第2話   正論

                  ※

「先生くらいの年齢になると、もうろくな男は残っていないでしょう。」

 前任校を離任する際、初任のペーペーに言われた言葉である。私より、十八歳ほど若い男子の言う言葉はあまりにも大正解であり、ぐうの音も出ず、笑うしかなかったことを鮮明に記憶している。

 おっしゃる通り、ろくな人はいない。ただ注釈をつけるなら、私より年上で一度も結婚したことがない男ということだろうか。

 職場は女性社会なので、それこそ私が初任の頃は、男性側が女性を選び放題だった。だが昨今は、昔よりも男性が絶滅危惧種化していても、孤独死へつながる道の上をとぼとぼと歩いている男も、ちらほら目につくようになってきた。

職員室で大してうまくもないコーヒーをすすりながら、そんな萎れた男性教諭を眺めていると、適齢期に、適切なタイミングで、適当な物体にまたがり、適度に腰振りの練習をしておくことの重要性を痛感してしまう。この商売についている独身の雄は、お馬さん遊びに興じている率が異常に高い。教職に限ったことではないが、就職したものの結婚もせず、大した趣味もない人は、金の使い道もないのだろう。児童が下校した放課後、特別教室の準備室などに篭り、授業準備をしているふりをしながら、馬にまたがり腰を振っている姿を幾度となく、目撃してきた。

 同僚の孤独な雄をプラスティックの物体ように捉えている自分も、この年になるまで恋らしきことをしたことがないわけでもなかった。だが御縁が続かず、気づけば親と同居している、気楽な子供部屋おばさんになってしまっていた。それを周囲が嘆いて、何度かお見合いを決行してみたものの、確かにろくな人とは巡り合えなかった。無論、私も先方から見たらろくな女ではない、とジャッジされているだろう、くらいの自覚症状は持ち合わせている。

 有名大学を出て一流企業に勤め、十分すぎるくらい収入があった人は、お風呂に入ることが嫌いな、刺激臭のする男性だった。

国家公務員で硬い仕事の人なら安心できるか、とお見合いしてみたら、ゲームの課金をしすぎて借金まみれになっており、自己破産を先日したばかりの男性だったこともあった。

紹介所を通じて出会った証券マンは、出会って二回目で結婚式場の希望や指輪のサイズを聞いてくる、それくらい結婚と言う「形」を欲しがっていた男だった。

 極めつけは、歯科医師とのお見合いだった。初デートで回転すしに連れて行かれ、

「どうぞ好きなものを食べて下さい。」

と促され、

「ありがとうございます・・・。」

ど営業スマイルを浮かべながらタッチパネルを取ろうとしたとき、目の前の医師がお湯の出る黒いボタンを押して、手を洗い始めたのだ。

「あぢ!」

と店内に響き渡るくらいの雄たけびを上げ、赤く晴れ上がった手をハンカチで拭きながら、

「あかりさん、ここの店は熱いです。手を洗う際は、注意してください。」

と真剣な眼差しで言ってくると言う、コントのようなことを経験した。きっとこの藪医者は、回転すしなんて安い店に来たことがなかったのであろう。

この体験がとどめとなり、私はそれ以降、どれだけお見合いを勧められても頑なに拒否するようになった。私より年上で、そして収入などもしっかりあって、それでも一度も結婚に縁がなかった人は、曰く付き物件なのだ、ということが理解でき、もう、お腹がいっぱいになった。


お見合いに応じなくなった娘を見て、親は落胆するそぶりを一時は見せたものの、すぐに復活し、婚姻に対する適齢期も末期に差し掛かった娘に、暴力的な持論を浴びせてきた。

「妹と差が付かんといて欲しいんや。あかりが一番辛くなるんだよ。結婚相手のレベルや学歴に差が付いたら、正月などに顔合わせたときに気まずいやろいね。兄弟はやっぱり似たようなレベルの人と結婚した方がいい。」

 『誰でもいいから、結婚してくれや』ではなく、娘の年齢が上がるにつれて婚姻条件のハードルを上げてくる親に対し、正直、恐怖さえ覚えるようになった六年前の秋、そんな家を出た方が精神衛生上良いのではないかと、同期の楓より再度助言を頂き、最後と決意し、もう一人だけお見合いをすることにした。

「あなたの親も、病的よね。娘がまだ人を選べると思っているところ。娘の年齢を忘れたのかもしれないわよね。気まずい、嫌だ、と思っているのは娘たちではなく、世間体を病的に気にしている、あんたの親自身でしょ。」

と口に蝮の毒を持っている楓が紹介してくれたのが山崎隆だった。

 もはや同僚で、呆れながらも私の老後を心配してくれるのは、楓しかいなかった。

親戚連中が集まる時期に実家にいたら、公開処刑が繰り広げられるからと、夏休み、冬休みと迎えるたびに、海外へプチ家出を繰り返す私を見て、

「早う家出て、一人暮らししたらいいのに。」

と数年前までは、正論と言う鋭い槍で、多くの同僚が私の脾腹を貫いてきた。だが最近は、楓しか槍を振りかざしてこなくなった。

この人は、親からの理不尽なストレスにさらされながらも、自立する気もさらさらない、どうしようもない愚かさを持ち合わせている人だ、ということを、とうに見抜かれてしまっていた。仕事においても、そのような愚鈍さが垣間見えていたのかもしれない。

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