊った。


「おや、泣いたからすが笑ったね」


 桔梗ききょうという女が声をとがらせる。彼女は関東の豪族の娘だが、子供が出来ずに離縁された。子ができないとわかっているから、新たな嫁ぎ先もない。実家にいるのも恥ずかしく、4年前に家を飛び出して傀儡女になった。気が強く、ポンポンとよくしゃべる女だ。


「静さまだけが虫垂衣では目立ちすぎる。それに名も変えないといけないね」


「妬くな、桔梗」


 熊蔵が笑った。


「妬いてるんじゃないよ。私らの中に静御前がいると知られたら、どこで盗賊に襲われるか知れたもんじゃない。盗賊だけじゃないよ。源氏であれ平氏であれ、男ときたら美女に弱い。欲しがる地侍が、あれこれと因縁いんねんをつけて来るに違いないさ」


「なるほど。桔梗の言う通りだ。ここ鎌倉の街でさえ人の目が張り付いてくる。いずれ衣を変えよう。名前は……、変えるまでもあるまい。但し、しずかと呼び捨てにする。よろしいな、静殿。お互いの安全のためだ」


 力蔵が歩きながら話した。


「お好きなように」


 衣装や呼び名が変わったところで、どれだけの意味があるだろう。それよりも、義経さまと逢うことだ。再会できたなら、彼が今の状況から救い出してくれるだろう。傀儡子たちの機嫌を損ねず、奥州平泉へ向かわせる方法はないだろうか?……思案しながら歩いた。


 道が山に入る。足下を落ち葉が薄く隠していた。一行は黙々と坂を上る。後に化粧坂と呼ばれる場所だ。


 静は落ち葉に足を滑らせないよう、一歩一歩、地面を踏みしめて坂を上った。そうして足元ばかりに気を取られると、旅慣れた傀儡子たちに遅れてしまう。追いつくために必死に歩くと汗が噴き、ぞうりの鼻緒で足が痛んだ。それでも静は、待ってくれとか、傷が痛むとかいった弱音は吐かなかった。それが義経の子供を産んだ白拍子の意地だ。


「これから、どこへ向かうのですか?」


 前を歩く桔梗に尋ねた。


「行先は、とりあえず鵠沼くげぬまだよ。そこの神宮さんで仲間が待っているから……。その先は知らないよ。私たちは長者の行くところに付いていくだけさ。でも、冬は南のほうが温かくていいね。静も寒いのは嫌だろう?」


「京の冬は寒いのです。なので、寒いのには慣れております」


 そう告げて、奥州行きがなくなることを防いだ。


「そうなのかい。でも、私はやだね」


「そうですか……」


「でもなんだね。預けられたのがウチの長者の所で、静は運が良かったよ」


「どういうことでしょう?」


「女や子供を売りとばしたり、年寄りを捨ててしまう長者もいるが、力蔵さんは違うからね」


 桔梗の話を、そんなものか、と聞いた。


 結局、傀儡子たちを奥州へ向かわせる妙案が浮かぶことなく、鵠沼の神宮に着いた。一の鳥居をくぐったところで力蔵が足を止め、「小屋に行け」と女たちに命じた。そこで傀儡女たちは歌や踊りで男を誘い、春を売っている。


「静はワシと来い」


 力蔵が命じて歩き出した。


 二の鳥居をくぐった所に人だかりがある。彼らが見ているのは人形芝居だった。傀儡子たちが数体の木偶でく人形を使って芝居を演じている。演目は古事記や日本書紀にある須佐之男命すさのおのみことによる八岐大蛇やまたのおろち退治だ。見物人は固唾かたずをのんで物語の推移を見守っていた。


「長者、お帰りなさい」


 自分の出番を待つ男たちが寄ってきて、挨拶するより早く静に注目した。


「今日からお前たちの家族になる静だ。よく世話をしてやってくれ」


 力蔵が紹介するのに合わせて、静は黙って頭を下げた。


「あの静御前か?」「ほう。都の匂いがするな」「確かに。側にいるだけで若返るわい」


 男たちが遠慮のない声を上げ、匂いを嗅ぐように顔を近づけてくる。屈辱だった。


「抱いても良いのか?」


 爽太そうたという若者が一目惚れして訊く。


「噂に高い静だ。ここにいると知ったら、奪い取ろうとする者もいるだろう。ゆえに、しばらく人前には出さないつもりだ。お前たちもそのつもりでいてくれ。だが、静が良いと言うなら爽太が抱く分にはかまわない。家族だからな」


 静は、力蔵の話に衝撃を受けた。


「私はそのような……」


「つもりはないというのか?」


 力蔵の視線が矢のように飛んで静の抵抗を封じた。


 爽太が困惑してオロオロすると、熊蔵が笑った。


「兄者も爽太も慌てるな。静にも心の準備がいるだろう」


 人だかりがどっと沸く。須佐之男命が八岐大蛇を切り殺したのだ。「最初は俺だぞ」そう言った熊蔵の声は、静の耳にだけ届いた。

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