法の猟犬

八十科ホズミ

第1話:連邦ライセンス捜査官

 そこは無明の暗闇だった。

 一筋の光も差さない、音もない、ただ、男の茫洋とした意識だけが存在している。

 痛みは、ない。苦しくもない。だけど男は、自分がこのまま死んでいくのだ、と何故か理解していた。

 

 ——俺は、どうなったんだっけ……


 男は記憶の糸を必死にたどり寄せる。思い出されたのは、眩しいライトの光。

 そうだ、俺はあの雨の日、バイクで峠を走っていた。時速200㎞。法定速度を無視して走り続けていた。


 ——何故?


 ああ、そうだ、俺は振られたんだ。いや、捨てられたというべきか。5年も付き合っていた女に。

 他にいい人が出来たから別れましょ、て。まるでテレビゲームに飽きたからやめましょうくらいの軽さで、俺は女に捨てられた。


 ——それで?


 それからビール1ダースに赤ワイン3本に白ワイン2本飲みまくったんだ。胸の痛みを忘れるために。そのうち酔い覚ましのつもりでバイクに乗って……

 

 ——それでトラックに跳ねられた?


 そうだ、それ、思い出した。雨に濡れた道路にタイヤをとられちまって、急カーブで姿勢を崩したところを、トラックがつっこんできて……


 ——飲酒運転、スピード違反、完全に落ち度はあんたにあるわね。ま、ヘルメットしていたのが不幸中の幸いだったみたいだけど。


 ヘルメット? していたっけ? ダメだ覚えてない。


 ——していたわよ。そのおかげで即死は免れたけど。でもその他の部分は駄目ね。手足はぐちゃぐちゃだし、肋骨もばきばき。その中の一つが肺に刺さってる。他の内臓が破裂しなくておめでとうってところね。


 おい、じゃあ俺は今どうなっている!?


 ——一応生きてはいるわ。でもこのまま放っておけば天からお迎えが来そうだけど。貴方、天国と地獄どちらに行くかしら?


 どっちもごめんだ! 死にたくねえよ!


 ——だったらあんな危険な運転しなければ良かったのに。


 それは反省している! すげーしている! 


 ——本当かしら。


 おい、さっきからお前は誰なんだ!? 俺の意識に呼び掛けてくるお前は!?

 

 ——私? 私は——


 ——これから貴方の相棒になるかもしれない者


 ※

 ※

 ※                    


 男は走る。暗い道路を、バイクにまたがり、アクセルを踏み、時速150キロをゆうにこえ、ただひたすら走っている。

 目指すのは、黒いスモーク張りされたベンツ。それが男が追いかけている対象。今回の「事件」の容疑者である。

 車の窓が少しだけ開かれ、そこからぬっと黒光りするものが出てきた。それは拳銃である。M60リボルバー。暗い銃口が男をとらえ、銃声と共に弾が飛び出す。

 男の眉間に直撃するかに思われた弾は、しかしどこにも当たらず道路の後方へと飛んでいく。男は僅かに首を傾けただけだった。まるで銃弾の軌跡を“予知”していたように。

 耳の通信機に通信が入る。男性の通信士が次の“予測”を告げる。


 『目標はあと300メートルで右折。捜査員はルート25を通り、目標を無力化せよ』


 男のヘルメットのディスプレイに指定ルートの地図が表示される。ルート25は公道を外れた荒地を指している。ここを通って目標より先回りしろというのが、“眠り姫”からの指示、いや「命令」だった。


 「無茶言いやがる!」


 男はバイクを急速ターンし、指定された道へ向かう。そこは藪道だった。ぬかるんだ道がタイヤの動きを鈍くさせ、太い木々の枝が男の身体を容赦なく打ち付けたが、男はバイクを転倒させることなく、無事に藪を抜けた。


 男の体にケガはない。ほんの少しライダースーツが木々によって切れただけだが、体にはなんの異常もなかった。

 藪を抜け、道路に再び降り立つ。降りたのはスモーク張りのベンツの進行上。運転席から見えた運転手は、突然現れた男を見て動揺したようだが、すぐに顔を引き締めスピードを落とすことなく車を走らせる。このまま男を轢き殺すように。

 男は車を避けるような挙動は全く見せず、代わりに腰の銃帯に手を入れデザートイーグルを取り出した。そしてバイクに跨ったまま片手でバランスを崩すことなく、大口径弾をタイヤのプロペラシャフトの部分に向かって撃った。


 通常その部分は車体に隠れており、そこを見出すのは常人には不可能なのだが、アリの巣を見つけるように、簡単に、男にはそれが出来た。

 車はこの部分を損傷すると、タイヤにエンジンの駆動を伝える事が出来なくなり、走行が必然的に不可能になる。タイヤを撃ってバーストさせてもいいが、走行中にバーストすると車体は大きくバランスを崩し転倒、もしくは何かに激突して乗車人は最悪死に至る可能性が非常に高い。それはちと具合が悪い。こちらに下された命は「可能な限り無傷での捕獲」なのだから。


 予想通り、シャフト部分を破壊された車は急激に失速し、慣性で100メートル程走ると運転が停止された。横転することも何かに激突することもなく、中の人物を死なせることなく、無力化に成功した。

