第8話前金の分


「ま、待って!」


 そのまま二人が天井裏へと戻りかけた時、少女はハッとなって呼び止めた。このままでは結局、屋敷に縛られ続けるか殺される未来しかないのだから当然ではある。

 

 無視される可能性もあったが、意外にもジョイは足を止めて振り返る。しかもその表情がとても優しい微笑みだったため、少女は思わず頬を染めてしまった。


「お嬢さんってばさぁ。オレらのこと怖がってたくせに、ちゃんと啖呵きれるんじゃない。ちょっと見直したよ?」


 その笑顔は、これまで見せてきたどこか胡散臭いものとは少し違った。少女が見惚れてしまうのも無理はない。


「その勇気をさ、生き抜くために使ったら?」


 ジョイは死神で、死んだ直後の人間の魂がないと存在出来ない。死に際の負の感情も、死神として愉悦を感じている。

 だがそれとは別に、生きようとする人間のことも彼は好きであった。だからこそ、人生を楽しみたいなどという死神にしてはおかしな願望を持っているのだろう。


「これはサービス。あとはお嬢さんの好きにして」


 ジョイが軽く指を振ると、部屋と窓の鍵が簡単に外れる。

 つまり、ここから逃げるも戦うも全ては少女次第というわけだ。


「勇気の使い方ってさぁ、一つじゃないんだよ。じゃね! 良い人生をー」


 目を見開く少女を背後に、二人は今度こそ屋根裏へと姿を消した。




 来た時と同じ道を通って屋根の上まで辿りついた二人は、その場所で眼下を見つめながら胡坐をかいていた。


「勿体ないことしたかなー。あのお嬢さん、羽振りが良かったから依頼を引き受けてればもっとお金をもらえたのに」

「いくら金を積まれても望まぬ死は与えられない。それでは殺し屋と変わらない」

「あはっ! わかってる、わかってる。オレだって乗り気にはなれないよ、あれじゃあ」


 ヘラヘラと笑うジョイに対し、リーパーはしかめっ面のままである。

 ただし二人とも視線は屋敷の庭に向けられており、何かをジッと観察しているようだ。


「……ねー、リーパー。でもさ、たくさんの前金を貰った分、働いてもいいかなって思わない?」

「何が言いたい」


 二人が見つめる先では、先ほどの少女が着の身着のままで庭を駆け抜けていた。

 当然、彼女はこの二人のようにはいかないためセキュリティーにあっさり引っ掛かり、今は使用人たちに追われている。


「ひとまず、あのお嬢さんをここから逃がす手伝いくらいはしてもいいんじゃないかなーって」

「……俺は殺ししか出来ないぞ」


 少女は必死で逃げ回っているが、門扉に近付くどころか捕まるのも時間の問題といったところだ。

 それをほんの少し助けるだけのことなのに、リーパーは頑なに自分には人を殺すことしか出来ないと言う。


 いや、そう思い込んでいるのかもしれない。それは幼い頃から刻み込まれた習慣で、呪いだった。


「……出来ないって決め付けているだけだと思うけどー」


 きっと方法を知らないだけなのだ。ジョイはそう考えていた。

 しかし例えここで少女を助けられたからといって、結局リーパーのその認識が覆るのは難しいとも思っている。


「なんか言ったか」

「ううん、何にも! とりあえずさ、オレが言ったとおりにしてみてよ。だーいじょうぶ。君に殺しはさせないから。ちょーっと脅すだ、け!」


 パッと笑顔を向けたジョイだったが、当然リーパーは乗り気にはなれない。だが、今回は前金を多めに貰っている。律儀なところのある彼にとっては無視出来ないことでもあった。


 リーパーは盛大なため息の後、くしゃりと前髪を掻き上げながら渋々答える。


「……好きにしろ」

「よしきたー!」


 了承の返事を聞いたジョイはバッと両手を上げて立ち上がると、嬉しそうに笑った。


「じゃ、手始めにあそこのバルコニーで高みの見物してるおばさんを脅してきて!」

「は?」

「首にナイフを突きつけるだけでいいよ。それを庭にいる使用人たちに見せつけてくれたら、なお良し! お嬢さんを追いかける足が止まるかもしれないしねー」


 ジョイがビシッと指示した場所には、確かに妙齢の女性が立っていた。

 意地悪そうに目を細め、少女の逃走劇を眺めている。


「そんなことでいいのか」

「いーよ! あとはオレがなんとかするからー。あ、くれぐれも殺さないようにね?」

「殺さねぇ」


 二人はそれだけのやり取りを終えると、それぞれが屋根の上から躊躇なく飛び降りた。


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