紅玉の指輪 2

 あたし、多分生きるのが下手なんです。

 生きててもあんまり楽しいと思ったことがなくて。

 真面目すぎるってよく言われます。なんでも真に受けてしまうから傷つきやすいんだよって。

 響子きょうこと名乗った少女はそう話し始めた。

 師匠はただ静かに頷いた。

 響子は話した。学校ではうまくいっていないというようなことが最初だった。

 皆が自分を軽んじるのだと言う。

 高校に入学して初めてできた友人も、自分を疎んで離れていってしまったことを泣きながら響子は話した。

 小太郎はそれを聞きながら、学校という場所を想像した。

 人間が行く学校というところは不思議な場所だ。同じくらいの年の子どもをたくさん集める。集めるから、あぶれるものが出る。誰があぶれて、誰がうまく立ち回るのかは最初は決まっていないが、時間が経つにつれ、何かのきっかけで彼女のようなあぶれ者が出てくる。


「最初はうまくいくんです」

 響子は涙で浮腫んだ目で師匠を見ている。

「でも、あたしがだんだん打ち解けて、嫌だなって思うことを話したりすると、みんな怒るんです。中には、あたしをターゲットにしてわざとひどいことを言ってくる子も出てくるんです」

 僕は響子をそっと盗み見た。

 声を震わせて響子は話していた。誰にも話せなかったのだろう。

「変わりたいんです。誰かに好かれたり、認められる人になりたい」

 椅子の周りにティッシュの山ができていた。

 赤い目をして響子は「変わりたいんです」と繰り返した。

 ――そうですか、と師匠が言った。

「変われますよ。その石は持ち主の願望を成就する力があります」

 響子は中指の指輪に目を落としていた。

 朝露のように盛り上がった石の表面に彼女の顔が歪んで映る。

「古いものは持ち主を呼ぶんです。あなたはその石に選ばれた」

 師匠はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 ことばが渦巻いて、響子の中にしみ込んでいくのがわかった。

 響子の目に酔ったような光が表れ始める。

「この石には、やり直す力があるんです。歴代の主人は、この石の力で、なりたい自分になって成功してきた。美しいでしょう?」

 師匠が、ごく自然な調子で響子の手を取り、石を店内の光に透かして見せた。

 店にはどこにも明かりがなかったが、店の中には不思議な光が満ちていた。自然光とも電灯の明かりとも違う光が赤い石の中に入り、土間の床に色を落とした。

「あっ」

 短く叫んだのは響子だった。

 床に落ちた赤い光が広がっていく。

 それは、いつしか橙色の雲を浮かべた夕暮れの光景へと変わった。

 古物が雑然とならんだ店内は、四角い校舎が黒い影となった放課後の通学路に変わった。

 同じ制服を着た少女たちが笑いあっている。輪の中心に響子がいる。

 楽しそうに他の少女たちと笑いながら、足取りも軽く、悩みなどないような顔で歩いていく。今日はすごくいい日で、明日もきっといい日だ。無条件に幸福な学校生活を謳歌する足取りだった。

 まばたきの間にその幻想は消えたが、中指の根元では、石が静かに光っていた。

「さとちゃん、もえか……」

 響子がつぶやいたのは、幻の中で一緒に笑いあっていた少女たちの名前だろうか。

「あなたの少し未来の姿ですよ」

 師匠が言った。

「あなたの未来の姿を石が見せたんです」

 言葉はするりと響子の心に開いた虚の中に入り込む。

 古物は人を呼ぶ。だから、響子を呼んだのはたしかにこの指輪である。

 しかし、それだけでは古物と人は結びつかない。縁を結び付けるものが必要なのだ。

 それが店主だ。小太郎は師匠が次にどんな言葉を選ぶのかを注意深く観察した。

「あなたが特別だから、この石はあなたを認めたのですよ」

 とくべつ?とゆっくりと響子の唇が動いた。

「ええ、特別なのです。あなたは選ばれた。すでに古物に認められたのですよ。そして、これから、皆があなたを認める」

 師匠は小さく笑った。人にしては鋭い犬歯が、唇から零れるのに響子は気が付かない。

「本当ですか?あたし、もう軽く見られたり、無視されたりしない?」

 響子の目に、また涙が盛り上がる。

 頬を伝い、顎から滴る。

 それを響子はティッシュで拭った。すでに床の上にはティッシュが山になっていて、それが散った白い椿のようだった。

「石が選んだのですから、

 響子は右手を傾け、様々な方向から石を眺めまわした。

 左手の人差し指で何度も何度も石の表面を撫でる。

 石は、まるで初めから響子の持ち物であるかのように、今や彼女の肌に馴染んでいるようだった。

「買います」

 響子が立ち上がる。床に落ちた紙屑が舞い上がる。

 それを踏んで、響子は言った。

「この指輪、ください」

 指輪からかすかな忍び笑いが漏れたことを、響子は気がつかないようだった。

 かくして、新しい商談は成立した。

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