第27話

 波瑠さんは、ただ無機質に喉を震わせていた。そこに感情が無いわけではない。彼にも思う所があるのだろうということは、察するに余りあった。


「榊守道人に依頼を出したのは、織幡美登里。織幡紫央里の妹で、詩織さんの母親だ。何故依頼を出したのか、詳細は分かりかねる。だが、そこに嫉妬心があったのは事実だろう」


 嫉妬という言葉を食んで、叔母の顔を思い出す。父が死んだ日、真っ先に駆け付けた叔母の、その強引さは、嫉妬と言うには少し違和感があった。より密度の濃い、もっと、肉欲に近い何かがあったような、そんな直感があった。


「ともかく、織幡紫央里と榊守道人はそこで出会った。道人先生が祓い屋としての作家の活動をそこで終えたのは、この神社の秘密を守るためだったのかもしれない。かの神の力について知る人が増えれば、それこそ失われた子供を取り戻したいと思う親が殺到しかねないしね」


 失われた子供。その一言で、識さんと七竈さんの目線が揃った。彼等は僕を見ると、再び波瑠さんの声に耳を傾けた。


「やがて二人には子供が生まれた。長女の紫織を産んだ時、織幡紫央里は綾女と名を変え、指織姫ではなくなった。その時点で織幡美登里は指織姫のスペアとしての地位を完全に失い、厄介払いの形で他家へ嫁ぐことになった。そして数年が経ち、織幡紫織が指織姫として神事を執り行うようになった頃、織幡美登里は実家であるこの神社に何度も顔を出した。自分も娘を産んだ、自分の娘も指織姫の候補として名を連ねろと」


 長い過去を語る口、敢えて詩織ちゃんの名前をそのまま語らなかったのは、波瑠さんの優しさだったかもしれない。当の彼女は体中の筋肉を止めて、ジッと波瑠さんの口を見ていた。


「そうやっているうち、織幡美登里は凶行に走った。織幡母子がいる本殿に放火。具体的な方法はわからない。物的証拠が揃うよりも前に警察は結論を急いたからね。実際のところは本人に聞くしか無いだろう。だが、今までの話は前提条件に過ぎない」


 ふと、波瑠さんは短くも深く溜息を吐いた。彼の周囲を舞っていた蝶は、彼の顔をより隠していった。その行為は既に見慣れたもので、恐らくはそれ程までに感情が揺さぶられているということなのだろう。


「放火によって、指織姫は一時的に失われ、子戻りの儀式は行うことが出来なくなった。それは今も続いている。織幡詩織が指織姫となった今も、儀式は出来ていない」

「何故?」


 誰よりも先に問いを高らかにしたのは、七竈さんだった。彼女は波瑠さんではなく、詩織ちゃんを見ていた。睨んでいるというよりも、ただ純粋に、興味の目を向けていた。その黒い真珠のような瞳に映されて、詩織ちゃんの表情が僅かに不安を見せた。


「何故お前は儀式をしない。儀式が出来ないのなら、何故、榊守綾人は戻って来た」

「それは僕が説明します」

「お前には聞いてない。お前は織幡家の人間ではない。どうせ今から語ることも、殆ど推察混じりだろ? それよりも前に、僕は事実が聞きたい。指織姫の言葉も、その手が語る神の言葉も、前提条件になり得る」


 波瑠さんの歯が軋む音がした。七竈さんの顔は少しも動かず、詩織ちゃんだけを見ていた。


「発端にお前が関係していない事は認めよう。放火は母親が起こしたことだ。だがここから先はお前が関わっていないわけがない。何故ならお前が指織姫で、本来なら子戻りの中核にいる筈だからだ」


「……私は」


 数秒を置いて、詩織ちゃんは口を開いた。彼女の声は震えていた。年相応の幼さが、唇に溢れていた。


「私は、指織姫なんて名ばかりで、神様なんて降ろせないから。だから、儀式は出来ない。そもそも、私は、あんな儀式したくなかった」


 ずっと人形のように座っていた彼女の精神は、その手指に現れていた。膝に食い込ませる爪は、今にも自身の肉を抉り取らんとしていた。


「指織姫としてどんな振る舞いをすれば良いのか、知識だけはあった。母さんに連れて来られる度、綾女さんと紫織姉さんの傍に張り付いていたから。その時に見ていた紫織姉さんの手には、何度も神様が降りて来た。子戻りが起こるその瞬間だって、見て来た」


