第5話 はじめましての日⑤
音楽が元の調子に戻ると、最初の位置に戻り、楽曲は終了した。
「ウェルスレー様、ありがとうございます。」
淑女の礼から立ち上がろうとした瞬間、ヒュンベルト様に勢いよく引っ張られる。
周りを次の曲に向け、令嬢たちが取り囲む中を、何も言わず腕を掴まれたまま切り抜け、貴賓室へと急がされた。
「マリウス。ソフィアを連れて来い!」
「ヒュー!」
追い越し様に、マリウス様に声を掛けると、殿下の咎めるような声に振り向くこともなく、整列用のロープ伝いに舞台袖に戻り、ノックもなく貴賓室に入った。
放り投げるように、先程化粧を直すために腰掛けた一人がけソファへと座らされる。ヒュンベルト様は、見下ろすように正面に立っている。
直ぐにソフィアメーラ殿下とマリウス様が入って来る。クッションのついた重い扉が、音もなく閉じられた。
「何があった。」
低い声で、ヒュンベルト様が尋ねる。
ヒュンベルト様の背後から、王女殿下が近寄られ、私に寄せてソファに座られた。
「怖い声を出さないで。ソフェーリア、何を見たの。」
殿下が覗き込む瞳は、私を心配されていた。
「最初は、ロジュール家の令息が、髪色を替え給仕の身形で会場を歩いているのを見ました。昨年卒業された上、古くからのご家門、相応しくないと。」
促され、緊張しながら話し始める。
「違和感があったのね。」
手を取らんばかりに、殿下が躙り寄ってくる。ドレスがシワになってエミリア様に叱られそうだ。
私はコクリと頷く。
「もう一人、この場に違和感のある方が。ペアーズ子爵のご嫡男と踊られていた。」
「君が見ていた薄紫色のドレスの女性ならば、プリシラ嬢だ。リード家の次女。私と同じ年齢だ。」
リード家といえば東部の侯爵家で広い領地を持つ。他の州と比べ災害の少ない東部で、大規模な小麦畑を作り、富裕な農地も多い。
「ヒュー、本当なの。」
殿下の顔がこわばる。想像以上に高貴な方に思えた。
「プリシラさんは。マインツお兄様の婚約者候補だった方よ。」
尚さら、何故。ヒュンベルト様と学院の同級生であるなら、私たちの三歳上で現在二十一歳だ。
北部の候補者だった令嬢は、隣国の公爵家へ嫁いだと言われている。侯爵令嬢が見合いに迷った末、子爵まで広げる歳ではまだないだろう。
ヒュンベルト様の金色がかった眉毛が曇る。
「あのオレンジ色のヒヨコみたいな妃に決まる直前、辞退された。不穏な噂を流されて。」
「は。」
今、本気の悪口言いましたよね。急過ぎますが。
「大丈夫です。この部屋一帯に、防御魔法に遮音魔法も付けています。その辺の影には潜ませませんよ。」
今喋ったのはマリウス様だろうか。何だか声が薄ら寒い。
「元の噂はマインツだった。婚約者候補として郊外で会っていた時に、嵐に遭い、王家の別荘の一つでお手付きになったと。」
高位貴族の女性の貞操は、その一族を巻き込んだ騒動に発展することもある。
とんでもないことを聞かされた。ヒュンベルト様も敬称をお忘れです。
「その噂を消すように、違う噂が流されました。嵐に遭って、侯爵令嬢と一緒に行方不明になったのは、従者だと。
どちらも噂だったにも関わらず、どちらにしても傷物令嬢と東部のオベリクス公爵家から、辞退するように横槍が入ったのです。」
もちろんどちらの噂も直ぐにリード侯爵が消されましたが――。エミリア様のお話方には、殺意すら含んでいる。
「そもそも、あの品のないヒヨコさんは、オベリクス公爵子息の愛妾だったようですから。御子様は望めない身体だと密かな噂がありました。
それだけではなく魔法を教えてと近づいて、白い肌をさらけ出し、魔術講師から身体を張って問題を聞き出し点数を取っていました。これは学院内で講師を探しに行った友人が見ていたので間違いないのです。」
それはもしかして、先程も女子学生と踊っていたジェレミー先生のことだろうか。リリアーネ様の完璧な角度のアイラインが、侮蔑の眼差しをはらむ。
皆様にヒヨコさんと言われ、フィオナ様というお名前を忘れそうだ。
「王子妃になられてからも、王国軍の新人戦を観に行き、勝利したものの中から好みの者を選ばれたという噂を聞きました。治らなければ国の損失なので、直々に回復魔法をかけるから、付いてきなさいと。」
本当に本当のことなのだろうか。暫く第一王子宮には近づきたくない。王宮ですれ違うことがないように祈るしかない。
「第一王子殿下はご存知なのでしょうか。」
「むしろ、妃のご機嫌を取るため、オベリクス令息を話し相手に王子宮に向かわせている。マインツの側近で出仕しているからな。」
さらに近づきたくない要素が増えた。
「お義姉様には、ときに贈り物があるようで、気がつくとマインツお兄様が棄てさせているの。」
