三 北の王

 過去。

 奥州。

 平泉。

 その者は、藤原秀衡ふじわらのひでひらの前に鎮座していた。

 秀衡は、いっそ傲然ともいえるその者の態度を意に介す風もなく、「ぬえが死んだ」と告げた。

 その者はやおら立ち上がって、秀衡に掴みかかろうとする。

「落ち着け」

 と口では言わず、目で制した。

「…………」

 その者は苦み走った顔をしたが、それでも腰を下ろした。

「源頼政相手では、仕方あるまい。あれは源頼光の末裔。さもありなん」

「みなもと」

 その者はまるで異国の言葉のように、それを語った。

 秀衡はその者の前に座る。

「で、だ」

「…………」

「次のぬえは、おぬしか?」

 その者は首肯するように頷いた。

 秀衡は、うむと呟くと、取り出した紙にさらさらと字を書いた。

 その者は興味なさげに見ていたが、やがてそれが己の名乗りだと知ると、虚心ではいられなくなり、書き終わったそれを奪い取るように掴んだ。

「約定により、そなたらぬえは、この平泉に来た以上、儂の指図に従ってもらう……でなければ、そなたらのぬえの氏族の望み、奥州藤原は加担せぬ」

「……分かった」

 次のぬえと呼ばれた男は、観念したかのように、倭の言葉を話した。

 そして秀衡の書いた、今後の己の名乗りを見た。

金売吉次かねうりきちじ……」

 金という字には喜色を浮かべたが、次の売という字には難色を示した。

「奥州に産する金を売る、金売。これに扮するのだ。これしかない。奥州藤原に従う時、金という字を入れて欲しいという、おぬしらぬえの氏族の望みはかなえた。後は知らん」

 にべもない言い様であるが、ぬえにとって、金売吉次にとって、奥州藤原家は宿願をかなえるためには、どうしても必要な存在である。

 吉次は額づいた。

「承知つかまつった……で、やるべきことは?」

「その、源の家の御曹司、ひとり捕まえてこい」

「…………」

「分からぬか。手駒とするのよ。いずれ、平家の支配に綻びが出た時に、旗頭とするために……その方が、都合がいいではないか」

「……分かった」

 吉次は立ち上がって、秀衡の前から去って行った。


 ……暫くして、秀衡は懐中からひとつの書状を取り出す。

 書状の内容は知っている。すでに読んでいる。

 だが秀衡はそれをまた読むことにより、ほくそ笑んだ。

「ぬえなる謀克モウムケ燕京えんけいに帰るあたわず……くくく、吉次め、母国でかように扱われていると知ったら、どう思うか」

 それにしても、女直じょちょくの言葉はよう分からんわいと愚痴を言って、秀衡は書状を懐中に仕舞った。



 金売吉次と名乗る者は、かつて大陸の金からこの奥州に向かわされた謀克に属する。

 何でも、時の皇帝が、南宋との対決に備え、吉次の謀克モウムケ、ヌエというじょちょく名の一族を倭へと派したらしい。

 らしいというのは、その皇帝が南宋へ攻め入って以降、情報が途絶えているからだ。最初は奥州藤原氏の妨害を考えたが、どうも皇位の簒奪やら南宋の反攻やらがあったらしく、ヌエの謀克モウムケから何人か使いを出したが、いずれも帰って来ない。

「つまりは、まだ戦っている最中」

 であれば、使命を果たすまで。

 そう考えた先代のヌエの当主は、息子である吉次を残して、秀衡の指示の下、どうやら南宋と密な関係にあるらしい平家の動向を探るため、京へと向かった。

 そして源頼政に討たれてしまう。

「仇を討とうと考えるな」

 そう秀衡に言われたが、言われるまでもない。

「父の望みは、南宋の打倒」

 それをかなえることこそが、最もの手向け。

 吉次はその想いを胸に、南へ、京へ。

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