第3話 燃えないタバコと対岸の火事

「そんできみの目的は、幽霊屋敷の探索。あたり?」

「……」


 お姉さんはギリギリまで喫ったタバコを踏み消して、その吸い殻を拾い上げた。いくつか転がっているビール缶の一つにそれをねじ込み、ぼくを見る。その視線になんだか既視感があって、ぼくはゆっくり瞬きをした。

 この人、どこかで会ったことがある。

 ぼくが答えないでいるから、お姉さんはうーんと考え込んだ。


「違うのか。……じゃあパパラッチの真似?」

「ううん。……駆け出しワイチューバーなのは、本当」

 ぼくは背中に隠したままだった自撮り棒をだらりと下げた。スマホを取りはずして、ポケットにしまい込む。お姉さんはそれを静かに見ていた。

「でもいずれ、デカピンさんみたいに有名になるつもりでいるんだ。……お姉さん、あの、お願いがあるんですけど」

「ダメ」

 お姉さんは顔をしかめて即答した。言葉を挟む余地もない。

「ダメだよ。きみみたいな世の中のキレイもキタナイもわからないようなボーヤがワイチューバーなんて、笑っちゃう」

 お姉さんの口元が笑った。ばかにされてる、と反射的に分かった。


「ぼ、ぼくは本気で……!本気で!!」

「──あたしみたいな宇宙人はね、宇宙から来たから。地球のことよく見えるんだよね」


 ムカムカしながらも、その設定、まだ続けるんですか、とぼくは思ったけど、言わなかった。そういうことにしといてあげよう。どうやら彼女はひどく酔っ払っているようだから。ビール缶は5本ほど潰れて彼女の足元に転がっている。昼間から飲み過ぎだろ。


 お姉さんは黒髪をさらりとかきあげた。その内側は、ピンクがかった紫色で明るく染められている。


「キレイかキタナイか、どっちかだけじゃね、世の中渡っていけないの。そんなこともわからないようじゃ、……偶像グウゾウにはなれっこないよ、少年」


 グウゾウ。僕の頭の中の辞書に存在しない言葉だった。


「だから取材にしても家の中の撮影にしてもお断り。ワイチューバーも諦めな。イタイ目に遭いたくないんならね」


 イラ、と頭の中で炎がゆらめいた。イラ、イラ、イラ。


「……どうしてアンタにそんなこと言われなきゃなんないんだよ」


 炎は燃え盛り、ぼくの理性を焼き尽くす。言っちゃいけないこと。言うべきでないこと。それが、口をついて出る。


「人の夢のこと馬鹿にしていいと思ってんのかよ、酔っ払い!」


 それでもお姉さんは風でも吹いたみたいにうふふと笑って、タバコを取り出そうとした。けれど、おぼつかない手ではうまくタバコを掴めなくて、ぽろんと取り落としてしまった。フィルタは雨で湿り、あっという間に使い物にならなくなる。わかってるはずなのに、酔ってるせいなのか、お姉さんはそれをひろいあげ、口に咥えて火をつけようとした。

 もちろん、点くわけない。

 うふふ、とお姉さんはまた笑った。おかしくてたまらないみたいな顔で、ぼうっと濡れたタバコを炙るライターの炎を見ていた。


「どうして?どうしてって」

 

 お姉さんは蠱惑的な流し目をひとつ、寄越した。実際ぼくは、それ以上うつくしい女の人の流し目を知らない。


「あたしがめちゃくちゃイタイ目に遭ってるからに決まってんでしょ、少年」



〜〜〜〜〜



「ユナイティのツブッターアカウントめっちゃ燃えてんだけど」

 夕飯を食べ終えたぼくの部屋に押しかけてきた姉貴は、聞いてもいないのにネットの実況中継をしてくる。話を聞いてもらいたいんだろう。こういう時は、相槌を打つに限る。

「なんで?」

「マヲリがマクラしたって噂がどこからか流れてきて炎上してんの。どこぞの週刊誌が!なんだか知らないけど!ふざけやがって」

「マクラ……」

「営業」

 姉貴が言葉を引き継いだ。枕営業。

「はあー、嘘か本当かしらんけど大変だな」


 いやほんと、大変だな、しらんけど。ユナイティ、立て続けに問題ばっかりじゃん。姉貴が大騒ぎしたがるわけだ。

 しらんけど。


「ていうかあのマヲマヲに限ってそんなことするわけないじゃん!アホらし!うるせー!散れ散れ、公式にリプライを飛ばすんじゃない!」


 姉貴は音速でスマホをフリックして呟きを連投し続けている。ぼくは呆れてしまった。


「そうやって火に油注いでどうすんだよ。静観したほうがよくないか」

「こんなに貶されて何も言わずにいられるかってんだい」

「そういうのがダメなんだって」

「理屈じゃないんだよ推し活は!」

 姉貴は吠えながら居なくなった。うるさいのが消えたから、ようやく椅子にもたれかかって考え事に没頭できる。


「次のネタ、どうしよう……」


 幽霊屋敷は使えない。あの自称「宇宙人」がいる限り、無理だ。

「うーん、ネタ、ネタ、ネタ、」

 頭をかきむしって、座ったままの椅子をぐるんぐるん回して、それから思い出した。


──キレイかキタナイか、どっちかだけじゃね、世の中渡っていけないの。そんなこともわからないようじゃ、偶像グウゾウにはなれっこないよ、少年。



 グウゾウ。ぼくはちょうど目の前にある本棚から国語辞典を引き抜いて、その意味を調べた。

 三つくらい意味があったけれど、お姉さんが言おうとしていた偶像はおそらくこれだ。

 ──憧れや崇拝の対象。

 ぼくにとってのデカピンさんみたいなものだろうか?

 ぼくはお姉さんの言葉を反芻はんすうする。牛が食べ物を胃から口へ戻して咀嚼し直すように。

 つまり「キレイか、キタナイかだけでは世の中は渡っていけない。それだけじゃ、ぼくはデカピンさんみたいにはなれない」……?


「意味がわからん!」


 ぼくは国語辞典を放り出した。ネタなんか全然降ってこない。お金さえ有れば「話題のゲームやってみた!」とか、お金に任せた企画を立てることができるんだけど……。


「確かにお金がなければ世の中渡っていけないけどさぁ」

 キレイとかキタナイとかよくわからん。宇宙人の言葉はぼくには難しい。


 つぶやいて、そういえばあのお姉さん、どこで会ったんだっけ?と思い至った。どこかで見たことあるというか、知ってるというか、似てるというか……。


 喉元まで出掛かっているのに、「それ」が出てこない。もどかしいな。

 ぼくは唇だけで「ネタネタネタネタ」と呟きながら、パソコンを立ち上げた。インターネットを開くと、ヤホーニュースのトップ画面に、デカデカと海野マヲリが映っていた。ライブ映像とは違う、真ピンクの髪色をした、瞳の綺麗な──。


「あれっ」


──そんなこともわからないようじゃ、偶像グウゾウにはなれっこないよ、少年。

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