【16】不安を殺すには、キス!?

 ──しかし。


 待て、とメイドの裾をつまんだ。


「女を一人置いてくな」


 振り向いたアイリは「え?」と言わんばかりにぼうっとした表情を浮かべていたが、数秒置いてハッとした。


「す、すみません! バニーさんを一瞬、忘れていました……あぁ、最低です」


 私はバツの悪そうな顔をした彼を見て、ついほくそ笑んでしまう。

 彼から見て、この暗闇は何らかの魅力を感じてならないのだろう。

 私には到底理解のできない真逆嗜好だが。


「身なり格好は女の子だろうけど、男の子なら女性の手を握ってエスコートくらいはしなきゃ」

「ご……ごめんなさい」


 弱々しいながらもアイリに手を握られ、私も虚無への進行に加わった。

 体を縮ませ、入ってみると案外中は広いことに驚いた。

 まだ暗闇の中で、先は見えない。されど、どうしたことか。

 先を歩いているアイリの姿だけは──ハッキリと見えるのだ。

 それも不思議な事に無く、全身が光に包まれているようで黒髪一つ一つが煌びやかに揺れている。


 なるほど、そうか。これまたどこかで聞いた事のあった造りだ。

 今歩いているこの階段は、何処かへと繋がっている異次元空間なのだろう。

 証拠に、ここは手摺りが無い。

 もし、この階段を常識的に真っ直ぐ降りようとせず、に降りてしまったら、永久的に戻ってこれなくなってしまうだろう。

 ──つまるところ、断崖絶壁に一つだけ掛かってある危なっかしい橋の様な物なのだ。

 この橋は今にも壊れそうなほどボロく、できれば渡りたくない。──しかし、これを通らないと目的地には辿り着かないので致し方ない。

 命を懸けてまで、こんな所へやって来る馬鹿がいるだろうか。

 本音を言うと、私も怖くて仕方が無かったのだ。

 ここへは入った事は無かったが、道を通る度に扉から洩れ出てくる常闇が肉体や精神おも消し去るようで……。

 本音を言えば、こういうのは大嫌いだ。嫌な事を思い出す。

 できれば、入りたくなかった。


 だが、兎の手を取り先頭を進むメイドがいる。

 ここに来ることを了承した、他を愛してやまない死望子しのぞみご

 おぉ、死を望む召使よ。

 そこまで、自分という生き物が嫌いなの?


 途端、風が無くなった。

 故、音も死んだ。


 服が擦れる音も、靴の音も、みな死んだ。

 自分の内に流れる血音けちねのみが、今の世界なのだ。

 私は自分の心臓の音に違和感を覚え、咄嗟に唇を噛んだ。

 アイリより大人なんだから。と言い聞かせ、付いて行くのが精一杯となりつつあるこの体を何とか起こし続けている。

 先頭の黒髪を見つめ続けるのも精一杯だった。

 暗闇しかない場所も、音も無い場所も、私にとっては死に与えする世界なのだ。

 

 ──母様は私が悪い事をしたら、光が差さない場所へ閉じ込めていた。

 ──怖かった、音すらしないんですもの。

 ──生きてる実感が無い、宇宙空間での孤独とはこういう事を言うのだろう。

 ──だから、ぷっつんして殺したんじゃない。

 ──それを知ってて無視するから父様も……。

 ──嗚呼、誰でも良いから助けて。

 ──肺をポンプの様に掴んでも構わない。

 ──脈を撫で触っても構わない。

 ──鼓膜を舐めても構わない。

 ──骨盤を強く握っても構わない。


 だから 

 助

 け


 脚が止まった。間には生き物のみの無。

 すると、心配そうな様子で一点の光が話しかけてきた。


「大丈夫ですか?」


 風は死んでいるはずなのに、なぜか聞こえるアイリの肉声。

 すると、私は自分から手汗が出ていることに気付き、手を咄嗟に離した。

 アイリに汚い思いをさせてしまった、恥ずかしい。


「な、何でもない。ごめん、手、汚かった」

「……いえ」


 ハンカチで私は自分の手を隈なく拭いた。

 汚れを全て落とす様に、汚い物を全て取り除く為に。

 その様子を、アイリはどこか申し訳なさそうに見つめていた。


「強いんだね。今行くとこ、こうなるぐらい怖い所だから」


 作り笑いをしながら、私は嫌味交じりで警告する。

 どこまでも真っ直ぐなアイリが、今は不愉快に感じてしまう。

 小さい子に、何キレてるんだ。自分の器の小ささに嫌気がさす。


「まぁ……そこで、死ねるかどうかは──」


 そんな事を言いながら、アイリの様子を伺った瞬間。


 私は、小さな体に包まれた。

 細く、弱々しく、かつて感じたことがある温もりに。

 背に優しく腕が巻かれ、彼の胸と私の耳が布越しにキスをする。

 口付けの先に聞こえてくるのは、命の鼓動。

 生命を凌辱する時に何度も聞いてきた音楽が、今は愛おしい。


「僕の為に無理させて、ごめんなさい」


 抱きしめられながら片方の耳で、彼の声を聞く。


「……ありがとうございます、優しい友人を持てて、僕、嬉しいです」


 少年の癖に、そんな事を率直に言う。

 いや、年相応の素直さなのかもしれない。

 それでも、その気持ちが好きだった。

 軽い女なのかもしれないな、私。


「また不安になったら、こうやって僕の心臓の音を聞いてください。言ってくれたらいつでも聞かせてあげるんで」


 嗚呼、哀少年──きみ

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