 だから。そう置いて、彼女は歯を鳴らした。ガチンと、鉄とも違う硬いもの同士がぶつかる音。それを耳が拾った次の瞬間、詩織ちゃんは僕を指差していた。


「それが綾人じゃないことも、全部、知ってる。儀式で子供が戻って来るなんて、全部嘘。それは、化け物の子供。自分を人間だと思い込んでいるだけの、怪異」


 床に落ちていく詩織ちゃんの言葉を、波瑠さんは拾い上げようとしていた。僕の耳を塞ごうとさえしていた。その手を押し退けようとして、僕は前傾姿勢を崩した。下半身の動きが鈍かった。感覚はすり減っていた。


「榊守綾人のコトリバコは、指織姫が用意したものじゃない。榊守道人が独自に作ったもの。名前だってここには奉納されていない。模倣の模倣。織布留美紀代姫からを利用した紛い物」


 体が重たかった。痛みは無い。けれど、詩織ちゃんの言葉が脳に触れる度、細胞の隙間に砂を噛んだような不快感が、全身を支配した。前のめりに倒れた僕の身体を、波瑠さんが起こす。そんな彼に向けて、詩織ちゃんが唇を震わせた。


「これ以上先は、私も知らない。私が知っているのは、それが生まれてから何年も後のこと。道人さんが自分の行いを自ら謝罪に来たこと。何を謝りたかったのかは知らない。でも、私に取り次いで欲しいって、織布留美紀代姫を降ろして欲しいって言って来た、ほんの一年くらい前のこと。それまでに何があったのかは、多分、そこの蝶々だらけのお兄さんが知っているんでしょう。だって、そう、そのコトリバコ、ずっと、お兄さんの周りと似たような――――蝶の羽ばたく音がするから」


 溢れた言葉を口元に、詩織ちゃんは波瑠さんを睨んだ。僕の身体を起こした彼は、動かせずにいた口をただパクパクと開閉するばかりだった。言葉を選んでいるのだとは、わかった。けれど、ゴールを見つけられないまま、彼は最善のそれだけを垂れ流し始めた。


「…………儀式で戻る子供の正体は、怪異で間違いない。その人そのものが戻って来るわけではない。それは最初から道人先生も理解していた。その子供の死ぬまでの情報全てを完璧に模倣した、織布留美紀代姫が産んだ彼女のオトシゴ。それが正体。コトリバコは情報源を担保する一種の装置のようなもの。作家達が図書館に預ける物語と同じ、ルールの一端」


 淡々と零す言葉。波瑠さんは僕の腕を握っていた。その力は強くこそなかったが、まるで僕が消えていないか確かめるように、離そうとはしなかった。


「先生はルールを利用した。物語とコトリバコのルールを。コトリバコさえあれば子戻りが出来ると、織布留美紀代姫のルールを改変した。だがそれでは足りなかった。指織姫がいない状態では、織布留美紀代姫に蘇らせたい者の情報を、取り次ぐことが出来なかったからだ」


 だから。波瑠さんの置いた接続は、妙に弱々しいものだった。まるで自分に言い聞かせるように、彼は強く舌を回した。


「だから先生は、僕を利用した。僕を研究して、応用したんだ。僕の蝶――この怪異の名を『常世の神』という。常世、死者の世界と現世を繋ぐ蟲だ。それと兼ねて、蝶は人の魂を象徴する。先生は僕が常世から魂を呼べると考えた。だから僕に知識を与えた。弟子として、怪異の世界を教えた。怪異であれば、魂というものに形を与えられると、。そうして僕は、常世から魂を呼ぶ方法を得たんだ」


 波瑠さんがそう言うと、青い蝶が羽ばたいて、僕の周りを覆った。鱗粉は煙となって霞に消えた。「それで」と続きを待つ声が聞こえた。そう言って波瑠さんを急かしていたのは、僕のコトリバコを握る識さんだった。

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