「子飼侍女に、王女宮に運ばせています。」
「最初は王妃陛下に、第一王子宮の浪費に充ててと渡そうとしたのだけれど、すぐに増えてしまって。一部は王子宮が経営放棄をしている施設や財団に、バザーに出すよう渡しているけれど、宝石は目立つものもあるかしら。」
「このオレンジサファイアなど、市場で売れませんものね。きっと公爵家のものですよ。」
小さな星のある飴玉に似せたカットの、日の出の太陽のようなサファイアを、エミリア様が光らせる。
「あら持っているの。」
「いつでも何か有ったときのため、石だけにしてます。」
「物騒ね。」
エミリア様が裁縫道具から針山に似た袋をだしてくる。ゴツゴツしているが、何がいくつ入ってるんだろう。
「それは、東の――、そうね筆頭執事にお知らせすれば、買い取っていただけるかしらね。まあ、お返しするだけでも良いのだけれど、支払われたいでしょうし。」
で、と王女殿下が私に向き直る。
「これは、私が、あなたが王女宮に嫁いで来るまでに話しておきたかったことの一つよ。そのうち王宮内で勝手に耳に入るから。」
唇に人差し指をあてて、王女殿下は言葉を選ぶ。
正面に立つヒュンベルト様が、鈍い金色の眉毛を寄せる。撫で付けられた髪が、額に一筋落ちた。
「で、君は何を見た。」
「だから、怖い声を出さないで。」
いつでも帯剣を許されている護衛騎士は、きっと本人が思っている以上に威圧がある。
領地の城にいる騎士たちは、私には優しく、丁寧に扱われていた。それは私が最も庇護する対象の一人だったからで。
王宮に行けば、私は一人の侍女に過ぎず、自分自身を護るだけでなく、王族を庇うためなら身を投げ出すことにもなるだろう。
もう、十日後の私は、王女殿下の友人ではない。
「ヒュンベルト様にお答えいたします。」
「許す。」
緊張でク、と喉が鳴る。
「プリシラ様は、この場に馴染めていないように見受けられました。不安そうな。肩に力の入ったような。卒業を祝うご家族の雰囲気ではありません。
ドレスの色は御自身の瞳の灰紫色。慎ましやかなプリシラ様にとてもお似合いですが、もしお見合いなどの招待で、ペアーズ子爵嫡男に合わせられ、お見合いを受けられるなら、彼の瞳に似た水色か青緑のドレスを選ばれたでしょう。」
膝の上に置いた手は、握り過ぎで白くなっているだろう。憶測に過ぎない自分の言葉で、他人に何かを振りかけるのが怖い。
「よくは見えなかったので、少し目で追いかけたのですが、宝石も青緑の石ではなく、ダイヤモンド。シャンデリアの光が反射するカットのものです。
もし、誰かに命じられ見合いにたち、子爵嫡男を拒絶するだけなら、目立つダイヤモンドは必要ありません。誰かにホールの中で、見守るようにプリシラ様がお願いされたのではと思いました。」
もう一度コクリと喉が鳴る。
「一方子爵嫡男からは、初めての令嬢と踊るといった緊張感は感じられませんでした。むしろ自分は上手くやっているといった達成感といいますか。」
「子爵家からなら本来は、手が届かないはずだ。」
ヒュンベルト様の言葉に頷く。
「それでいて子爵令息は、特にプリシラ様の近くに居たわけではなく、会場でペアーズ令息をみたのはその一度です。」
「今日のゲストは五百人以上いるでしょう。」
「ええ、子爵令息は今日の卒業生でもあります。見合い相手だけではなく、話しておきたい方もいるでしょう。」
ソフィアメーラ殿下は、ホストとしてできるだけそのゲストたちに会わなければならない、予定された休憩時間は過ぎているはずだ。そろそろ時間がない。
「ではどこに居るのかと考えました。ペアーズ子爵家は、南部にありながら、山を越えると東部の街道も近く、交易港も二つ使える交通の要所が領地です。その利点を活かし、主要港に特産品でもある果物を出荷しています。
プリシラ様がリード侯爵令嬢とお聞きして、物流が得意なペアーズ家が、小麦などの移送も手掛けられることへの達成感かと一時考えました。しかし、プリシラ様は拒絶しているように見えます。ならば、小麦の交易で利益が得られるわけではない―。」
喉が張り付いてきた。推測で話すのは、何故こんなにも苦しいのだろう。私は一つの、あくまでも可能性でしかないことを告げた。
「なるほど、それが木箱と紙袋か。」
「あくまでも仮定に過ぎません。」
ヒュンベルト様は、私が呟いた一言を覚えていた。
エミリア様が王女殿下の前に続き、私に紅茶をそっとサーブしてくれる。殿下に促され、カップを手に取ると、温められたソーサーから白い指先に熱が伝わった。
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