 ふう、と男は息を吐きヘルメットを脱いだ。僅かに白いものが混じる黒い短髪に、左こめかみにそれとわからないほど小さな機械端末の差込口のようなものがある。がっしりとした40代くらいの中年男だ。

 走行を強制停止させられた車から容疑者たちが慌てて降りてくるのを見計らって、男はけん制の銃弾を容疑者たちの足元に何発か打ち込んだ。


 「動くな。そのまま両手を頭の後ろに組み、地面にうつ伏せになれ」


 無論、容疑者たちは聞かなかった。銃を向けられる前に彼らの手を男は撃ち抜く。その手には大きな穴が空いていた。撃たれたものは絶叫し悶絶する。しかし男は無表情でそれらを見つめ、そして抑揚のない声で言った。


 「もう一度言うぞ。両手を頭の後ろに組み、地面にうつ伏せになれ。俺はだ。ここでは俺が唯一の法であり、ほぼ全ての連邦法も行使することができる。お前たちに選択の権利はない」


 ※

 ※

 ※                 


  無事容疑者達を拘束した男は、後始末を他の捜査官に任せ、「報告書」を「提出」するため、施設のある一室を目指す。


 男にとっては事件捜査より、この報告書提出の「作業」が一番嫌なのである。

 男の向かう先は、一般刑事達の立ち入りが禁止されている特別病棟。

 幾つものセキュリティチェックを潜り抜け、たどり着いた重厚な扉の奥に「彼女」はいる。男が事件報告書を提出し、「アフターケア」を受ける相手。

 男は嘆息を吐きながら、網膜スキャンと指紋、静脈照合を受ける。すると扉は開く。途端消毒薬の匂いが鼻につく。


 そこは白い部屋であった。中央にセミダブル程の大きさのベットが置かれ、そこを中心に心拍・脳波測定器や用途不明の機械が放射線状に配置されている。


 ベットには少女が眠っていた。


 投薬のせいで生じた艶のない白髪交じりの黒髪。青白い肌の細面の、見た目はまだ十代の少女が目をつむり微動だにせず横になっている。その少女の右のこめかみにも男と同じ端末の差込口があった。

 医務官がストレッチャーを運んでくる。男はそれに乗り横になる。ストレッチャーは少女のベットに横づけされる。

 そして医務官が男と少女のこめかみの差込口の蓋を開けて、専用コードで二人を“繋げる”。医務官が男に薬剤を注射すると、男はあっという間に変性意識状態に陥る。


 脳を直結されながら、心地よくまどろんでいると、急に「この鈍間のろま」と意識に罵声が飛び込んでくる。男はうっとおしく思いながら、事件の記憶をあますところなく読んでいた少女の姿を見た。正確には“感じた”のだが。

 色彩が朧気な場所で、男は少女と向き合っていた。最初に出会った時のように。


 「私の予測より容疑者拘束が0.5秒遅れているじゃない。しかも銃弾も2発余計に消費している!」

 「知るかそんなこと。結果として拘束できたんだからいいじゃないか」

 「私は気になるの! きちんと私の予測どおり1分1秒と違わず動いてよ!」

 「俺は機械じゃねえんだ。そんなこと不可能だよ」


 まだぎゃあぎゃあ喚いている少女の相手を適当に済ませながら、改めて目の前で仁王立ちしている“相棒”の姿を見る。


 腰まで届く豊かな黒髪は年相応に艶めいており、バラ色の頬を膨らませながらこちらを睨んでいる大きな目は深い海のような青。ぱっと見美少女の部類に入るであろうその姿は、今現実世界でベットに横たわっている少女の姿とはかけ離れている。それが少女の本来の姿だったのか、それとも願望の姿なのかは男には分からなかった。

 ただ確かな事は、この少女はライセンス捜査官としての自分の“パートナー”であり、彼女がいなければ自分は捜査も日常生活も出来ない、自分の生に必要不可欠な“片割れ”であり“相棒”だということだ。


 一通り怒鳴り散らして気が済んだのか、少女は男の海馬と大脳皮質から今回の事件の記憶をコピーして、報告書の形式にしたかと思うとそれを提出していった。恐らくは自分たちの上司のパソコンにPDFファイルの形で送信したのだろう。

 それが済むと今度は男の身体の「アフターケア」が始まる。あの日から身体を“強化”されている男にとって、それはまた必要不可欠な処置であり、怠ると過負荷に耐え切れない肉体は崩壊し人事不承状態になる。隣の少女のように。


 全身から超過負荷の緊張や筋肉疲労がとれていく。それを行っているのはやはり相棒の少女だった。彼女もまた第13特殊捜査法により、“強化”された人間だ。だが彼女の場合、強化されたのは肉体ではない。視覚、聴覚、触覚、などの五感と、常時変性意識状態でいることによって生じる第六感。予知能力とでもいうオカルトめいたその能力は、肉体が植物状態でいることにより偶発的に発症し、さらに医師たちにより強化され、捜査の予測を行っている。

 彼女の研ぎ澄まされた五感を男とリンクさせることにより、男は強化された肉体に超人的な感覚が備わり、どんな過酷な捜査も行えることができる。直接の捜査は男が、男が知りえない情報提供は少女が予測し、通信士がその予測を男に伝えることより、A級事件以上を解決していく。歪なバディシステム。

 

 これが一度は死に瀕していた男が選んだ道、第13特殊捜査法が適用された連邦ライセンス捜査官である。

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